誰かを好きになると、どうしてそのひとに触れたいと思うのでしょうか。かくいう私も、好きなひとに触れていろいろなことをしたいという気持ちはあります。その気持ちがこまった問題を引き起こすこともあると思います。なんか、好きなひとと、たとえば(なんでもいいんですが)じゃんけんをすることで最高に満たされた気持ちになることってできないものでしょうか。(チョキ)
なんかここのところの、質問文で芸術点を狙いに行くような流れなんなんですかね。
おもしろいし、たのしいし、うれしいですけど。
■
さてさて。
「触れたい」と思うこと自体は、人間が動物であることから逃れられないということの証左だと思います。
好きなひとと身体的接触があったとして、何か現実の問題が解決するわけでもなければ、同じく精神面にも理性的に訴えかけてくるものはないはずですけど、だけどあんなに満たされて、救われて、ときには何かをごまかされてしまいますね?
人間の営為や心の動きを説明しようとすれば、理性的、合理的にあるほかないのですけど、しかしそれが無視し、あるいは説明し得ないものによって、社会は動かされているように思います。
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ところで「こまった問題」とは、何を指していらっしゃるのでしょうか。
身体的接触によって直接に傷つけられてしまうケースもありますよね。あるいは身体的接触という理性的には説明し得ない行為の中で、間接に傷ついてしまうこともあると思います。
でもそれは、身体的接触が動物である人間にとって換えのきかない行為であることを考えれば、どうしようもないことなのかな、と思います。
だからこそ、例えばじゃんけんをすることによって満たされればいいのではないかと思ったりしていらっしゃるのだと思いますが、それもなかなか難しい。
それは本能に根ざしたものではおそらくないということもありますが、「好き」という感情に一定以上不可避にともなう独占欲のようなものを満たしにくい、ということも大きいのではないでしょうか。
もしそんなことがあったとして、あなたはきっと、恋人が誰かとじゃんけんをしているのをみたとき、嫉妬に狂ってしまうことになります。
これはやっぱり、「こまった問題」ではないでしょうか。
■
だから人間は、好きなひととの身体的接触からくる喜びからも痛みからも、きっと永遠に逃れ得ないのでしょう。残念ながら、そう思います。
でもあなたも、「こまった問題」が起こったときにこまったこまったと思うことはあれ、そのこと自体をほんとうに憎んでいるわけでもないのではないでしょうか。
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というわけで、じゃんけんをすること自体は、やっぱり特に誰とやっても差し支えないという結論になりました。
後出しじゃんけんをする趣味はございませんので、僕はこんな感じで。(チョキ)
あいこになりましたので、いつかお目にかかった際には改めて続きをいたしましょう。
それまでにあなたが、「こまった問題」に押しつぶされることだけはありませんように。
おもしろいし、たのしいし、うれしいですけど。
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さてさて。
「触れたい」と思うこと自体は、人間が動物であることから逃れられないということの証左だと思います。
好きなひとと身体的接触があったとして、何か現実の問題が解決するわけでもなければ、同じく精神面にも理性的に訴えかけてくるものはないはずですけど、だけどあんなに満たされて、救われて、ときには何かをごまかされてしまいますね?
人間の営為や心の動きを説明しようとすれば、理性的、合理的にあるほかないのですけど、しかしそれが無視し、あるいは説明し得ないものによって、社会は動かされているように思います。
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ところで「こまった問題」とは、何を指していらっしゃるのでしょうか。
身体的接触によって直接に傷つけられてしまうケースもありますよね。あるいは身体的接触という理性的には説明し得ない行為の中で、間接に傷ついてしまうこともあると思います。
でもそれは、身体的接触が動物である人間にとって換えのきかない行為であることを考えれば、どうしようもないことなのかな、と思います。
だからこそ、例えばじゃんけんをすることによって満たされればいいのではないかと思ったりしていらっしゃるのだと思いますが、それもなかなか難しい。
それは本能に根ざしたものではおそらくないということもありますが、「好き」という感情に一定以上不可避にともなう独占欲のようなものを満たしにくい、ということも大きいのではないでしょうか。
もしそんなことがあったとして、あなたはきっと、恋人が誰かとじゃんけんをしているのをみたとき、嫉妬に狂ってしまうことになります。
これはやっぱり、「こまった問題」ではないでしょうか。
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だから人間は、好きなひととの身体的接触からくる喜びからも痛みからも、きっと永遠に逃れ得ないのでしょう。残念ながら、そう思います。
でもあなたも、「こまった問題」が起こったときにこまったこまったと思うことはあれ、そのこと自体をほんとうに憎んでいるわけでもないのではないでしょうか。
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というわけで、じゃんけんをすること自体は、やっぱり特に誰とやっても差し支えないという結論になりました。
後出しじゃんけんをする趣味はございませんので、僕はこんな感じで。(チョキ)
あいこになりましたので、いつかお目にかかった際には改めて続きをいたしましょう。
それまでにあなたが、「こまった問題」に押しつぶされることだけはありませんように。