私は女性なのですが、幼い頃から両親に「女は一歩下がって男に従うもの」「女はあまりでしゃばるものではない」といわれて育てられました。私はそれに対して窮屈な思いをしたり、反発したことは一度もありません。たしかにその通りだと感じながら成人を迎えました。だから、最近の「男女平等」だとか「女性は抑圧されている」という風潮に違和感や、場合によっては嫌悪を感じることも多いです。もちろん、私はすべての女性にそうあるべきと言いたいわけではなく、私個人として今後もそのように生きていきたいと思っています。そうした生き方は現代ではそれほど不自然で許されないことなのでしょうか。
そうですね、最近はなにかと平等や公平であることが重視されてきて、本人たちがそれで当たり前と思っていることでも「あなたみたいな考えを持ってる人がいるから、世の中がダメになるんだ」なんて言われてしまったりするんですよね。なかなか窮屈な社会になってきました。
あなたの考えはあなたのものとして、絶対に否定されるべきではないとボクは思います。ですが、他の人には他の人の考えがあって、それも否定されるべきではありません。どちらが正しいとか正しくないではなく、どちらも本人たちの中では絶対に正しい。だからこそ、自分と違う考えに触れてしまったとき、人はそれを不快に思ったり、反論したりしたくなってしまうんですよね。
ボクは自分と違う考えの人と出会ったときは、よくその人の話を聞くようにしています。それが正反対の考えであってもです。どうして不快な想いをして、わざわざ気に入らない考えを聞かなければいけないのかって思うかもしれませんね。でも、ボクはそれが人間にとってとても重要なことだと思うんです。
そうですね……ああ、そうだ。例えば「誰も」「何も」傷付けない形ってどんな形だと思いますか?ボクはきっとマルい形だと思うんですよね。ちょうど河原の石ころみたいに。ああいう石って山から川へと流れ行く長い間に、色んな石や、地面にぶつかって、だんだん角が取れて丸くなっていって、あんな形になりますよね。きっと、人もそんな感じなんじゃないかなって思うんです。
みんな最初は自分の考えが絶対に正しいって思っていて、それ以外は全部否定してやろうって感じに、とんがって生きてるんですよね。反抗期の時期とか(笑)。でも、色んな人の考えや生き方に触れて、ぶつかり合ったりして、だんだんと相手のことも受け入れられるようになってきます。河原の石と同じですね。みんながみんなそんな風に丸くなれたら、きっと考えの違いでモメたりすることなんてなくなるんじゃないかなって思うんです。
でも、そのためにはまず考えの違いに触れてみないとわからないんじゃないでしょうか。「男女平等」って訴えてる人たちだって、ただ理由もなく男女平等と叫んでるわけではないですし、あなたもただそういう風に育てられたから「女は一歩下がって男に従うもの」とも思っていないはずです。納得に足る理由がきっとどこかにあるんだと思います。
自分の考えも相手の考えも知るために、まずは触れてみること。そこで「やっぱりそういう考えは好きになれないな」と思ったら、それはそれでいいんです。そしたらあなたの考えがより深いものになりますし、受け入れられたら新しい世界が開けるかもしれません。あなたがどうすれば、この世の中でその考えを持って生きやすくできるかも、わかる可能性だってあります。
人間はみんなそれぞれ違った考えを持っていて、そのせいでたまにぶつかりあってしまう。最初から全員同じ考えだったら争いも喧嘩も起きないのに。でも、もしかしたらそれは、みんながマルに近付くためなのかもしれませんね。転がり続ける石のように。
あなたの考えはあなたのものとして、絶対に否定されるべきではないとボクは思います。ですが、他の人には他の人の考えがあって、それも否定されるべきではありません。どちらが正しいとか正しくないではなく、どちらも本人たちの中では絶対に正しい。だからこそ、自分と違う考えに触れてしまったとき、人はそれを不快に思ったり、反論したりしたくなってしまうんですよね。
ボクは自分と違う考えの人と出会ったときは、よくその人の話を聞くようにしています。それが正反対の考えであってもです。どうして不快な想いをして、わざわざ気に入らない考えを聞かなければいけないのかって思うかもしれませんね。でも、ボクはそれが人間にとってとても重要なことだと思うんです。
そうですね……ああ、そうだ。例えば「誰も」「何も」傷付けない形ってどんな形だと思いますか?ボクはきっとマルい形だと思うんですよね。ちょうど河原の石ころみたいに。ああいう石って山から川へと流れ行く長い間に、色んな石や、地面にぶつかって、だんだん角が取れて丸くなっていって、あんな形になりますよね。きっと、人もそんな感じなんじゃないかなって思うんです。
みんな最初は自分の考えが絶対に正しいって思っていて、それ以外は全部否定してやろうって感じに、とんがって生きてるんですよね。反抗期の時期とか(笑)。でも、色んな人の考えや生き方に触れて、ぶつかり合ったりして、だんだんと相手のことも受け入れられるようになってきます。河原の石と同じですね。みんながみんなそんな風に丸くなれたら、きっと考えの違いでモメたりすることなんてなくなるんじゃないかなって思うんです。
でも、そのためにはまず考えの違いに触れてみないとわからないんじゃないでしょうか。「男女平等」って訴えてる人たちだって、ただ理由もなく男女平等と叫んでるわけではないですし、あなたもただそういう風に育てられたから「女は一歩下がって男に従うもの」とも思っていないはずです。納得に足る理由がきっとどこかにあるんだと思います。
自分の考えも相手の考えも知るために、まずは触れてみること。そこで「やっぱりそういう考えは好きになれないな」と思ったら、それはそれでいいんです。そしたらあなたの考えがより深いものになりますし、受け入れられたら新しい世界が開けるかもしれません。あなたがどうすれば、この世の中でその考えを持って生きやすくできるかも、わかる可能性だってあります。
人間はみんなそれぞれ違った考えを持っていて、そのせいでたまにぶつかりあってしまう。最初から全員同じ考えだったら争いも喧嘩も起きないのに。でも、もしかしたらそれは、みんながマルに近付くためなのかもしれませんね。転がり続ける石のように。