問題のある家庭の育ってきた女性に対して男性は引いたり、結婚相手の対象から外す人も多い、と聞いたことがあります。実際どうなのでしょうか。漠然となんとなく「重い」という人もいれば、幸せな家庭のロールモデルが身近になかった人は自分が新しい家族を築く際に困難を伴う人が多い(これは割と統計的にそうらしいです)からと現実的な考えを持っている人もいます。仕方ないじゃん、別に救ってほしいなんて思ってないよとも思いつつ、普通の家庭で育って来た人特有の健やかさみたいなのがあるのもなんとなく分かるから劣等感も感じてます。こういう質問が「重い」のか…
多いかどうかはわからないですけど、そういう考え方も存在するのは事実だと思います。女性に対して男性が、という方向だけではないのでしょうが。
僕の場合は、母親がどちらかというとそのような考え方になってしまっている人のような気がしています。巡り合わせの問題からか、周囲に「問題のある家庭」をたくさん目にしてきた一方で(最近そんな話をしてくれるようになりました)、一応のところ自分はそれなりの家庭を築いてきたという自負がそうさせるようです。田舎特有のコミュニティの狭さが作用している面もあるのだと思います。
一方で僕はよくわかりません。もしかしたら知らず知らずのうちにそのような思考が植え付けられいるのかもしれないとも思いつつ、さしあたっては引いたりすることはまったくないと思います。結婚相手という意味では、そもそも僕は結婚という事象が自分の身に起こりうることとしてまだあまり観念できていないので、よくわからないしどうでもいいです(母親のこともありますが、例えば僕がそういうひととうまくいけば、考え方も変わるのではないでしょうかねえ。現状肯定の上手さと一種の諦念は母譲りな気がしています)。
結局相手の属性や境遇に関して「重い」とか言っちゃうひとって、お感じになっているように「俺が救ってやる」的な、「一緒に幸せをつくる」以上のヒロイズムに陥ってしまっているだけで、自分のヒロイズムが対応できそうもないから切り捨てて視界から外すような、それはそれで問題のある人物な気がします。普通の家庭で育って自己肯定に恵まれて過剰に健やかになってしまっているだけなのかもしれませんが。
「重い」に「相手の属性や境遇に関して」と付したのは、あなたが質問文で用いたふたつの「重い」がそれぞれ意味が違ってしまっているように思えたからで、相手の属性や境遇に関しての「重い」はひとつめ。質問文末尾の「重い」は単に、「相手の予想を超えて多くを求めてしまう」というような意味ではないでしょうか。ちなみに僕は長文の質問に関して長文で返すことにある種の喜びすら感じているので今回の質問が重いとは思いませんが、例えば140字以上の文章を読むのがおっくうでできない人にこの質問をぶつけるとそれは「重い」ということになるとは思います。
改めて質問にお答えするとすれば「そりゃそんなひともいるよ、でもそんな奴どうでもいいじゃん」ってことで、健やかさという幻想に近いパラメタに過剰にとらわれることもないと思いますよ。ある種の人間関係を築くことに関して、その資格のない人間なんていません。
僕の場合は、母親がどちらかというとそのような考え方になってしまっている人のような気がしています。巡り合わせの問題からか、周囲に「問題のある家庭」をたくさん目にしてきた一方で(最近そんな話をしてくれるようになりました)、一応のところ自分はそれなりの家庭を築いてきたという自負がそうさせるようです。田舎特有のコミュニティの狭さが作用している面もあるのだと思います。
一方で僕はよくわかりません。もしかしたら知らず知らずのうちにそのような思考が植え付けられいるのかもしれないとも思いつつ、さしあたっては引いたりすることはまったくないと思います。結婚相手という意味では、そもそも僕は結婚という事象が自分の身に起こりうることとしてまだあまり観念できていないので、よくわからないしどうでもいいです(母親のこともありますが、例えば僕がそういうひととうまくいけば、考え方も変わるのではないでしょうかねえ。現状肯定の上手さと一種の諦念は母譲りな気がしています)。
結局相手の属性や境遇に関して「重い」とか言っちゃうひとって、お感じになっているように「俺が救ってやる」的な、「一緒に幸せをつくる」以上のヒロイズムに陥ってしまっているだけで、自分のヒロイズムが対応できそうもないから切り捨てて視界から外すような、それはそれで問題のある人物な気がします。普通の家庭で育って自己肯定に恵まれて過剰に健やかになってしまっているだけなのかもしれませんが。
「重い」に「相手の属性や境遇に関して」と付したのは、あなたが質問文で用いたふたつの「重い」がそれぞれ意味が違ってしまっているように思えたからで、相手の属性や境遇に関しての「重い」はひとつめ。質問文末尾の「重い」は単に、「相手の予想を超えて多くを求めてしまう」というような意味ではないでしょうか。ちなみに僕は長文の質問に関して長文で返すことにある種の喜びすら感じているので今回の質問が重いとは思いませんが、例えば140字以上の文章を読むのがおっくうでできない人にこの質問をぶつけるとそれは「重い」ということになるとは思います。
改めて質問にお答えするとすれば「そりゃそんなひともいるよ、でもそんな奴どうでもいいじゃん」ってことで、健やかさという幻想に近いパラメタに過剰にとらわれることもないと思いますよ。ある種の人間関係を築くことに関して、その資格のない人間なんていません。