「嫌い」に理由って必要だと思いますか?
必ずしも必要なものではないと思います。「嫌い」って言語化できないこと、自分でもそれがなぜ嫌いなのかは判らないこともあると思いますし。
ただ、自分が嫌いだと感じるもの、受け付けられないものに対して「なぜ自分はそれがダメなのか」を自分で向き合ってみるのは、時には必要かなとも思います。
「自分が嫌いだと思うもの」って、大別して
・そもそも、基本的に大半の人が好きではないもの(例えば、腐敗したものとか、何かを失うこととか、残業とか宿題とか休日出勤とかは、基本的にあまり好きな人は多くないと思います)
・自分自身の思想や生き方や好み、外見などに合わないもの、反しているもの(マジメに生きてる人には反社会的な生業の人は快く思えないだろうし、常に前向きな人にはなんでも後向きな考え方の人は鬱陶しく感じるだろうし、派手な服を好む人は地味な服は興味ないだろうし、みたいな事ですね)
・理由でなく苦手なもの、嫌いなもの(例えば「高い所が怖い」「爬虫類がダメ」「霊的なものや話が苦手」「蓮の花のブツブツが見られない」みたいなのは、もう完全にその人それぞれに生まれ持った「理由じゃなくて苦手なもの」だと思います)
・自分自身が同調する・共感する要素を感じるが、それと同時に自分自身の中にある悪い部分や足りていない部分、良くない部分を鏡写しですごく見せられているような気持ちになるもの(これは後述します)
の4つに分けられると思うんです。
その中で、上の3つが嫌いと感じるのは「そういうもの」として片付けていいと思うんですが、問題なのは最後のやつで。
人間って、自分が嫌いだと思うものって、自分が合わないもの・認めていないものだけでなくて、すごく自分に近いと感じるものでも、その中に何かひとつでも自分が絶対に許せない何かがあると、強烈に認められなくなる、反発してしまう性質があると思います。その場合は「嫌い」というより、自分が嫌いだと思っているものの正体は自分の中にある嫉妬か、あるいは自分の中にある悪い部分を(自分に似た)他人が勝手に曝け出しているような気分になって自分がダメージを受けさせられているような気分になっているか、そういう事も少なくないと思うんです。
なので、その辺を自分の中で見極めて「自分がいま感じている、この「嫌い」はどれなのか」ってのを自分の中で落とせるようになっておくのは、悪いことではないと思います。
(逆に言うと、その辺の整理ができてない人は、一般的にみんな嫌いなものも、自分の生き方に合わないものも、自分が生理的にダメなものも、自分にそっくりすぎて認められないものも、全部いっしょくたに「キモい」「ダサい」みたいな言葉にしてしまいがちだと思うし、そういう人の言う「嫌い」に囚われない、いちいち振り回されないようにしてるのも大事かなって思います)
ただ、自分が嫌いだと感じるもの、受け付けられないものに対して「なぜ自分はそれがダメなのか」を自分で向き合ってみるのは、時には必要かなとも思います。
「自分が嫌いだと思うもの」って、大別して
・そもそも、基本的に大半の人が好きではないもの(例えば、腐敗したものとか、何かを失うこととか、残業とか宿題とか休日出勤とかは、基本的にあまり好きな人は多くないと思います)
・自分自身の思想や生き方や好み、外見などに合わないもの、反しているもの(マジメに生きてる人には反社会的な生業の人は快く思えないだろうし、常に前向きな人にはなんでも後向きな考え方の人は鬱陶しく感じるだろうし、派手な服を好む人は地味な服は興味ないだろうし、みたいな事ですね)
・理由でなく苦手なもの、嫌いなもの(例えば「高い所が怖い」「爬虫類がダメ」「霊的なものや話が苦手」「蓮の花のブツブツが見られない」みたいなのは、もう完全にその人それぞれに生まれ持った「理由じゃなくて苦手なもの」だと思います)
・自分自身が同調する・共感する要素を感じるが、それと同時に自分自身の中にある悪い部分や足りていない部分、良くない部分を鏡写しですごく見せられているような気持ちになるもの(これは後述します)
の4つに分けられると思うんです。
その中で、上の3つが嫌いと感じるのは「そういうもの」として片付けていいと思うんですが、問題なのは最後のやつで。
人間って、自分が嫌いだと思うものって、自分が合わないもの・認めていないものだけでなくて、すごく自分に近いと感じるものでも、その中に何かひとつでも自分が絶対に許せない何かがあると、強烈に認められなくなる、反発してしまう性質があると思います。その場合は「嫌い」というより、自分が嫌いだと思っているものの正体は自分の中にある嫉妬か、あるいは自分の中にある悪い部分を(自分に似た)他人が勝手に曝け出しているような気分になって自分がダメージを受けさせられているような気分になっているか、そういう事も少なくないと思うんです。
なので、その辺を自分の中で見極めて「自分がいま感じている、この「嫌い」はどれなのか」ってのを自分の中で落とせるようになっておくのは、悪いことではないと思います。
(逆に言うと、その辺の整理ができてない人は、一般的にみんな嫌いなものも、自分の生き方に合わないものも、自分が生理的にダメなものも、自分にそっくりすぎて認められないものも、全部いっしょくたに「キモい」「ダサい」みたいな言葉にしてしまいがちだと思うし、そういう人の言う「嫌い」に囚われない、いちいち振り回されないようにしてるのも大事かなって思います)