どんなひととお喋りしていても、たのしいことにはたのしいのですが、恋人とのそれがもっともたのしいです。あまりにもその感情がつよすぎるのか、ほかのひととの接触は、彼とのそれの代用でしかないのではないか、とおもってしまうくらいです。しかし、それだけ彼に対して盲目であるにもかかわらず、さいきん衝動的に「別れよう」と言いそうになっているじぶんがいます。どうしてそんな発想に至るのか、じぶんでは、よくわかりません。きしょうさん、どうか分析してください。(自覚しているうえでは、そんな衝動からは逃れたい気持ちのほうがつよいです)
ふむふむ。あなたがおっしゃっていることについて、「よくわかる」とはなかなか言えません。
かといって、いただいた質問文を読んで、特に僕の中で反発するところはまったくなく、すうっと胸に落ちてきました。
だから僕のこの「よくわからない」という感情は、身にせまる切実さという点では大きな差があるのでしょうが、あなたの抱えている「よくわからない」と遠くない種類のものだと思いました。
だからちょっとがんばって分析してみますね。あと、「分析してください」というご相談のいただきかた、なんとなく好きだと思いました。
■
さてさて、前置きはこのくらいで。
あなたはきっと、それなりに僕のask.fmなりTwitterなりをお読みになっていらっしゃる方だと思うので、ある程度前提とさせていただきたいのですが、僕はよく「それは恋人関係でなくていい」とか「わざわざ関係に名前を付けなくてもいい」とかいう言い方をします。恋人というありかた、付き合う/別れる、そんな概念に対してわざと疑義を唱えようとしているようなところがあります。
でも、あなたと恋人との関係は、僕が疑義を唱えようとしているそれとは違うものだと思うんです。そういうものがもしあるとするならば、ほんものの恋人関係だと思います。わざと型にはまろうとする向きもなければ、いたずらにしあわせを誇示するようなところもない。あこがれます、僕は経験したことのないものだし、きっと今後も訪れることのないものだから。
■
きっとそれは僕なんかには、ことばで言い表すことができないものなのだと思いますが、ひとつ表現をひねりだすとしたら、恋人とあなたの関係は「かんぺき」なのだと思います。
すてきな恋人を誰かに自慢したい、結婚してしあわせな家庭を築きたい、子どもが欲しい、そういうわかりやすい欲求からは自由で、いっぽうで疑うことなく楽しく、みたされている。これ以上のことってあるでしょうか。ほんもので、かんぺき。なんか大言壮語すぎて逆に不安にさせてしまうかもしれないとさえ思えてきました。あなたなら大丈夫だと思うけど。
かんぺきになってしまったほんもののそれは、すべての時間が永遠でないことを正しく認めるならば、あとは傷つけられて壊れるのを待つだけです。揺るぎなく完成してしまった関係は、そのままで時間を積み重ねることはいくらでもできるかもしれませんが、それ以上の段階に進むことはありません。
それすらあなたにとっては問題であるはずもなくて、そうして成り立っているのがあなたがたのいまなのだと思います。
しかし、いつかそこにきずが生まれてしまう可能性ももちろんある。それは主に外的要因によるものでしょうか。そして永遠ではない時間の流れをみつめるならば、それは可能性などではなく、厳然たる事実でもありましょう。
そうあったら、すべての理屈や感情、愛しさを超えて、自分でこわしたくなってしまうのも、僕にはわかる気がします。僕にはこんな喩えしかできないけど、もし紙とペンを前にしてフリーハンドで真円を描けたら(それは奇跡かもしれないけれど、確率としてはゼロではない)、しかし僕はきっと、その真円にいつか斜線を入れてしまうと思うんです。
「僕にはわかる」とした最後の部分は、どんなに頑張ってもことばにはなりませんでした。でも、あまりにも当たり前のこととして胸に落ちてきたので、そう書かせていただきました。
あなたと恋人がつくってきたものに、あなたにとって最も美しい終わりを導くためには、あなた自身がこわしてしまうほかないのだと思います。その衝動は、もしかしたら「それ以上の段階」を求めてしまう本能の叫びのようなものかもしれないとさえ感じます。
■
分析としては、このくらいです。
もうひとつ僕から付け加えることがあるとするならば、もしもあなたがその衝動にさいなまれてしまった瞬間にそこにいたら、僕は全力で、いっそ醜いくらいにそれを止めようとすると思います。
理由はわかりません。僕はあなたが身を浸しているその関係を、素敵だと思うことこそあれ、大切にする理由も権利もなければ、そんなことに醜くエネルギーを使うのも合理的でないし、また僕がどうあがいたってそうなったあなたに影響を及ぼすことはできないと思います(結末がどちらに落ち着くかという問題ではないです)。
こんなことを付け加えている理由も、ちょっとわかりませんね。
まあ頑張って長々と書いてみました、ということで。このくらいにしておきます。
かといって、いただいた質問文を読んで、特に僕の中で反発するところはまったくなく、すうっと胸に落ちてきました。
だから僕のこの「よくわからない」という感情は、身にせまる切実さという点では大きな差があるのでしょうが、あなたの抱えている「よくわからない」と遠くない種類のものだと思いました。
だからちょっとがんばって分析してみますね。あと、「分析してください」というご相談のいただきかた、なんとなく好きだと思いました。
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さてさて、前置きはこのくらいで。
あなたはきっと、それなりに僕のask.fmなりTwitterなりをお読みになっていらっしゃる方だと思うので、ある程度前提とさせていただきたいのですが、僕はよく「それは恋人関係でなくていい」とか「わざわざ関係に名前を付けなくてもいい」とかいう言い方をします。恋人というありかた、付き合う/別れる、そんな概念に対してわざと疑義を唱えようとしているようなところがあります。
でも、あなたと恋人との関係は、僕が疑義を唱えようとしているそれとは違うものだと思うんです。そういうものがもしあるとするならば、ほんものの恋人関係だと思います。わざと型にはまろうとする向きもなければ、いたずらにしあわせを誇示するようなところもない。あこがれます、僕は経験したことのないものだし、きっと今後も訪れることのないものだから。
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きっとそれは僕なんかには、ことばで言い表すことができないものなのだと思いますが、ひとつ表現をひねりだすとしたら、恋人とあなたの関係は「かんぺき」なのだと思います。
すてきな恋人を誰かに自慢したい、結婚してしあわせな家庭を築きたい、子どもが欲しい、そういうわかりやすい欲求からは自由で、いっぽうで疑うことなく楽しく、みたされている。これ以上のことってあるでしょうか。ほんもので、かんぺき。なんか大言壮語すぎて逆に不安にさせてしまうかもしれないとさえ思えてきました。あなたなら大丈夫だと思うけど。
かんぺきになってしまったほんもののそれは、すべての時間が永遠でないことを正しく認めるならば、あとは傷つけられて壊れるのを待つだけです。揺るぎなく完成してしまった関係は、そのままで時間を積み重ねることはいくらでもできるかもしれませんが、それ以上の段階に進むことはありません。
それすらあなたにとっては問題であるはずもなくて、そうして成り立っているのがあなたがたのいまなのだと思います。
しかし、いつかそこにきずが生まれてしまう可能性ももちろんある。それは主に外的要因によるものでしょうか。そして永遠ではない時間の流れをみつめるならば、それは可能性などではなく、厳然たる事実でもありましょう。
そうあったら、すべての理屈や感情、愛しさを超えて、自分でこわしたくなってしまうのも、僕にはわかる気がします。僕にはこんな喩えしかできないけど、もし紙とペンを前にしてフリーハンドで真円を描けたら(それは奇跡かもしれないけれど、確率としてはゼロではない)、しかし僕はきっと、その真円にいつか斜線を入れてしまうと思うんです。
「僕にはわかる」とした最後の部分は、どんなに頑張ってもことばにはなりませんでした。でも、あまりにも当たり前のこととして胸に落ちてきたので、そう書かせていただきました。
あなたと恋人がつくってきたものに、あなたにとって最も美しい終わりを導くためには、あなた自身がこわしてしまうほかないのだと思います。その衝動は、もしかしたら「それ以上の段階」を求めてしまう本能の叫びのようなものかもしれないとさえ感じます。
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分析としては、このくらいです。
もうひとつ僕から付け加えることがあるとするならば、もしもあなたがその衝動にさいなまれてしまった瞬間にそこにいたら、僕は全力で、いっそ醜いくらいにそれを止めようとすると思います。
理由はわかりません。僕はあなたが身を浸しているその関係を、素敵だと思うことこそあれ、大切にする理由も権利もなければ、そんなことに醜くエネルギーを使うのも合理的でないし、また僕がどうあがいたってそうなったあなたに影響を及ぼすことはできないと思います(結末がどちらに落ち着くかという問題ではないです)。
こんなことを付け加えている理由も、ちょっとわかりませんね。
まあ頑張って長々と書いてみました、ということで。このくらいにしておきます。
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れいこ