山下担のお母様が誕生した瞬間~いくたそさんを洗脳~いくたそさんが手越担になった時の話を聞いてみたいです♡♡♡
質問ありがとうございます。
私がアンチジャニーズ(しかも特にNEWSが嫌い)→てごし担になった経緯ですね。
まず、私は小学生の時には普通にジャニーズが好きでした。
運動会とか楽しみに見てたし、初めて買ったCDは「ジェットコースターロマンス」(歌が好きとかっていうより、kinkiのCD持ってるよって言いたい)
太一君のこと好きだった時期もあったなあ。
小学5年生の時に放送された池袋ウエストゲートパーク
太一君も好きだし長瀬君も好きだった私はクラスで話題のそのドラマを見た。
何話か忘れたけど山Pがロッカーから羽根にまみれて遺体で出てくるシーンに震える。遺体の山P美しすぎて怖すぎてトラウマになる。
そしてそのままなんだかスルリとジャニーズの世界から離れる(山Pは悪くないよ)
手越くんが事務所に入所した2002年12月1日
私は中学2年生でした。勉強もそれなりに頑張っていたし、吹奏楽部も一生懸命やってたし、毎週末朝から晩まで遊びに行くような友達にも恵まれていたし彼氏もいたし絵にかいたようなリア充JCだった。
そんなリアルな世界に充実していた私は「ジャニーズとかうざ」って思うようになっていった。というか、そういう事言いたい系女子だった←
山Pがテレビに出ると例のアレを思い出してザワッとした。
上戸彩の金八は見ていた。シゲは記憶に残っている。
翌年、NEWSというグループがデビューした。セブンイレブンで団扇やCDが売られているのを見た。森進一の息子がこの中にいるらしいと聞いた。私は適当に茶髪の顔の細い男を指さして「こいつあたりじゃない?」と言った。
今思えばあれは慶ちゃんだった気がする。
2004年、高校に入学。すぐ仲良くなった3人の友達のうち、1人は仁亀P推しDDジャニヲタ、もう一人はデビュー前から熱心に松潤を応援していた今でも仲のいい友達。
仁亀P推しのMちゃんから毎日毎日ものすごい勢いでカツンとNEWSの情報を刷り込まれる私。正直うんざりだったけどカツンとNEWSの事を覚えるとMちゃんが喜ぶので覚えた。
翌年、修学旅行があった。嵐山のジャニショに行こうってみんな盛り上がっていたけど、私は時間の無駄なので近くのよーじやで時間をつぶした。
修学旅行後、野ブタが超ブームになる。一応見たけど、騒がれるほど面白くないと思った。
次のクールではガチバカを見た。
Mちゃんから「また未成年飲酒が出た、活動停止になる」と聞いた。そのメンバーは茶髪だって聞いて、私はガチバカに出ている茶髪の方か…と思った。
結局違ったようだ。ごめんまっすー
そのままNEWSは活動停止に。春休み暇だと話したらMちゃんが頼んでもいないのに野ブタの録画DVDを貸してくれた。
家で流していると、それを覗いてきたお母さんがアキラ演じる山Pのハイテンションな演技をみて「なにこいつ頭おかしいの?」と聞いてきた。
私は飽きて途中で寝たけど、お母さんは暇つぶしにそのあとも見続けていた。
翌日、私が起きたらそこには山下担になっているお母さんがいた。
私は学校ばかりでなく家でもNEWSや山Pの音楽や映像を流されるのが正直辛抱たまらん状態だった。
山PのLOVE SONGを死ぬほど聴かされノイローゼになりかけた。トゥットゥットゥール
お母さんはそんな娘をなんとかしようと、必死に山Pのマブダチである赤西のプロモーションをしてきた。
私は赤西には全く抵抗がなく、むしろ歌も上手くてかっこいいしアネゴもキュンキュンしながら見ていたのですんなりそれを受け入れた。
赤西君すきかも…♡!赤西くんのファンになっちゃったかも…♡!
そう思ったちょうど1週間後、赤西君は留学会見をひらいた。
娘をあと一歩のところでジャニヲタにし損ねたおかあさんは正直焦っていた。
こうなりゃ娘が一番嫌っているNEWSで誰かを好きにさせるしかないと思ったそう。
私は疾走もガチバカもマイボスも氷点も何気に見ていて、「手越くんってジャニーズなのにふつうっぽくて嫌いじゃない」と言っていた。のちにジャニーズの中でもかなり変な部類に進化するとはまだ思ってもいない頃だ。
お母さんは「手越くん」に狙いを定めた。嫌いじゃない、と言っただけなのにまるで好きだと言ったかのように手越くんの載っている雑誌を見せてきて「手越ってねえ、歌もメンバーで一番うまくて、顔もどんどん垢抜けてかっこよくなってて、いくちゃんの1個上なんだよお、お母さん手越イイとおもうわあ」
Mステでソロで歌う手越くんを見る。
歌が思った以上に上手くて驚く。
テゴマスがミソスープでデビュー
最初に聞いたときはまだアンチ精神が残っていて「ハッ!ミソスープってなんだよ」って言う。(しかしファンとなった今、新曲がミソスープだと言われても同じ反応をするような気もする)
2006年12月24日ついに運命の日
音楽戦士という番組にテゴマスが出演、さらに●Pさんもコメントを寄せるとききお母さんにつき合わされ深夜に視聴。
Mステで見た時よりさらにほっぺもシャープになって綺麗になっている手越くんに驚愕。そしてやはり歌も上手い。ジャニーズなんて歌えないじゃんっていう自分の中の定義がガラガラと崩れる(おいまて堂本剛くん好きだったよな)
手越くんやばいかも、手越くんちょっと好きかもかっこいいかも
って思い、そのまま寝ずに次の朝塾へ。
塾の最中も手越くんの事を考える。
そして塾終わりに近くのCDショップへ。
ミソスープの初回限定盤が売っている。初回限定盤が売っているとか奇跡では?!(予約しないと買えないと思っている)
おそるおそるCDを手に取る。
『私が、これを?買う?よりにもよってNEWSのメンバーのCDを?この私が?(どの私だよw)』
でも初回限定盤が置いてあることを奇跡だと勘違いしている私、小学5年生で買った「みんなでワーッハッハ」以来6年ぶりにCDを購入する。
特典DVDを見た勢いでそのままyoutubeを漁る。
数日後にはSUMMERY、0304を買い足す。ずっと避けていたジャニヲタへの扉を開いた瞬間から斜度60度くらいの坂を転がり落ちる勢いで手越担に。
活動停止の間もずっと信じて待っていたファンには本当申し訳ないんだけど手越担になって6日でNEWSが復活←
イッテQのレギュラーが決定、ハッピーフィートの主演声優も決定、春高バレーも決定、初めてのコンサート、キッス発売と、本当に手越担になるのか?とか考え直す暇もなくのめりこみ、そして現在に至ります。
今はもうお母さんと一緒にNEWS担を名乗ることはできないけど、大人になる前に親子で一緒に大好きなものを共有できてよかった。
初めてのコンサート、てごちゃんは私達の右側でフライング、山Pは私たちの左側で花道を歩いていて、お母さんと全く反対の方向を向きながら「かっっ……こいいねえ…」って言ったの覚えているよ。
歌も、動画も、テレビも、DVDも、雑誌も、全部全部新しいくて、私も一度だけ経験したド新規時代はそれはそれは本当に楽しかった。あのどんどん好きになっちゃう感じって本当楽しいよね。
この話面白いかな(笑)
以上が、私の手越担に転がり落ちた経緯の全貌でした!
私がアンチジャニーズ(しかも特にNEWSが嫌い)→てごし担になった経緯ですね。
まず、私は小学生の時には普通にジャニーズが好きでした。
運動会とか楽しみに見てたし、初めて買ったCDは「ジェットコースターロマンス」(歌が好きとかっていうより、kinkiのCD持ってるよって言いたい)
太一君のこと好きだった時期もあったなあ。
小学5年生の時に放送された池袋ウエストゲートパーク
太一君も好きだし長瀬君も好きだった私はクラスで話題のそのドラマを見た。
何話か忘れたけど山Pがロッカーから羽根にまみれて遺体で出てくるシーンに震える。遺体の山P美しすぎて怖すぎてトラウマになる。
そしてそのままなんだかスルリとジャニーズの世界から離れる(山Pは悪くないよ)
手越くんが事務所に入所した2002年12月1日
私は中学2年生でした。勉強もそれなりに頑張っていたし、吹奏楽部も一生懸命やってたし、毎週末朝から晩まで遊びに行くような友達にも恵まれていたし彼氏もいたし絵にかいたようなリア充JCだった。
そんなリアルな世界に充実していた私は「ジャニーズとかうざ」って思うようになっていった。というか、そういう事言いたい系女子だった←
山Pがテレビに出ると例のアレを思い出してザワッとした。
上戸彩の金八は見ていた。シゲは記憶に残っている。
翌年、NEWSというグループがデビューした。セブンイレブンで団扇やCDが売られているのを見た。森進一の息子がこの中にいるらしいと聞いた。私は適当に茶髪の顔の細い男を指さして「こいつあたりじゃない?」と言った。
今思えばあれは慶ちゃんだった気がする。
2004年、高校に入学。すぐ仲良くなった3人の友達のうち、1人は仁亀P推しDDジャニヲタ、もう一人はデビュー前から熱心に松潤を応援していた今でも仲のいい友達。
仁亀P推しのMちゃんから毎日毎日ものすごい勢いでカツンとNEWSの情報を刷り込まれる私。正直うんざりだったけどカツンとNEWSの事を覚えるとMちゃんが喜ぶので覚えた。
翌年、修学旅行があった。嵐山のジャニショに行こうってみんな盛り上がっていたけど、私は時間の無駄なので近くのよーじやで時間をつぶした。
修学旅行後、野ブタが超ブームになる。一応見たけど、騒がれるほど面白くないと思った。
次のクールではガチバカを見た。
Mちゃんから「また未成年飲酒が出た、活動停止になる」と聞いた。そのメンバーは茶髪だって聞いて、私はガチバカに出ている茶髪の方か…と思った。
結局違ったようだ。ごめんまっすー
そのままNEWSは活動停止に。春休み暇だと話したらMちゃんが頼んでもいないのに野ブタの録画DVDを貸してくれた。
家で流していると、それを覗いてきたお母さんがアキラ演じる山Pのハイテンションな演技をみて「なにこいつ頭おかしいの?」と聞いてきた。
私は飽きて途中で寝たけど、お母さんは暇つぶしにそのあとも見続けていた。
翌日、私が起きたらそこには山下担になっているお母さんがいた。
私は学校ばかりでなく家でもNEWSや山Pの音楽や映像を流されるのが正直辛抱たまらん状態だった。
山PのLOVE SONGを死ぬほど聴かされノイローゼになりかけた。トゥットゥットゥール
お母さんはそんな娘をなんとかしようと、必死に山Pのマブダチである赤西のプロモーションをしてきた。
私は赤西には全く抵抗がなく、むしろ歌も上手くてかっこいいしアネゴもキュンキュンしながら見ていたのですんなりそれを受け入れた。
赤西君すきかも…♡!赤西くんのファンになっちゃったかも…♡!
そう思ったちょうど1週間後、赤西君は留学会見をひらいた。
娘をあと一歩のところでジャニヲタにし損ねたおかあさんは正直焦っていた。
こうなりゃ娘が一番嫌っているNEWSで誰かを好きにさせるしかないと思ったそう。
私は疾走もガチバカもマイボスも氷点も何気に見ていて、「手越くんってジャニーズなのにふつうっぽくて嫌いじゃない」と言っていた。のちにジャニーズの中でもかなり変な部類に進化するとはまだ思ってもいない頃だ。
お母さんは「手越くん」に狙いを定めた。嫌いじゃない、と言っただけなのにまるで好きだと言ったかのように手越くんの載っている雑誌を見せてきて「手越ってねえ、歌もメンバーで一番うまくて、顔もどんどん垢抜けてかっこよくなってて、いくちゃんの1個上なんだよお、お母さん手越イイとおもうわあ」
Mステでソロで歌う手越くんを見る。
歌が思った以上に上手くて驚く。
テゴマスがミソスープでデビュー
最初に聞いたときはまだアンチ精神が残っていて「ハッ!ミソスープってなんだよ」って言う。(しかしファンとなった今、新曲がミソスープだと言われても同じ反応をするような気もする)
2006年12月24日ついに運命の日
音楽戦士という番組にテゴマスが出演、さらに●Pさんもコメントを寄せるとききお母さんにつき合わされ深夜に視聴。
Mステで見た時よりさらにほっぺもシャープになって綺麗になっている手越くんに驚愕。そしてやはり歌も上手い。ジャニーズなんて歌えないじゃんっていう自分の中の定義がガラガラと崩れる(おいまて堂本剛くん好きだったよな)
手越くんやばいかも、手越くんちょっと好きかもかっこいいかも
って思い、そのまま寝ずに次の朝塾へ。
塾の最中も手越くんの事を考える。
そして塾終わりに近くのCDショップへ。
ミソスープの初回限定盤が売っている。初回限定盤が売っているとか奇跡では?!(予約しないと買えないと思っている)
おそるおそるCDを手に取る。
『私が、これを?買う?よりにもよってNEWSのメンバーのCDを?この私が?(どの私だよw)』
でも初回限定盤が置いてあることを奇跡だと勘違いしている私、小学5年生で買った「みんなでワーッハッハ」以来6年ぶりにCDを購入する。
特典DVDを見た勢いでそのままyoutubeを漁る。
数日後にはSUMMERY、0304を買い足す。ずっと避けていたジャニヲタへの扉を開いた瞬間から斜度60度くらいの坂を転がり落ちる勢いで手越担に。
活動停止の間もずっと信じて待っていたファンには本当申し訳ないんだけど手越担になって6日でNEWSが復活←
イッテQのレギュラーが決定、ハッピーフィートの主演声優も決定、春高バレーも決定、初めてのコンサート、キッス発売と、本当に手越担になるのか?とか考え直す暇もなくのめりこみ、そして現在に至ります。
今はもうお母さんと一緒にNEWS担を名乗ることはできないけど、大人になる前に親子で一緒に大好きなものを共有できてよかった。
初めてのコンサート、てごちゃんは私達の右側でフライング、山Pは私たちの左側で花道を歩いていて、お母さんと全く反対の方向を向きながら「かっっ……こいいねえ…」って言ったの覚えているよ。
歌も、動画も、テレビも、DVDも、雑誌も、全部全部新しいくて、私も一度だけ経験したド新規時代はそれはそれは本当に楽しかった。あのどんどん好きになっちゃう感じって本当楽しいよね。
この話面白いかな(笑)
以上が、私の手越担に転がり落ちた経緯の全貌でした!
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