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大島薫

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私は女性なのですが、幼い頃から両親に「女は一歩下がって男に従うもの」「女はあまりでしゃばるものではない」といわれて育てられました。私はそれに対して窮屈な思いをしたり、反発したことは一度もありません。たしかにその通りだと感じながら成人を迎えました。だから、最近の「男女平等」だとか「女性は抑圧されている」という風潮に違和感や、場合によっては嫌悪を感じることも多いです。もちろん、私はすべての女性にそうあるべきと言いたいわけではなく、私個人として今後もそのように生きていきたいと思っています。そうした生き方は現代ではそれほど不自然で許されないことなのでしょうか。

そうですね、最近はなにかと平等や公平であることが重視されてきて、本人たちがそれで当たり前と思っていることでも「あなたみたいな考えを持ってる人がいるから、世の中がダメになるんだ」なんて言われてしまったりするんですよね。なかなか窮屈な社会になってきました。
あなたの考えはあなたのものとして、絶対に否定されるべきではないとボクは思います。ですが、他の人には他の人の考えがあって、それも否定されるべきではありません。どちらが正しいとか正しくないではなく、どちらも本人たちの中では絶対に正しい。だからこそ、自分と違う考えに触れてしまったとき、人はそれを不快に思ったり、反論したりしたくなってしまうんですよね。
ボクは自分と違う考えの人と出会ったときは、よくその人の話を聞くようにしています。それが正反対の考えであってもです。どうして不快な想いをして、わざわざ気に入らない考えを聞かなければいけないのかって思うかもしれませんね。でも、ボクはそれが人間にとってとても重要なことだと思うんです。
そうですね……ああ、そうだ。例えば「誰も」「何も」傷付けない形ってどんな形だと思いますか?ボクはきっとマルい形だと思うんですよね。ちょうど河原の石ころみたいに。ああいう石って山から川へと流れ行く長い間に、色んな石や、地面にぶつかって、だんだん角が取れて丸くなっていって、あんな形になりますよね。きっと、人もそんな感じなんじゃないかなって思うんです。
みんな最初は自分の考えが絶対に正しいって思っていて、それ以外は全部否定してやろうって感じに、とんがって生きてるんですよね。反抗期の時期とか(笑)。でも、色んな人の考えや生き方に触れて、ぶつかり合ったりして、だんだんと相手のことも受け入れられるようになってきます。河原の石と同じですね。みんながみんなそんな風に丸くなれたら、きっと考えの違いでモメたりすることなんてなくなるんじゃないかなって思うんです。
でも、そのためにはまず考えの違いに触れてみないとわからないんじゃないでしょうか。「男女平等」って訴えてる人たちだって、ただ理由もなく男女平等と叫んでるわけではないですし、あなたもただそういう風に育てられたから「女は一歩下がって男に従うもの」とも思っていないはずです。納得に足る理由がきっとどこかにあるんだと思います。
自分の考えも相手の考えも知るために、まずは触れてみること。そこで「やっぱりそういう考えは好きになれないな」と思ったら、それはそれでいいんです。そしたらあなたの考えがより深いものになりますし、受け入れられたら新しい世界が開けるかもしれません。あなたがどうすれば、この世の中でその考えを持って生きやすくできるかも、わかる可能性だってあります。
人間はみんなそれぞれ違った考えを持っていて、そのせいでたまにぶつかりあってしまう。最初から全員同じ考えだったら争いも喧嘩も起きないのに。でも、もしかしたらそれは、みんながマルに近付くためなのかもしれませんね。転がり続ける石のように。

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はじめまして。16歳女です。 私は生まれつき漏斗胸という病気です。あまりにも病状が酷く、去年再手術しました。前回とは異なる方法で、金属のバーを肋骨に固定することで骨の整形を行うものです。 それが原因で、私の胸は歪です。 胸骨は押し上げているため、通常より5cmは盛り上がり、左右の胸の形は崩れ、傷のつっぱりで丸みもありません。 元からAカップ程しか無かったのですが、比喩とかではなく、ぺったんこになってしまいました。バーもでっぱって歪です。それに加え、真性の陥没乳頭になってしまいました。 これからsexをするとき、汚い傷だらけで歪な体を人に見せられる自信がありません。

自分が成長していく過程でできた傷や、病気の痕跡はなかなか消えないから、もともとは周りの人と同じだっただけに、そういったものができてしまった後は一生それを背負って生きることを重く感じてしまいますよね。
ボクは小学生のころはやんちゃな男の子でしたから、ヒザにわりと大きな傷が残っています。男性の見た目のときは別に良かったんですが、いまこの見た目になると足を露出した写真を撮ることも多く、実はかなり気にしてたりするんです。
自分自身が納得できていたとしても、他人から見てどう思われるかはわからないから、結局どうしようもない想いを抱いてしまいませんか?たしかに、人は大勢と違うものに対して思わずギョッとしたり、不快感を持ってしまう生き物ですからね。そうだなぁ……ボクならどう思うでしょうか?好きな人が、見た目の上で他人とは違う身体の特徴を持っていたらどんな風に考えるのか……。
きっと、ボクは「ああ……この人は生きてきたんだな」と感じると思います。
どういう意味か、すぐにはわからないかもしれませんね。それはつまり、ボクが「誰かと一緒になるということは、その人の過去も含めて愛することだ」と考えているからなんだと思います。小さな傷も、大きな怪我の痕も、それはきっと、その人が『必死で生きてきた証』なのではないでしょうか。
たしかに病気になったことや、事件や事故に巻き込まれたことは不幸なことだとは思います。でも、それは小さな不幸です。むしろ、そういった数々の出来事を乗り越えて、ボクと巡り会ってくれたことの喜びのほうが何十倍も何百倍も嬉しい。そう、ボクは思うんです。
ボクのヒザの傷だって同じこと。それはボクが「男の子」として生きてきた、誰とも違うボクの歴史。あなたが気にされる胸の形も、あなたしか持っていない、あなただけの生きてきた証。だから、そんなあなたの過去も含めて愛してくれる人に出会うと良いかなってボクは思います。むしろ、そう思ってくれないような人に、あなたの大切な『生きてきた証』を見せる必要なんてありません。
そして、もう一つ大切なこと。それはこれから先、あなたやその大切な人にもまだまだ『生きてきた証』が刻まれ続けるということです。2人で笑い合ってできた皺の数、互いのことで悩んだ数だけ増えた白髪、愛しく思ったあの日つけた咬み痕。そんな老いた身体や、できてしまった傷の数だけ、ボクはまた「ああ……この人は"ボク"と生きていてくれたんだな」と思うんでしょうね。そして、それをとても愛おしいものだと感じます。
あなたはこれからたくさんの『生きてきた証』を刻みながら、そんな大切な人と巡り会っていくんです。そのとき、あなた自身も「ああ、この人と出会う日のために、この傷があったんだ」と思えるといいですね。

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1年程前に新型うつ病と診断され、元々あった自律神経失調症も伴い籍は置いていますが学校には通えていません。 ですがうつの症状の特徴故に遊びに行ったりという事は出来たりします。 それをLINEのタイムライン等に載せたりするのですが、 「うつ病のくせに遊んでるじゃん」 「本当は嘘ついてるんじゃないの」 「病気とかって甘えるな」 等、批判と言えば良いのでしょうか このような事をいつも言われるのです。 最初は否定していましたが何度も何度も言われ続けていると自分でもそうかもしれないと思ってしまうようになってしまいました。 そうではないと信じたいのですが… やはり私の様なうつ病は甘えなのでしょうか?

自分にとってできないことを、できる人たちに指摘されると、自分は普通の人以下のような存在に思えてくるものですよね。ボクは片付けが苦手なんですが、片付けが当たり前にできる人からすると、できないことは甘えだと言われてしまいます。
誤解を恐れず言うのであれば、たぶん、みんな何かの病気なんだと思うんです。昔はうつ病って言葉はありませんでしたよね。そういう言葉ができる前までは、仕事に身の入ってない人を指して「怠けてる」とか、落ち込んでる人を「暗い奴」なんて言うだけでした。ところが、最近は色々精神医学の分野でも研究が進んで、ある一定の人に現れる心の病を見分けることができるようになってきましたね。
でも、ボクは全ての人が病気に思えます。だって、あまり怒らないタイプの気の長い人からすれば、短気ですぐ怒ってばかりいる人はなにかの病気に見えることでしょうし、逆から見ればほとんど怒らない人のほうが心を喪失したなにかの病気に見えるかもしれません。ボクはうつ病と言っている人に「甘えるな!」なんて平気で言える人のほうがどうかしてると思ってますよ?
でも、みんな病気だから、自分のことを病気だと言い切ってしまえる人を羨ましく思ってしまうのかもしれませんね。だって、できないことを全部「病気だ」って言えば、なんとなく許してもらえそうじゃないですか。でも、それができないから、病気だって言える人が羨ましく見えちゃうんだと思います。
心の病の話だからわかりにくいですが、じゃあ、これが足や手の話だったらどうでしょう?足を怪我した人が、手を怪我した人に「お前は足が使えるじゃないか。手を怪我したくらいで病人ぶるな!」と言われたって、手を怪我した人には手が使えないなりの苦労があるんだから、足を怪我してる人にはわからないですよね。そして、手を怪我した人も、足を怪我した人の苦労はわからない。こんなことで言い争うことや、どうして自分は手が使えないんだろうということに想い悩むことはバカバカしいってすぐにわかります。
心の病もそうです。あなたにはあなたにしかわからない苦労や辛さがあるのですから、足や手を怪我した人たちのことなんか気にせず、自分の心を治すことに専念すればいいんです。そういうことを言う人たちも、いつかまた自分の持つ《病》に気付いて、それに悩む瞬間がやってきます。そのときは、その人たちががんばる番。
でも、あなたは心を病むことの辛さを知ってるから、同じ心を病んだ人の気持ちがわかります。いつかあなたがうつ病を克服したときには、同じうつ病にかかる人、かかりそうな人にあなたができることをしてあげられることを願っています。

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ずっと片想いしていた方が同性愛者(ゲイ)で、彼氏さんもいらっしゃることを最近知りました。もし私が男性だったらお付き合いできたなもしれない、と思ってしまいます。「男性じゃないから私ではダメなんだ」というように考えてしまい、それも自己嫌悪になっていて、どのように考えたら気持ちが楽になれるのか、薫くんのご意見をお聞きしたいです。

自分の生まれた性別や容姿などで好きな相手に好きになってもらえないことは多々ありますよね。その人にはその人の好みがあって、でも、自分はそうじゃないし、変わることもなかなか難しいから、なんだかどこにぶつけたらいいのかもわからない気持ちが溢れて悲しくなると思います。
ボクは基本的に人を愛するとき「この人が幸せならいいな」という気持ちで好きになることがほとんどです。だから、あまり自分の欲をぶつけることがありません。他人によってはそういうのを「好きなら束縛しないのはおかしい」とか「好きなのに一緒にいなくてもいいの?」と言ったりすることがありますが、本当にあまりそういうことに価値を見出せないんです。
あなたも本当は彼が幸せであることを、心から願っているのだと思います。でも、どうして彼が求めていないものを求めさせようとするのでしょうか?それはきっと、あなたがあなたの幸せも願っているからだと思うんです。「彼には幸せになってもらいたいけど、できることなら私も幸せになりたい」という、そういう想いがやっぱり付き合いたいという欲になって出ているのではないでしょうか。
ボクは本当に愛し合っている状態って、互いに互いの幸せを願い合っている状態を指すのだと思うんです。それがたとえ付き合ってはなくても、互いに想い合っていればそれは愛情なのだと考えます。ですので、あなたが彼と愛し合うには心から「彼の幸せ」を願う必要があるのではないでしょうか。
あなたの望まない形であれ、彼が幸せになれる道を応援してあげる。そうすると、不思議と彼は「あなたの幸せ」も願ってくれるようになります。付き合ってなくとも、互いに真に互いの幸せを願えば、想いを繋げることはできるんです。
彼のことを愛しているなら、どうか彼が迷ったとき、不幸を感じたとき、優しく手を差し伸べることのできる存在でいてあげてください。

人に否定されるのが嫌いです。否定されたくなくて臆病になり、機会を逃すことも多くあります。どうしたら受け入れられるようになれるでしょうか 幼稚な質問ですみません

自分が良いと思ったことを認めてもらえないと悲しくなりますよね。発言や行動を否定されると、まるで自分自身を否定されたかのように感じてしまいます。
ボクは表に出て活動をしているので、より顕著に行動とボク自身の人格を結び付けて否定されることも少なくはありません。ですが、実は『否定される』ということを、そんなに悪いことだとボクは思っていないんです。否定されたら悲しいと言いながら、そんな風に思うなんてちょっとおかしいかもしれないですよね(笑)。
そうですねー……、例えば、世界中の人に好かれたり、誉めてもらうことって可能だと思いますか?ま、それは無理ですよね。だって世の中なんでもかんでもキライだって言う人もいますし、みんなが好きなものほど批判したがる人はいますから、せいぜい10人いたら9人に好かれるくらいが限度じゃないでしょうか。
じゃあ、何も行動を起こしてなくても、あなたのことを知ってる人がいま10人いて、1人はあなたのことを否定しているとします。あなたが何か行動を起こして、あなたのことが知れ渡って、あなたを知ってる人が100人に増えました。すると、たぶんあなたのことを否定する人が10人に増えます。でも、これ、割合は変わってないですよね。どちらにしろ9:1であなたのことを否定する人は現れます。でも、あなたのことを良いと思ってくれる人も同じ割合で増えていきます。誰にも否定されない人生を歩むことはできないんだってボクは思うんです。
それでもやっぱり否定されるのはイヤですよね。ボクもそうは思っても、やっぱり自分のことを批判する人がいると、イラッとするし、悲しくなります。でも、それは批判する人が自分に関心を持っている証拠でもあるんです。だって、否定するってとっても体力を使うことじゃないですか?相手の言ってることや、やってることにダメな理由を見つけて、言葉を尽くして、人生の大切な時間を消費して、ただ相手を否定するために何かを考えなきゃいけません。普通、どうでもいいことにそんなに時間はかけないですよね。無視すれば済むことなんですから。
それでもあなたを批判しよう、否定しようと思う人というのは、ある種あなたの言動を『否定すべきこと』だと『肯定』しているということではありませんか?たぶん何かを始めたときに1番恐ろしいのは「否定されること」ではなく、「関心を持たれないこと」ではないでしょうか。
否定されたっていいんです。肯定ばかりが支配する世の中なんて気味が悪いじゃないですか。ボクが何か行動を起こして、他人がそれを否定して、ボクはイラッとするけれども、その批判を生かしてまた行動を起こす。そうやってちょっとずつ自分が伝えたいこと、やりたいことを描き起こしていけばいいんですよ。否定も肯定も、あなたに向けて放ったということは、その時点で「肯定」なんだと思いますよ。

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27歳の女です。性行為もお付き合いも経験済みです。それらは全員男ですが男を「気持ち悪い」と感じています。例えば、相手が男であることを主張してきた時、私を一般的な女扱いした時です。男のプライドみたいなものが見えるとすごく気持ち悪くなります。先日知人男性と口論した時もお互いの主張が違いすぎて歩み寄れなかったので「男女の違いがあるからお互いの気持ちは理解できない」と収めようとしたのに、なお私を言い負かそうとしてくるのが嫌でした。男が常に女の上にいたいという態度が嫌です。だから本気で男を好きになれず、性行為も気持ち良くありません。ずっとそうなのかと思うと不安です。どうすれば男を好きになれるんでしょう?

男性が男性性を理由に持論を押し付けてきたりするのってたしかにメンドクサイ一面もありますよね。互いを尊重し合えば良いのに、どうしてできないことに性別を引っ付けて「男だからできない」とか、命令したいことに相手の性別を取り出して「女だからこうしろ」とか言うんでしょうね。
きっとそういう男性はそれで全てを納得したいのかもしれませんね。すごく仕事のできない女性の部下がいて、「どうやったらこの子に仕事を覚えさせることができるだろう?」とか「どうすればこの子のミスを減らしてあげられるだろう?」と考えるのって大変ですよね。そんなとき全て「ああ、こいつは女で、男の俺とは違うからわからないんだな」と思えば諦めが付きます。
今回のパターンでいえば、その男性はあなたがおっしゃるように「女は常に男の俺より下だ」という想いがあったのかもしれませんね。だから、その理屈に合わない行動をあなたが取ると、せっかく自分が信じていた「女は常に男の俺より下だ」という理論が揺らいでしまうからムキになったのかもしれません。
ボクはこの世の中、適材適所だなと考えています。例えば、そうですね。「王様と国民」の関係がわかりやすいかなと思います。王様って、1人で「私が王だ」って言いだしても、実際に王としては振る舞えないですよね。1人じゃ結局食べ物を取ることもできないし、城を建てることもできない。これじゃ王様とはいえませんね。一方国民は誰もが自由に生きることができる反面、みんなが自由に生きてしまうと統制が取れなくなってしまいます。みんなで力を合わせるということも知らないし、ルールを守るという規律もありません。これでは国家が成り立たない。
だから、王様は国民がいるから王様でいられるという自覚を感じ、国民は王様がいるから国民でいられるのだということに感謝します。どちらが上でも下でもありません。たまにそれを忘れて国民を蔑ろにする王様もいますけどね。そういう国家は遅かれ早かれ崩壊します。互いに「できること」と「できないこと」を認識し、尊重し合う関係が最も理想だと思いませんか。
だから、ボクは女性と一緒にいるときに荷物を持ったりしますが、それは決して「女性を下に見ている」というわけではなく、単純に筋力のあるほうが持てば良いと思っているからする行為です。また、ボクは女性の相談を他の女性と一緒に聞くことがあります。それは個人的に、女性のほうが共感する能力に長けていると考えているからです。できることとできないことが互いにあるのだから、できないことはできるほうが補い、できることはできない人のために率先してやる。それが本当に尊重し合った関係なのだと思います。
だから、あなたは男性と会うときに、そういう「男だから上・女だから下」という人ではなく、「男性にできて女性にできないこと・女性にできて男性にできないこと」を理解している人を探してみると良いのではないでしょうか。それを理解できている人はたとえ女性のあなたに「こういうことはしてはいけない」と持論を述べても決してそれを押し付けるようなことはしないと思いますよ。
そして、あなたはそういう男性に出会ったときに「自分がこの人にやってあげられることはなんだろう?」ということを考えてあげればいいのではないでしょうか。あなたにしかできない、あなただけの方法で相手を尊重する。そういう気持ちをお互いに持っていられるといいですよね。

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はじめまして。22歳女です。早速相談なのですが、私は付き合って5ヵ月の彼氏がいます。私自身、sexが好きです。愛されていると感じる一つの行為であるのと、同時に気持ちいい事が好きだからです。しかし、彼氏はsexが好きではなく、断れないので仕方なくしているようです。彼氏はsexそのものに慣れていないので好きになれないと言っていました。彼は童貞ではなかったし、私とはもう何度もsexをしています。断られはしないものの、誘うのが怖いです。 身体は欲求不満になり、心は愛されていると実感出来ず、不安になって自傷行為をしてしまいます。出来れば、彼氏にもsexが好きになって貰いたいです。

さてさて、それは困りものですね。恋愛において性と愛はセットのように扱われますから、どちらかが欠けてしまうと、その恋心自体を疑ってしまいますしね。
心と体って一致しないですよね。質問者様は自傷行為をするとおっしゃられていますが、例えば自傷行為なんて1番その例に当てはまるものじゃないでしょうか。ボクが昔付き合っていた女性に『リストカットをすると心が癒される』という方がいましたが、身体は痛みを感じているはずなのに心は癒されるというこの相反する感覚が、やっぱり心と体は別物のように思わせます。
きっと身体の感覚って強烈なんですよね。気持ちいい事や痛いことが起こると、その感覚が強過ぎて色んなことを忘れてしまいます。水に溺れたらとりあえずここから這い上がることしか考えられなくなるし、骨が折れたらとりあえずこの痛みをなんとかしたいと思うでしょうしね。
セックスもそうじゃないですか?「彼は本当に自分のことを愛してるんだろう?」「あたしは彼を愛してるのかな?」という疑問が湧いてもお互いにセックスができればとりあえずは愛し合ってる感じは得られます。だって、イヤな人とは肌も合わせたくないし、キスをしただけで鳥肌が立っちゃいますもんね。でも、そうなると、例えば結婚して何十年も経った夫婦は肉体的にだんだんとセックスができなくなってしまいますが、それでは愛を確かめられないのでしょうか。
彼が嫌いなものを好きにさせる。彼女が好きなものを好きになる。これは結構難しいことです。別にセックスに限らず彼がゲームが大好きで彼女が嫌いな場合とか、彼女がアイドル好きで彼は全然興味がないとか、そういう場合にも言えることですね。
そういうときってどうするでしょう?自分のしたいことを押し付けず、相手の意見を全部飲み込むのでもない方法。きっと2人で相談してみるのかもしれませんね。「あなたの愛は理解してるけど、身体はあなたのことを求めてるの。無理強いはしたくないし、どうしたらいいと思う?」って。ただ性欲を満たすだけなら、身体だけの関係の別の人を作るというのも、ボクは悪い考えだとは思いません。しかし、それは彼氏の気持ちを聞いてみないとですよね。それにできることなら、彼と身体を合わせられたほうがあなたも嬉しいのではないでしょうか。だって、それだと性はあっても愛が足りなくなっちゃいますから。
彼がセックスのどういうところが嫌いなのかも聞き、上手くできないことがイヤだというならあなたが攻め手に回ってあげることで解決できるでしょうし、もし性行為自体に嫌悪感があるのなら2人でカウンセリングを受けに行くという手もあります。どうしても折り合いが付かなければ、別れるという判断になってしまってもそれは仕方ありません。どれだけ体より心が大切だとしても、体もやっぱり大事なあなたの一部ですから。若く肉体で快楽を感じられるいまを大切にするのもとても良いことです。
無理をして一緒にいる必要はありませんが、一緒にいたいと思うのであればちゃんとそれを2人で相談したほうが良いと思いますよ。あなたの心をしっかり彼に伝えれば、彼も心で理解してくれます。その上で、2人の『身体』について話し合えば良いのではないでしょうか。まず心を重ねてから体を重ねる。そういう順番で人を愛せたらいいですね。

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大島さん、はじめまして。 突然の質問ですみません。 もうすぐ受験生になるのですが、受験をする意味がわかりません。私は今中学生二年生で、進路や行きたい学校を決めなければいけない時期なのですが何も決まりません。目標や将来の夢がないんです。以前は難関校に行きたいと思っていた時期もありましたが、今はその気持ちも薄れています。 殆ど勉強しなくても難関校に入れる人がいる一方、死ぬ気で勉強して入った学校で成績が底辺で毎日が地獄という人を見ていると、勉強する意味はないんじゃないかと思ってしまいます。でも、好きな事を我慢して勉強して、頭のいい学校に入らなければいけないのでしょうか。 よろしくお願い致します。

ボクも高校受験のときは同じように思ったことがありましたよ。だから、高校はとりあえず勉強しなくても合格できる偏差値の低い高校を受験しました。でも、そのあと公立の美術大学を受験するときには苦労しましたね。元々勉強をせず入った学校でしたから、センター試験の出題範囲を授業でカバーできてなくて、自力で勉強することになってしまいました。
たぶん偏差値の高い大学や、大きな会社に入ることって、キップみたいなものなんでしょうね。将来自分がやりたいことが見つかったときに、これさえあればどこへでも行ける。そういうのが『学歴』や『職歴』というものなんだと思います。
もしあなたがやりたいことが決まっているなら、ボクは別に学校なんて行かずにそのやりたいことを突き進めて行っていいと思いますよ。でも、どちらにしろ『勉強』は一生続けることになってしまうかもしれませんね。どんな分野に進んでもその分野と直接関係のない知識というのは、いつだって必要になってしまうんです。
例えば、美大を目指していたころのボクなら人物を描くときに人体の構造を勉強しました。足のサイズと頭のサイズを見比べて比率を出したり、そこから肘から手首の長さを計算したりするからです。絵だけ描いていてもダメなんですよね。
また、いまのボクならコラムなどで世間のニュースなどを取り上げることもあるので、やっぱりそれに関わる政治や経済の知識は押さえておくようにしています。そういうとき、「ああ、『社会』の授業をちゃんと聞いておけば」って思ったりするんですよ。
だから、どちらにしても勉強はすることになるので、ボクはあなたが今の心の通りに生きても良いと思います。それで苦労はするかもしれないし、大変なこともあるかもしれないですけど、結局それは「勉強をするとき」が早く来るか遅く来るかの違いでしかありません。キップで行くのか、自力で歩くのかってとこですね。これから先、やりたいことが見つかったときに後悔しないほうを選んでみてください。

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生きる意味がわかりません。わたしには何もないからです、友達もお金もなく親からも愛されていません。勉強もできないしやりたいこともみつかりません。わたしには生きてる意味も生きる価値もないんです。未来が不安で不安でたまりません。なにかしなければ思っても自信がなくて焦るだけで結局何もできません。いつも泣いてばっかりでなにも解決しませんもうなにをどうしていいかわからないです。

生きる価値のない人間なんていませんよ。そもそも生きることにそんなに意味を求めることが問題なんです。例えばそれは、木から葉っぱが落ちることに意味をいちいち考えるようなもの。
もちろん無理に考えれば「葉っぱが落ちることによって土の肥料になるから、植物の栄養になって、それが循環して植物が育つんだ」という理由付けを行うことはできます。ですが、落ちる葉っぱにそんな意志があるでしょうか。たぶん彼らは風が吹くままに、寿命が尽きるままに落ちていくだけのことだと思います。
理由があることと、意味があることを混同し過ぎるのは危険です。ボクらが何千何億という奇跡の果てに生まれたたった1つの命だというだけのことで、そこに意味があるかなんて誰にもわかりません。
しかし、不思議ですね。ただ落ちていく葉っぱも、土を豊かにしていつか生まれてくる植物を育みます。誰にも知られることのなかった1つの命が、朽ちたあと何年もあとの誰かを支えているんです。そのあとの植物たちにとっては、それもとても価値ある命だったことでしょうね。
ですから、言い切ってしまいますが、あなたにもあなただけの価値が必ずあるんです。

17歳のトランスジェンダー(性同一性障害ではない)、パンセクシャルです。 乱文、お許し下さい。 実は初潮が来てからずっと生理が嫌で、それもめんどくさいとか言うことではなく、感覚的に嫌と言う感じです。 中学生の時に嫌悪感を、穢れなどといった理由付けをしましたが、上手くいかなかった。 私は、生理など要らないと思います。 セックスは、ネイマールやロナウジーニョの足技のように楽しむもので、子供を作るためのセックスは味気ないイメージがあります。 子供が欲しければ、代理母もあるし、そのうちiPS細胞で卵子や精子を作ったりするので、子供を産む機能など要らないと思っています。 大島薫先生、共感できますか?

そうですね。命に価値の差はありませんから。自然妊娠で生まれた子供も、試験管ベイビーで生まれた子も、全ての子どもは等しく尊いものです。
あなたが決めた価値観は紛れもなく、あなたの中で正しい価値観であるとボクは考えます。ですが、それは万人に言えることであって、他者に押し付けるものでもありません。いま現在デザイナーベイビーや、クローンなどの技術が進んでおり、「命の価値」について日々議論が行われています。あなたが不要だと思う『子供を産む機能』についても、必要だと思う人もいれば必要でないという人もいます。
すべての命は等しく尊いのですから、他者にあなたの正解を押し付ける必要もないのですよ。
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ここ数ヶ月なにをしても疲労感や脱力感におそわれます。前まで大好きだった趣味も今では無関心になってしまいました。新しいことをはじめようにも挑戦する勇気や行動力がなくすべてがめんどくさくて逃げ出したくなります。ネガティブで考え込みやすいので一旦考えると悲観的に物事を捉えてしまいます。なので考えることをやめてしまう癖がついてしまいました、やっぱりこれは逃げだったり甘えなんですかね

疑問を持ってしまうと、考え込んでしまって、考えたことに対してまた疑問が生まれ、また考え込んでしまう。悩みについて考えることは、常に悩みを抱えるようなもので、たしかに苦しいことでもありますね。
考えていない人と考えている人ってどちらが偉いんでしょうか?考えている人は考えているというだけあって、なんだか賢くて偉い人のように思えます。考えていない人は物事をいちいち悩まずに能天気でちょっとバカっぽく見えちゃうかもしれないですね。
でも、こんなパターンを想像してみるとどうでしょう?
あるところにAさんとBさんがいました。2人に誰かが質問をします。「人生ってなんですか?」。Aさんはすぐに「人生がなにかなんてわかんないよ!」と答えました。一方Bさんは一生懸命考えました。「人生ってなんだろう?人生って人それぞれ違うよな。ある人が人生の意味を見つけたと言っている横で、別の人が全然違うことに人生の意味を見つけたとかいうし……」とブツブツ考えたのち、Bさんはこういいました。「わかった!人生がなにかなんてわからないのが人生なんだ!」。
あれ?おかしいですね。何にも考えずに答えたAさんと、一生懸命考えたBさんが同じ答えを出してしまいました。これじゃまるで、最初から答えにたどり着いていたのはAさんで、Bさんは「人生ってわからないな」と最初から知っていたのに同じところをグルグル散々迷った挙句、同じゴールに辿り着いたマヌケみたいです。
この世の中って、実は考えても考えてもわからないことだらけなんじゃないでしょうか。例えば、化学が発達して物質が原子ってもので構成されていることがわかりましたよね。その原子は原子核ってもので造られていることがわかって、さらに原子核には陽子、中性子があって、さらにその向こうにクォークってのがあって、実はその先もあるけどそれはまだ観測不可能で……と色々なことが誰かが考えたことによって解明されても、やっぱりその先はまだまだわからないことだらけ。
きっと、考えている人と考えていない人の差なんてあまりないんじゃないでしょうか。ただ、考えてる人は「わからないことはわからないということがわかった」という経験をしているので、いま何かにわからなくなっている人へ言葉を与えてあげることが上手なだけなんです。
楽しいことが起きたらただ「楽しい」と思い、悲しいことが起きたらただ「悲しい」と思う。これだけでも立派な正解です。あれこれ悩んで考えてもただそれは「わからないということがわかる」というだけのことなんですから。
ただ純粋にいまある感情に一喜一憂する。いまあなたに関心を持てるものが現れていないのなら、是非いまある感情の欠片を大切にしてみてください。考え過ぎず、あるものをあるままに捉えられる。それもまたとても素晴らしい『考え方』だと思います。

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命にはどうして死があるのですか?

『生』があると思っているからではないでしょうか。
あるものはなくなりますが、ないものはなくなることができません。生をあるものとして捉えれば死もありますし、生をないものとして捉えれば死もまたないともいえます。
この世の中思い入れのあるものほど『ある』ように思えるものですよね。好きだと信じている人への想いほど誰かに否定されても『ある』と思いたいものですし、大切なものがなくなってしまったときは失ったことを認めたくなくて『ある』と思い込もうとしてしまいます。その中でも普遍的にみんなが信じて止まないのが「生」ですね。死ぬのは怖いし、生きてる実感を常に求めようとする。ほとんどの人が思い入れを持つ『ある』と思い込みたいもの。それが「生」です。
ただ、『ある』ということと「意味」はしばしば混同してしまうものです。「ここにこれがあるからには、きっと意味が『ある』んだ」と思い込んでいるんですね。それは暗に「意味がある」ということは『必要である』ということだという考えを多くの人が持っているということです。だって、生きているからには何らかの意味が欲しいと思ってしまうものですからね。
でも、生きることに意味があるかなんてことは、最後の最後おわりのときまでわかりません。途中まで生きる意味を信じてがんばっていた人が、その意味を見失って人生が終わったかのように感じてしまう場合もあります。しかし、それはその信じ込んでいた生きる意味が実は本当の生きる意味ではなかっただけのこと。
生きることは無意味かもしれないし、意味があるのかもしれない。それは誰にもわかりません。
空が空であるように、風が風であるように、あるがままを受け入れる。現象に意味を求め過ぎるのも考えものですね。
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私には現在彼氏がいるのですが、付き合う前に体の関係を持ってしまい、2回目のセックスのときに『付き合ってほしい』と言われ、『貴方のこと好きか分からないけどそれでもいいなら』と付き合うことになりました。しかし、自惚れかもしれませんが相手からの好意が重く、バイトが無い日は毎日でも会おうと言ってきます。私だって、自分の時間をもって休みたいのに。また、初めて体を許した相手ですが、やはり私からの恋愛感情は無いように思え、会おうと言われても不快に感じることが増えてきました。別れを切り出そうかとも思うのですが、経緯を知っている共通の知り合いが多い為、躊躇ってしまいます。私はどうしたらいいでしょうか。

相手と自分の考えが合わないときって、どうやっても相手はわかってくれなくて、だからといって自分がそれに合わせなきゃいけないのも、なんか納得いきませんよね。たぶん彼とあなたは『考える必要のない人』と『考えている人』になっているのかもしれません。
人っていつ「考える」と思いますか?答えを知っている問題をわざわざ考える人って少ないですよね。だから、みんなが当たり前のように何かを考え始めるときって、悩んだときではないでしょうか。
「自分は誰になんと言われようと幸せだー!」って思ってる人って、いま幸せだから「どうやったら幸せになれるだろう?」なんて考えないですよね。これが『考える必要のない人』。
でも、そんな人が急に自分は不幸かもしれないと思い始めたらどうなるんでしょう?きっと「幸せって一体なんなんだ……」と考え始めますよね。これが『考えている人』。
もしくは誰かに質問されたとき、その言葉の意味を求められたとき、突然『考えている人』になることがあります。自分は間違いなく幸せだって思っている人に「なんで幸せだと思うの?」と聞くと、色々答えを出してくれますよね。「お金があるから!」って言ったり、「好きな人がいるから」と言ったり、漠然と「生きてるから!」と言ったりね。それ全てに反論します。「お金があることだけが幸せなの?」「好きな人がいない人は幸せじゃないの?」「生きてると苦しいこともあるけどそれでも幸せなの?」みたいに。すると、その人は考え始めます。『考える必要のない人』が『考えている人』になりました。
たぶんその彼はあなたへ自分の答えを押し付けてしまっているんですね。「好きなんだから付き合うのは当たり前でしょ!」とか「付き合ってるんだから毎日会うのは当然じゃん!」って。でも、あなたは考えている人だからそれがわかりません。「付き合ってるからって毎日会う必要あるの?」、「好きってそもそもどういう気持ち?」。考えている人は考えているから、漠然とした答えを押し付けられるのがとっても苦手です。
もしあなたが本当に別れたいと思ってるなら、共通の知り合いが多いというような理由なんて無視して別れてしまって良いと思います。でも、少しでもまだ彼のことを『理解したい』という気持ちがあるのであれば、それを彼にぶつけてみてはいかがでしょうか。
「どうして毎日会いたいと思うの?」「なんで好きだからって付き合う必要があるの?」ということを尋ねてみるんです。するとたぶん彼は当たり前のように「好きだから」とか「だって恋人だし……」と言うかもしれませんが、もっと深く聞いてみたら彼もあなたとのことを考え始めてくれます。「好きって具体的にどういう気持ち?」、「恋人ならみんな毎日会うの?」って。ちょっとめんどくさい人みたいですけどね(笑)。
でも、彼が本当にあなたのことが好きなら、あなたがぶつけたわからないという気持ちを真剣に考えてくれると思いますよ。だって、好きなあなたを納得させるために、彼に『考える必要』がやってきたのですから。
好きな者同士が一緒にいるために、一緒にいられるにはどうすればいいか考える。恋愛って常に考える必要だらけですね。

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高校生です。彼女と付き合い始めて三ヶ月になりますが彼女は今海外に留学中であと半年以上帰ってきません。心配事は留学中にこの関係が続いているか、帰ってきてからの関係がどうなるか、です。所詮高校生の恋愛ですから真剣味は薄れるのはわかっています、しかし僕は"今"が心配なのです。

なるほど。会えない期間が続くと色々考えてしまって不安になりますよね。あなたが高校生だからといって、その恋愛が真剣ではないなんて全然思いませんよ。大人だって子どもだって等しく悩んで考えてしまうのが恋愛ですから。
おっしゃる通り、あなたがいま高校生で、いまお付き合いされている女性との、いまの恋愛を悩まれているこの問題は、たしかに"今"ある悩みですよね。でも、ちょっと矛盾した点があります。それは『留学中にこの関係が続いているか』、『帰ってきてからの関係がどうなるか』という悩みの原因になっているのは、"未来"の出来事なんです。そういう"未来"に起こっているかもしれない事態を"今"悩んでいる気持ち、それをボクらは『心配』と呼んでいますね。
将来自分は今のこの仕事でやっていけるのだろうか、今付き合っている人と将来ずっと一緒にいられるのだろうか。そういう未来にあるかもしれない自分にとってマイナスの出来事を今悩むのが『心配』です。さて、じゃあ、この"未来"ってものをよくよく考えてみましょう。
未来というのはつまり、"今"より先のことですよね。1年後も未来だし、1ヶ月後も未来、1日先も未来で、1秒先も未来。もっといえば、0.0000000……1秒先も未来なんです。では、あなたがいま心配していることが現実になるか、ならないかはいつわかるのでしょうか?現実になったということは、”今”0.000000……0秒にその結果がわかった瞬間です。
あなたが「あー彼女が心配だなぁ」と思った瞬間、これはいままさに"過去"になります。ということは「彼女が心配だ」と思っていた結果が”今”来ています。さて、結果はどうでしょう?まだわからないですよね。そんな1秒、2秒じゃ状況は変わらないですもんね。でも、それを繰り返し、また未来が今になり、今が過去になります。これは1日後であろうと彼女が帰ってくる半年後だろうと同じ。そこにあるのは心配をしていたという過去と、訪れた現実という今と、未だ観測していない未来です。ちょっと難しくなってしまいましたね。
要するに、ボクらは常に今を生きているということしか、ボクらにはわからないのじゃないのかなと思うんです。心配をしていた過去は存在しますが、それは今現在になって現実になっていないことを知っているので、もはやそのときの心配は破綻しています。「とりあえず1秒後は大丈夫だった」というだけの話です。
だから、ボクは常に『今どうあるべきか』を考えると良いのではないかなと思っています。1秒後も1分後も1年後も10年後も、全ての”未来”が"今"を積み重ねてやってきます。その未来をより良い未来にするには、未来の心配をするのではなく"今"を良くするしか方法はありません。
彼女に今ちゃんと愛情を伝えておこう、彼女に似合うようにもっと今の自分を磨こう。起こるかどうかもわからないマイナスの未来を考えて過ごす"今"より、ボクはそういう"今"を過ごしてもらいたいなと思います。

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職場で退職された人を忘れられずに3年が経ったのですが、それからその人以外考えられなくなってしまいました。3年前のある日を境にその人はパタッと突然居なくなり、今はどこで何をしているのか全く分かりません。もう過去の人、今までで1番好きだった人だと割り切ることができず、美化された思い出が強く残っています。もう会えないと思うと涙が出てしまうし、自分に好意を寄せてくれていたのに突然居なくなったことに納得がいきません。お礼も別れの言葉も言えていないのでどうしても最後に一度だけでも会いたいと思っていますが、連絡先すら分からないのでずっとモヤモヤしたままです。この行き場のない気持ちをどうしたらいいのでしょうか

何度か繰り返し、あなたの文章を読ませていただきました。あなたの中でいま「もう一度会いたい」という気持ちと、「諦めたい」という気持ちの両方があるんだろうなと思います。もう一度会いたいの先に「付き合いたい」があるかどうかはわからないという感じなんでしょうか。
探す方法はたくさあります。ちょっとネットで調べれば思い出の人を探すことを専門にしている興信所などもありますから、お金と時間をかけて見つけることは不可能ではありません。
問題は「諦めたい」のほうですね。人は納得したとき諦めますが、納得できない場合なにがあっても諦めません。でも、幸い、あなたの文面にご自分で納得する方法を書かれています。『自分に好意を寄せてくれていたのに突然居なくなったことに納得がいきません』という、これがまさにあなたが納得できる方法なんじゃないかなと思います。そして、そのあと『お礼も別れの言葉も言えていない』と続いていますね。
だからきっとあなたは、彼に「あのときの好意の真相」が聞けて「お礼」と「別れの言葉」が言えれば、きっと納得するのではないでしょうか。でも、そんなことはできないから困っているんですよね。
では、思い出の彼に聞いてみてはいかがでしょうか?「現実の彼」ではなく「思い出の彼」と話してみるんです。
ボクらって目で見たままの景色や、耳で聞いたままの音を感じることができません。素敵な人と一緒に見た綺麗な夕焼けを、同じ時間・同じ場所で見ても綺麗だと感じることができないように。目や耳で感じた五感に、想いが乗っかってしまうんです。
だから、あなたの中の『美化された彼』もたぶん、もうその彼ではないのではないでしょうか。逆にいえば、思い出になかった言葉も、思い出になかった行動もあなたが作り出すことができるということ。
心の中の彼に問いかけてみてください。「あのとき本当はどう思ってたの?」「どうして突然いなくなっちゃったの?」「私のこと好きだった?」それに対してあなたは『きっと彼ならこう答えるんだろうな』ということを考えてみるんです。たぶんきっと、その彼の答えは「あなたが1番言って欲しかった言葉」になっていると思います。
諦めきれるまで、納得できるまで、彼に問いかければいいんです。そして、諦めきれたら、あなたが言いたかった『お礼』と『別れの言葉』を伝えてあげれば良いのではないでしょうか。
あなたが1番別れを告げたいのは、「現実の彼」ではなく「思い出の彼」のほうなのかもしれませんよ。

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私の家族には偏見や差別の目があり、自分がセクマイだと言う事ができず...自宅に居ることが苦痛です。 親の離婚をきっかけに母と弟との3人暮しなのですが、元々父と仲の良かった私はそれだけでも少し浮いていました。それに加えアニメやボカロが好きな事で「オタクだ」「気持ち悪い」などとよく言われます。その事に関しては個人の趣味なので聞き流して入るのですが... 芸能ニュース等テレビで流れるセクマイ関連の話があると、顔を顰め嫌な顔をする・気持ち悪いと言うのです。偶然私がアプリゲームでセクマイ垢を持っていたのを見つかり本気の気持ち悪いを目を見て言われた事もあります。今後、私はどうすればいいのでしょう...

どうすればいいのか……ですか。ボクらの生きてる世界って、いつもボクらにとって正しい世界だとは限らないですよね。ボクらはこの世界で生きるしかないのに、その世界が正しい世界ではないと、ボクらのほうが正しくないってことになって、まるで世界から拒絶されたかのように感じると思います。
この「世界」って、いっぱいあると思うんです。時代、場所、宗教、会社、学校、家族……。ボクらは生まれる場所を選べないし、今いる環境を簡単には変えられない。例えば大人になると、会社でイヤなことがあっても、他のことで楽しみを見つけられたり、自分が受け入れられる世界を探してみることができます。でも、だからって、必ずしも自分すべてを受け入れられる「正しい」世界を見つけることができるとは限らないんです。
あなたが今いる世界を壊すことは簡単です。命を懸ければいいんです。命を懸けて自分の主張を正しいと認めさせようとすることはできます。その気になれば家を出ることも、家族が納得するまであなたの意見を伝えることもできるでしょう。でも、そうすると、いつかあなたを止める人が現れて、その人もあなたを止めることに命を懸けだします。だって、その人にはその人の「正しい」世界があるから。今いる国の法律がおかしいと思って、戦争を仕掛けても、捕まってしまったら殺されるかもしれないし、国を変えるどころか主張する自由まで奪われてしまいます。
この世界で唯一本当の自由ってなんだと思いますか?ボクは「考えること」だと思います。手足を縛られ、視覚を奪われ、聴覚を失い、声を上げることもできない状況だったとしても、唯一「考えること」だけは許されています。今いる環境がどれだけあなたにとって耐えられない社会やルールに支配されていたとしても、そのルールに反したことを「考えること」はできるんです。行動に移すかどうかは別として。
あなたにとって本当に「正しい」ことは何かを考えるために、「正しくない」世界で生きてみるという判断も必要なことかもしれません。あなたは今きっと他人より多くのことを考えさせられています。あなたと同じ悩みを持つ人に、いつかあなたが考えたその考え方を伝えてあげることができます。
もしかしたら、この世界には「考えた人」と「考えていない人」がいるのではなくて、「考えた人」と「考える必要のなかった人」しかいないのかもしれませんね。考えた人も考えていない人もいつか「考えること」がやってくるんです。
命を懸けることはいつだってできます。その前に、あなたの感じたこと、学んだことを伝えられるように、今は一生懸命「正しい」ことを考えてみてください。

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短い間でしたがとある男性にペットとして可愛がってもらっていました。私にはそれがとても心地よくて飼い主じゃなくなってしまった今でもその人のことが忘れられないくらい大好きです。ですが元飼い主さんに別れを告げられてしまって以来、犬を見ると羨ましくて仕方がありません。自分も散歩してもらったり頭を撫でてもらいたかったと嫉妬してしまいます。昔から犬が大好きだったのに、自分の家で飼っている犬に対する愛情さえも薄れてしまいました。犬と接していると嫉妬してしまいます。私って薄情な人間でしょうか

いいえ、薄情だとは思いません。むしろきっとあなたには「情」がいっぱいあるから、犬に嫉妬をしてしまうのかもしれないですね。
ボク、自由であることって、とっても辛いことだと思うんです。なんでもできるってことは、なにをやるのか常に悩まされてしまうことと一緒じゃないですか。突然舞台の上に立たされて、「はい、君はどんな役でもやっていいよ」って言われると混乱しません?それよりかは「普通の主婦」とか「よくいるサラリーマン」とか言われたほうが、まだ簡単そうです。そうそう、人格をあらわす「パーソナル」って言葉も、舞台とかで使う仮面(ペルソナ)から来ているそうですよ。思えばボクらって毎日何かの役柄を演じているようなものですね。
上司って言葉は部下がいるから成立するし、教師も生徒がいるから存在できます。あなたもその「飼い主」さんがいたから、「犬」でいられたのでしょうね。でも、いまは飼い主がいなくなって、犬ではいられなくなった。でも、ボクはまだあなたは「犬」のような気がします。
なんでそう思うのでしょうか。それは、たぶんご自分のワンちゃんと自分を比べているからなんだと思うんです。ボクらって『同じに見えるもの』に嫉妬をしてしまいます。「アタシとあの人は同じ主婦なのに、なんであっちのほうが幸せなの?」とか、「俺とあいつは同じ人間なのに、なんであいつのほうが注目されるんだ」みたいに。あなたはまだきっとその人の「犬」であることをやめてないんです。
でも、本当はもっと深いところにその理由があるのかもしれませんね。それはもしかしたら、「私はまだあの人の犬なんだ」ではなくて、『私はあの人の犬でいたかった』という気持ちなのではないでしょうか。本当はもうどうにもならないことをわかっているけど、まだどうにもならないって気持ちを認めたくないから、「私はまだ犬なんだ」と思いたいのかなって。やっぱり「情」がいっぱい残ってますね。
でも、あなたの飼っている犬もまた、あなたのことを必要としています。今はまだあなたから「あの人の犬」の役が抜けてはいないでしょうけど、あなたは同時に「その子の飼い主」という役も担っているんです。
頭を撫でるとき、散歩に連れていくとき、あなたにまだ「頭を撫でてもらえるのって気持ちよさそうだな」、「散歩してもらえるのって幸せそうだな」という感情が芽生えてくるかもしれません。でも、もしかしたらあなたの「飼い主」さんもそんな気持ちで、あなたを撫でてくれていたのかもしれませんね。与えられた愛情を他の人に与えたときに、ボクらはその愛情の大きさを理解します。それを頭ではなく心で理解できたときが、あなたが「あの人の犬」ではなくなったことを理解するときなのではないでしょうか。

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私は自分の事がとても嫌いです。外見もそうですが中身も卑屈でどうしてもマイナスに考えてしまう癖がありどうしても治す事ができません。特に外見に関しては頭から爪先までコンプレックスの塊なので自分の写っている写真など学生以来撮っていません。その強烈なコンプレックスから可愛い女性などを見ると負の感情しか抱く事ができず同性の友人は中学生来の付き合いの子しかいません。メイクやファッションなどは人並み以上に好きですが自分の好きな物に心がついて行かずおしゃれな街などを歩くと死にたいという感情に支配されて辛いです。どうすれば少しでも自分を肯定できるようになれるのでしょうか。どうぞ宜しくお願い致します。

自分の事がとても嫌いというのは、お辛いでしょうね。自分というのは自分でしかないのに、その自分が嫌いだからといって、他の人になることはできない。じゃあ、もうこの姿かたちで生まれてきてしまったら、一生この辛さを味わっていきていくしかないのかと思ってしまいますよね。
考えてみると、美醜って普通有りきで判断する感覚ですよね。だって、どちらも「普通」に対して、「美しい」か「醜い」かで決める言葉じゃないですか。「あの人は美しい」って言葉の裏には「あの人は普通の人より、美しい」という言葉が隠されていて、「あの人は醜い」という言葉もやはり「あの人は普通の人より、醜い」という言葉が隠されています。
さて、じゃあみんなが言う「普通」ってなんでしょう。《平均》ってことなのでしょうか。でも、「見てきた容姿の平均」って、たぶん人それぞれ違うんです。だって好みってあるでしょう?誰かが「美人だ」って言った顔を、他の誰かが「あんなの全然美人じゃない」って言ったりします。きっと人によって、美人と美人じゃない人を決める《基準》って違うんです。ということは、醜いかどうかを決める基準も人によって違うんじゃないでしょうか?心なんてその最たるものだと思います。だって、目には見えない「心」を捕まえてボクらは「美しい心」だの、「醜い心」だの評価しようとするんです。ということは、結局「美しい」とか「醜い」なんてことを決められるホントの《基準》を持った人なんて、どこにもいないんじゃないでしょうか。
……でも、そういうことじゃないですよね。それでもあなたは自分のことを「可愛くない」と思ってしまうんですよね。たぶん、きっと、それはあなたにも《基準》があるからなんです。ボクたちって昔から学校や両親から言葉の意味を教わりましたよね。こういう色を「赤い」っていうんだよとか、こういう形を「丸い」って言うんだよ、って。どこかであなたは自分のことを「醜い」って思わされた瞬間があったのかもしれないですね。言葉としてなのか、態度としてなのかは別として。
でも、それもまた教えた側それぞれの《基準》でしかないんです。だって、赤いとか丸いとかボクらの目それぞれで見ている色や形は、ボクら以外から見たら全然違うものかもしれないのに、言われたままに「ああ、これが『赤い』ってことなのか」とか「ああ、これが『丸い』ってことなんだ」と信じ込んでしまいます。
だから、見えている景色なんてアテにならないんじゃないかなとボクは思うんです。例えば、ボクが「あなたは、誰がなんと言おうと美しいと思います」と言ったら、あなたは信じてくれますか?普通は信じないですよね。だって文章しか見えていないのに、なんで私の容姿までわかるのって思うはずです。でも、なぜボクがあなたの文章しか見ていないとわかるのでしょうか?あなたはボクではないのに。
それと同じで、あなたが自分を「醜い」と思っているからといって、他人もあなたを「醜い」と思っているとは限らないんですよ。すぐにはそうは思えないかもしれませんが、ちょっとずつ、あなたが見ている世界で、あなたの美しさに気付いていけばいいんです。
大丈夫、誰がなんと言おうと、ボクはあなたを「美しい」と思います。

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質問失礼します。私には付き合って半年位の半同棲の恋人がいます。お互い両思いでお付き合いしたのですが、最近妙に冷たいです。相談しようと思い声を掛けてもケータイを見つめたままだったり、お前のそういう所がいけないんだ、と言われたり。2ヶ月くらい前にそういう行為をした後、好きだからしたくなるんだよ。と言った癖にそれから2ヶ月なにもなかったり。ほぼ一緒に住んでいてお互いのことはわかってるのに遊ばれている気がしてならないです。好きってなんなのだろうかとも最近考えはじめました。私が重く考えすぎなのでしょうか?最近どう接したらいいのかもわかりません。アドバイス頂ければと思います。よろしくお願い致します。

なんで自分の気持ちって伝わらないんでしょうね。こんなに愛してるのにこんなに好きなのにわかってくれない。
ボクはAskでよく『わからないけどわかりたい』という気持ちが《その人と一緒にいたい》という欲になってあらわれるんですよとお答えしています。質問者様の文章からもその気持ちがちょっぴり沁み出ていますね。『お互いのことはわかってるのに』と言いながらも、『どう接していいのかもわかりません』と思ってしまうんですよね。
そうですね……例えば、じゃあ漠然とボクが「今ボクが思っていることを当ててください」と言ったとしますよね?質問は何回してもいいですよ。当ててみてください。
そしたら、あなたはきっと色々なことを質問すると思います。「何か形のあるもの?」「出来事?」「感情?」とかね。そしたら、ボクは全部にこう答えます。「どうだろうね?」。どうでしょう。イラッときません?「そんなんじゃ、わかんないよ!」って。
これと同じことを、ボクらは恋愛の場面で繰り返しているのではないでしょうか。いまきっとあなたは彼に対しての「わからない」が募って、何も答えをもらえていない状態なのかもしれませんね。だから、「わからない」ことを知るために質問を繰り返して「わからない」がいっぱいになっちゃってるんです。この「わからない」って気持ちって、好きな人に対しては「欲」になって出てくるものなんです。だってそれは「わかりたい」って気持ちだから。
一方「愛情」は、誰かを好きになったときに「わかりたい」より先に芽生えたりします。「ああ、大好きなこの人に幸せになってもらいたいなぁ……」って。だって、大好きなら自分が一緒にいなくても、その人だけ幸せになってくれればいいじゃないですか。だから、きっとあなたも最初のころは「お互いにわかっている」と思えてたのかもしれないですね。
でも、今はわからなくなっちゃいました。「わからない」がいっぱい過ぎて、今では好きかどうかも「わからない」。じゃあ、そんな「わからない」彼のことを今度は考えてみましょうか。
んー、例えば、今度はボクがあなたに質問します。今度はボクと違って、あなたは全部にちゃんと答えを出してください。まず、そうですね……「生きるってどういうことですか?」。あ、そうだ、ついでに「死んだらどうなるか」についても教えてください。あと……「好きってどんな気持ちですか?」、「恋ってなんですか?」、「愛ってなんですか?」……鬱陶しいですよね。
そうなんです。きっと「わからない」をいっぱい押し付けられると、ボクらって「わからないよ」しか答えがなくて、それなのにまだ「わからない」って言われるから、全部が全部わからなくなってしまうんですよね。きっとその彼もいまきっとあなたのことを、わかってないのかもしれません。
それでも、もし、あなたがまだ彼のことを「わかりたい」と思っているなら、ちょっと距離を置いて、彼のことを考えてみてはどうでしょうか。「わからない」を押し付けるのではなく、あなたが自分で「わからない」ということについて考えてみるんです。なんで私は彼のことが好きなんだろう、どうして一緒にいたいと思うんだろうって。
答えが出たら、その彼に態度で伝えてあげればいかがでしょうか。そのほうが、いっぱい悩んだ分、思った疑問をすぐに押し付けるより伝わるものです。恋愛ってもしかしたら、答え合わせみたいなものかもしれませんね。2人でそれぞれの「好き」って気持ちを、ちょっとずつたしかめていけばいいんです。

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一人称についてききたいです。 私は体は女ですが、素の自分に一番しっくりくる一人称はどうしても“僕“なのです。 今年で24になり、普通に社会人としてTPOにあわせ普段は私といっています。 小さい頃からそれまでは、オイラとか、うちとか僕で、働くまで私と言ったことはありませんでした。 24歳女性が僕ということは、世間一般では奇異の目でみられます。そのような話し言葉で話せる相手も友人も一人もおらず、ずっと偽ったままです。 男性に体を売ったことはあれど一人もつきあったこともなく、性的マイノリティーなのだと思います。 思春期に一人称で迷走することはあるでしょうが、やはり好きな一人称で過ごすべきでしょうか?

兎月ザナ
社会に出ると色んな制約やマナーが多くて大変ですよね。公の場に出るときにはスーツやドレスを着なきゃいけないとか、納得いっていないのに頭を下げなきゃいけない場面も出てきます。
一人称もそうですね。日本独特の感覚です。だって英語だと男性も女性も"I"で済んでしまうものが、日本では「僕」「私」「俺」「ウチ」「オイラ」……たくさんあります。洋画ってお好きですか?ボクはよく観るんですが、不思議なことに全部"I"で済む英語で話している俳優のセリフに、いわゆる「オネェ口調」で訳されている人が登場するんです。
おかしいですよね。だって、その俳優の演じている役がゲイかどうか"I"だけではわからないはずなのに、どうしてオネェ口調に訳されているのでしょう。海外の友人に訊くとどうやらそれって身振りや雰囲気でゲイだろうという予想のもとに意訳がなされているんだと言うのです。たしかに日本の方で「オネェ口調」ではなくとも、なんとなく「ゲイなんだろうなー」と予想の付く人っています。たしかめてないから、本当にゲイかはわからないですけどね。
きっと自分の身体ってどれだけ隠しても、心がちょっぴり出てしまうんじゃないでしょうか。それが口を通してなのか、手や足を通してなのかはわかりません。だけど、どこかにほんのちょっぴり心の欠片みたいなものが垣間見えます。
ボクは仕事場では「私」でもいいと思いますよ。ボクも男性の姿のときサラリーマンをやっていたのですが、ビジネスの場では「私(ワタクシ)」でしたからね。男性も女性も基本は「私」で統一されているから、そこは気にしなくても良いのではないでしょうか。
問題は普段の生活ですよね。一人称を使う場面って日常生活でも結構あります。普段の生活でも「私(ワタシ)」を男性、女性両方が使いますが、それがしっくりこないということは、あくまで『僕』が良いということなんでしょうね。でも、それによって奇異の目で見られるのも気になる、と。
ボクは何かの決断に迷ったときは、「それが命を懸けても守りたいものかどうか」という風に考えて決めています。大げさですよね(笑)。でも、あなたがいま迷っているということは、実はいつもそれくらいの決断を迫られているものなのではないでしょうか。
例えばそうですね、いまのボクなら拳銃を目の前に突きつけられて「性転換して女になれ!」と言われたら、「絶対イヤだ!」って答えるかもしれませんね。まあ、そしたら撃たれちゃうんですが。でも、ボクは自分の心を守れたことに後悔はしないと思います。
それと同時に大体のことに諦めもつくんです。「ああ、この世の中に命を懸けるほどのことなんて、あまりないんだな」とも気付きます。だから、あなたにとって一人称の「僕」が自分の命に代えても守りたい大切なアイデンティティーであれば、きっと周りの目を気にすることなく「僕」と言えるはずですよ。
「僕」と「私」。どちらを選んでも尊い決断だと思います。私を選んだとしても、あなたの心が失われたとはボクは思いません。身体からちょっぴり沁み出した心が、誰かに伝わる日もきっとくるはずです。

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薫くん、息子のことで相談したいことが あります。息子は、幼い頃から お母さんとお風呂に入ってなかったのが 理由です。 息子は、18歳になり、4月から大学生です。 女性を気持ち悪いって言うんです。 特に女性の裸が気持ち悪いと。 一緒の部屋で寝ていますが、全く、 オナニーをしている気配もありません。 唯一、ラブライブに熱中してるのは分かります。 でも、親としては、この先、どうなるのか心配です。 薫くんの考えが聞きたいです。

ははあ……なるほど。お子さんを心配するお気持ちはわかります。できれば、自分の子どもには幸せになってもらいたいと願うものですよね。
そういえば、ボクは小学校低学年のころ、自転車の練習に母が付き合ってくれたことがありました。朝から始めて、何度も何度も転んで、その度に母親が慰めてくれて、もう一回乗って。でも、絶対に母から「やめる?」とは言わなかったなぁ……。そんなことを繰り返して夕方やっと自転車に乗れるようになりました。それまで痛くて痛くて何度も止めたかったですけど、やっぱり自転車に乗れたときはすごく嬉しかったのを覚えています。
幸せってどういうことを想像されますか?絶対の幸せってこの世にあるんでしょうか?結婚をして、子どもを産んで、家庭を持つ。こういうのもたしかに幸せですよね。また、例えば、たくさんのお金を持っていて明日の心配をすることなく自由気ままに暮らす。こういうのも幸せそうです。さて、お母さまはどのような幸せを想像されたでしょうか?
では、仮に好きでもない人と無理やり結婚をさせられ、家系のために子どもを産まされた女性がいたとして、これも結婚をして、子どもを産んで、家庭を持った人です。これは幸せでしょうか?また、大好きな人と巡り会ったのにその人が急死してしまい、保険金がたくさん下りてきたけれど仕事をする気も起きず自堕落な生活を送っている人がいたとして、これもお金をたくさん持っていて明日の心配をすることなく自由気ままに暮らしている人です。幸せって何なんでしょうね。
きっとボクは幸せって人それぞれなんだと思います。ゲームをやっていることが1番幸せな人もいるし、好きな人といる時間が1番幸せだという人もいて、だから、たぶん「お母さんが想像している幸せ」と「息子さんが想像している幸せ」も違うのではないでしょうか。全ての男性が女性に興味があるわけでもありませんし、性に関心があるわけでもありません。
でも、わかります。それでも絶対の幸せが息子さんに訪れるといいですよね。でもきっと、それって自分で見つけなきゃホントの幸せじゃないんです。見つかるまで探して、もがいて、傷付きながら、やっと見つけた幸せだから、みんな手に入れた喜びを感じられるんだと思いますよ。自転車の練習と同じように、ね。
だから、お母さんとしてはお辛いかもしれませんが、どうか息子さんの成長を見守っていてあげてください。転んだら、そのとき優しく手を差し伸べてあげるくらいが、ちょうどいいんですよ。

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好きな人が別にいる、セフレの人のことを好きになってしまいました。別の女の子の話をされてもセフレなので何も言えず、告白も失敗するのが目に見えてるので出来ません。でも会うたびに好きになっていってしまいます。これからどうしたらいいんでしょうか。

感情って、コントロールできたらすごく楽だと思いませんか。怒りが急にこみ上げて、相手を怒鳴りつけて傷つけてしまう度に、「この怒りをコントロールできたら……」って思ったりしません?また、急に悲しくなって、泣いちゃいけないときに我慢しようと思ってもどんどん涙が溢れてきて「この悲しみをコントロールできたら……」なんて考えてしまうこともありますよね。
恋愛感情もコントロールできたらいいかもしれません。誰かを好きになるときって、自分が幸せになるだけじゃなく、その人にも幸せになってもらいたいなーって思うものです。でも、例えば好きな人が自分以外の人と楽しそうに話していたり、手を繋いでいたりすると「なんでそんなことするの?!」とやめさせたくなりますよね。
あれ?でも、それって変です。好きな人に幸せになってもらいたいって思ってたのに、その人の楽しいことを奪おうとしています。不思議ですね。
全ての感情をコントロールできる人がいるとしたら、そういう気持ちにも上手に折り合いがつくのでしょうか。ボクはきっと感情って「わからない」というところからスタートすると思うんです。なぜだかわからないけど悲しい、なぜだかわからないけど悔しい。そういう、わからないものに出会ったとき、ボクらはわからない気持ちをぶつけるように感情を表に出してしまうんです。
だから、全ての感情をコントロールできる人は、きっとわかっている人なんです。「いま悲しいのはイヤなことを言われたからだ。なぜイヤだと思うのかは自分にこういうところがあって……」と感情に全部理由を付けられます。そしたら、改善点もわかっているから、行き場のない気持ちを誰かにぶつけたりすることはないんです。
そんな人がもし誰かから、「〇〇さんってどういう人?なに考えてる人?どういうところで生まれて、どういうご両親で、どういう場所で生きてきたの?」と聞かれたら、どう答えるんでしょうか。「そんなのわかんないよ。自分は〇〇さんじゃないんだから」と答えるような気がします。他人と自分って違うんだから、自分以外の人のことなんてわかんないとしか答えられないですよね。全部「わかっている」人は「わからない」ということもわかっているんです。
でも、自分以外の人のことはわからないのに、ある日突然「この人のことをわかりたい!」と思う人が現れます。これがつまり、一緒にいたい人、付き合いたいと思う人なんじゃないでしょうか。なんだかおかしいですよね。わからないことはいくら考えてもわからないのに、この人のことだけはわかりたいと思ってしまう。嫌われても傷つけても「わかりたい」という欲が、どんどんあなたから溢れてきてしまう。
きっと本当は、その人のことが大好きでその人の幸せを願うなら、互いに干渉せず、自分の感情を押し付けず、自分の愛だけを信じていたほうが良いはずなのに、それでも一緒にいたいと思うのはなぜなんでしょうか。きっと、その人にあなたのことも「わかってもらいたい」からなんですよね。
でも、その気持ちが相手に伝わらなかったとき、それはとても悲しいことかもしれません。1番わかってもらいたかった人に、わからないと言われてしまったらとても辛いと思います。そしたら、ボクはあなたが彼をわかるまで待つといいかなって思います。本当はわかることなんてないんですよ?でも、わかると思う日が来るんです。ちょっと今はわからないかもしれないですけどね。
それはつまり、あなたがその彼を諦めたときなんだと思うんです。納得するというんでしょうか。もうどうやっても彼にはわかってもらえないということをわかるときが来るんです。失敗しても全部が終わりだなんて思う必要はないんですよ。
だから、「わからないけど、この人のことがわかりたい」という気持ちが溢れて、どうしようもなくなったときは、その想いを告げてしまっていいんだとボクは思うんです。全部わかっている人も、全部わかっていない人も、そうやって止まらなくなった気持ちが「付き合いたい」って欲になって出てくるのですから。そんな無様で愚かで、でも、とても美しい感情をボクらは恋愛と呼んでいるのではないでしょうか。
いつかその彼があなたのこともわかりたいと思ってくれるといいですね。

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私は女であるのが嫌ですが、男になりたいというわけでもなく、男を好きになるけれど、心は極めて男に寄っています(海外の方に話したら「Gender的にはゲイだ」と言われました…??)。ノンセクシャルです。言葉使いも男で友達も男ばかりで、男友達には「まあ○○だから」みたいに流してもらえているので満足しています。ですがやはり性別は違うのでどこまで許されているのかわかりません。結局のところはヘテロなのですが、言動が男なのにある日好意を伝えられたりしたら相手は混乱するのではないかと思ったりします。このもやもやはどうすれば解消されるのでしょうか。漠然としすぎてまとまりません。支離滅裂でごめんなさい…

心と体って不思議ですよね。ボクは今このキーボードを打っている手を、紛れもなく「自分だ」と思っていますが、よく考えるとそれってちょっと変です。もしボクという存在が、ボクの身体そのものだとしたら、たまにキーボードを打ち間違えたり、誤字をしたりしないはずです。だってボクの身体がボクなんだから、自分の身体を完璧に使えるはずなんです。
でも、現に自分の身体を完全に自分のものとして扱うことができていない。もしかしたら、身体って心を伝えるための道具にしか過ぎないのかもしれませんね。このキーボードのように。
きっと紛れもなく自分だといえるものって、心だけなのではないでしょうか。でもそうなると、性別ってよくわからなくなりますよね。だって、性別って身体有りきで考えるものです。身体だけを見て男だとか女だとか判断するのは比較的簡単な気がします。
じゃあ、心に男とか女ってないのでしょうか?サバサバした性格の人を見て「男っぽいね」と言ったり、よく泣く人を「女みたいだ」って言ったりしますよね。でも、『ぽい』とか『みたい』って表現になるんです。だって全ての男性がサバサバしてるわけでも、全ての女性がよく泣くわけでもありません。あなたの言う通り、それが世間で言われている男の性格に《寄っている》か《そうではないか》ということでしかないんです。あなたの心は男とか女だというわけではなく、あなたでしかないのではないでしょうか。
そうすると、これからあなたが好きになる人もそうなのかもしれませんね。たしかに男性の身体をしていて、性格も紛れもなく男っぽいとしても、大切なのは心なんです。どこかによくいる男性というわけではなく、その人だけの心を持っています。だから、その人に何かを伝えるときは、その人の心を見つめてください。
もちろん向こうだってあなたのことを知らずに、見た目や性別や言動だけで勝手に「女だ」って思ったり、「男だ」って思ったりすることもあるでしょう。でも、大切なのは心と心の対話です。身体は道具ですから、いまはまだあなたの心を言葉にして上手く相手に伝えられないかもしれません。
でも、キーボードだって何度も何度も使っていくうちに、打つのが早くなったり、打ち間違えが減ったりします。あなたがあなたの心を伝えられるように、上手に自分の身体の使い方を覚えていけばいいんです。そしたら、きっと相手も心で感じてくれると思いますよ。
口で言って、心で話す。耳で聞いて、心で受け止める。そんな風に人と接せられたら素敵ですね。

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身の丈に合わない承認欲求が強くて苦しいです。せめて承認欲求に見合うほどの努力をしようと思っても、それによって自分の無能さが浮き彫りになっていきその欲求も強まるという悪循環です。自分で自分を認めて自尊心を守るためにはどうしたらいいのでしょうか。

他人から認めてもらえると嬉しいですよね。なんとなく「自分は生きてていいんだ」って思えます。逆に認めてもらえないと「自分の存在価値なんてまったくないんだ」と思ってなんだか苦しく感じちゃいますよね。
んーっと、そうですね、例えば……あ、ボクは「アスパラガス」って最高にかっこいいと思うんですが、この気持ちわかりますか?この前友だちに言ったんですけど、「はあ?何言ってんの。ただの茎じゃん」って言われてしまいました。そしたら、ボクもだんだんアスパラガスがただの茎に見えてきました。もう今ではアスパラガスに何の価値もないような気がします。
これが承認欲求を満たせない状態ですね。「自分にはこんなに価値がある」と思っているのに、他人からすれば「大したことないじゃん」って思われて、その価値を全然認めてもらえません。このままの状態でこの友人に「よし、じゃあアスパラガスを好きになるまで無理やり食べさせてやる!」って強制すると、もしかしたら友人は「もうアスパラガスを見るのもイヤだ……」と言いだすかもしれないですよね。
でも、おかしいです。あのときたしかにボクはアスパラガスを最高にかっこいいと思ってたのに、どうしてこのアスパラガスの価値をみんなに認めてもらえないのでしょうか。ちょっと考えて、友人にもう一度アスパラガスの魅力について話してみることにしました。「アスパラガスはこの緑色のボディが最高にクールなんだ。何と言ってもすごいのが光合成をするのは葉っぱじゃなくて茎のほうだってところだね」と言葉を尽くして伝えてみました。そしたら、友人が言うんです。「アスパラガス最高にかっこいいじゃん!」って。
そうすると、ボクもアスパラガスの魅力を伝えるためにいっぱいアスパラガスについて調べた分、もっとアスパラガスのことが好きになりました。
たぶん大切なのって伝え方なんです。例えばこれでアスパラガスが大流行して、お店からアスパラガスが買い尽くされて、アスパラガスの値段が高騰したとしましょう。でも、アスパラガス自体の価値って変わったんでしょうか?どこまで行っても茎は茎ですよね。
人間だって有名人も芸能人も大富豪も失業者も、見方を変えれば全員同じ「ヒト」でしかありません。だけど、あの人はすごいとか、この人は偉いとか言われるのはなんででしょう。それってきっと自分の価値の伝え方が上手な人たちなんでしょうね。逆にいえば全員に何かしらの価値があるということです。
あなたがあなたの価値を他人に上手に伝えて認めてもらうには、まずは自分の価値が何なのかを知ることが大切なのではないでしょうか。ボクがアスパラガスの価値を伝えるためにアスパラガスのことを調べたように。自分には何ができて、何ができないのか。誰かと比べるのではなくて、ね。まずはあなたが1番「自分の価値を知っている人」になってあげればいいんですよ。焦る必要はありません。アスパラガスだってただの茎だし、ボクもあなたもただのヒトなんです。
……あ、そうそう。知ってました?アスパラガスって放っておくと3mも伸びるんですって。もしかしたらあなたの価値も、まだ土の中に眠っているだけなのかもしれませんね。

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こんにちは。私はバイセクシャルの女です。 私は男性にも女性にも恋愛感情を持てるのですが、男性の中でいちばん好きなタイプは女装をしている人です。薫さんのように、メイクなどもしっかりしているフル女装の方が好きです。女装姿の彼とデートするのが夢です。 ですが私はパンセクシャルではないので、MtFの方には恋愛感情を持てません。 心が男性で、女性に恋愛感情を持てる男の人と、どのようにすれば出会うことが出来ますか?また、どのような努力をすればお付き合いすることが出来ますか? アドバイスお願いします。

こんにちは。
どうすれば『女装で心が男性で女性に恋愛感情を持てる男の人』と出会うことができるかですね。出会う場所というのはもちろんありますよ。ボクの知人でも女装の方と女性が出会えるイベントを開催している人がいますし、ネットでもそういう方のための掲示板やSNSがあったりするので、そういうところで探すこともできますね。
でも、人の心ってすごく難しいんです。ずーっと心は男で女装は趣味だって思ってた人が、ある日突然「やっぱり女になりたい」って言って、身体の性別を変えようとしたりする場合もあります。そういう人とあなたがもし付き合っていて、何年か後に急にそんなこと言いだしたらどうしましょう?「じゃあ、この人って私の理想じゃないじゃん!」って思いますよね。
こういうことって、今回の例に限らずよくあると思いませんか。出会ったころは素敵な人だと思ってたのに、付き合ってしばらく経つと「なんか違うな」って気付いてしまうこと。
前にAskに来た質問で『見た目で判断する社会が許せない』という方へ、「人間は箱みたいなもので、綺麗な箱の中身を覗いてみたいと思う人が多いから、中身を見てもらうには見た目もしっかり磨いていかなきゃいけないんですよ」とお答えしたことがありました。だって、どれだけ人間は見た目じゃないって思っても、やっぱり綺麗な人と一緒にいると楽しいし、そういう人と付き合えたら嬉しいなって思う人っていっぱいいるじゃないですか。
でも、同時にしょせん箱は箱だということも忘れちゃいけないことなんです。綺麗で豪華に装飾を施された箱を見つけて、「きっとこの箱には私が欲しかった宝物が入ってるんだ」と思って開けてみたら、全然違っていることだってあります。それって、そんな風に見せていたその箱が悪いんでしょうか。それともその箱を開けてしまったあなたが悪いんでしょうか。
もし箱の中身が途中から変わったのなら、箱のほうが悪いって思いますよね。詐欺みたいな感じです。でも、それは変わったわけじゃなくて、実はそういう中身だったってことなんだと思います。
その中身を見誤ることなく箱の中を覗いて、余すところなくその中身を確かめるにはどうしましょう。きっと身体をグッと箱の中に突っ込んで深く深く見ようとしますよね。
だから、もしあなたが素敵な人や理想のタイプに見える人に出会ったときは、是非その表面や浅いところではなく、その人の深い心の部分まで覗き込んでみてください。
箱の中身ってそれぞれ全部違うもので、「あの人みたいな」とか「こんな風な」って思い描いたものが必ずあるとは限らないんです。その人だけの心がきっとあるんです。そうすると、『女装で心が男性の人で女性に恋愛感情を持てる人』ではなくて、『その人』と付き合うにはどうすれば良いのかが見えてくると思いますよ。
誰かと比べるのではなく、その人だけの心を探してみてください。

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