人文学はなぜ必要なのか?

ご質問ありがとうございます。最近また文系の学問が役に立つかどうか話が盛り上がっていますね。だいたい話題は出尽くしていると思うのに何度も盛り上がっては同じ意見を言い合って終わるというのは、それだけテーマ自体がいろいろな人の心の琴線に触れる部分があるのでしょうね。今回は文部科学省の通知という呼び水があったのも大きいでしょうが、しかし通知の本文を読んで議論してらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうね。
それはともかく、「人文学は必要か」「人文学はなぜ必要か」といった問いは、近似としてもおおざっぱすぎです。
まず、必要性が問われているものが「人文学そのもの」なのか「大学における人文学教育」なのか「大学における人文学研究」なのか「大学における人文学研究者の雇用」なのか、さらにその上に「日本における」がつくのかつかないのか、あとは大学といっても国立大学に限定するのかしないのかも、議論の流れによっては影響してくるでしょう。
次にどういう分野を念頭におくかもはっきりさせておいた方がいいでしょう。人文学といっても多種多様で、どいういう意味の必要性について論じるにせよ、人文学と呼ばれる領域全体において状況が同じということはまずないと思います。伝統的な分野として「哲学」「史学」「文学」があって、「心理学」や「社会学」も人文学に含めることがあり、うちの大学の文学部を考えてもこのカテゴリーにうまくおさまらない「地理学」「言語学」「人類学」「二十世紀学」などもあり、「科学哲学科学史」のような人文系内学際分野もあり、また、教育学部でやられている教育学系の諸分野など、人文系の方法論を共有しているいろいろな分野がさまざまなところで研究・教育されています。もちろん、このおおまかな分類の下位分類の間でも状況は大きくばらつき、一概の議論はできないでしょう。特に、「日本の大学で」の必要性を論じる場合には、これらの多くについて「日本」がつくジャンルとつかないジャンルで状況に大きな違いがあるでしょう。
第三に、解答のオプションをもう少し広げた方がいいと思います。「必要である」「不要である」というオプションは必要ですが、それ以外にも、「あった方がいい」「ない方がいい」という答え方も当然あった方がいいですし、「X円までの出費であればYは存在した方がいい」というオプションも、それほどコストをかけずに準備できるなら存在した方がいいでしょう。また、最近の議論では「人文系ばかり攻撃するけど、あちらの分野はどうなんだ」みたいな議論も見かけます。「○○という分野よりは必要」「○○という分野にくらべれば「あった方がいい」度が低い」などの、比較型の解答も許容しないよりした方がいいかもしれません。
第四に、必要性の話をする場合、何のための必要性を考えるのかをはっきりさせないと、話が通じなくて大変です。
まずすぐに思いつくのは「人類の繁栄」ですね。当然そこで「物質的に繁栄したらそれでいいのか、それとも精神的な繁栄も求めるのか」など、そもそも「繁栄」の概念をどうとらえるかの意見の食い違いが出てくると思います。「人文学は精神を豊かにするからおろそかにしてはならない」というタイプの議論はここできちんと吟味すべきです(人文学の与えるタイプの精神の豊かさは本当に人類の繁栄の一つの要素と見なしてよいか、それを追い求めることで人類の繁栄の他の要素への悪影響はないかなど)。そこはまさに論戦を戦わせるべきところなので逃げてはだめです。ただ、ある程度事実誤認や混乱した議論などを整理した後でも、この件について決着が容易につかないのは倫理学の歴史が示しているので、お互いの立場を確認した上で次の論点に進む方が実り多い議論ができるでしょう。
次に思いつくのは「日本国の繁栄」ですね。「人類の繁栄という観点から見て日本国は繁栄するべきかどうか」という問題も付随的に発生してきてややこしいですが、とりあえず日本国の繁栄は目指すべきゴールであるということを受け入れている論者の間では、人文学のそれぞれの分野の{存在自体、大学での教育、大学での研究、大学での雇用}が{必要、あった方がいい、コストX円までならあった方がいい}かどうかを日本国の繁栄への貢献という観点から論じることはできるでしょう。ここでも日本国の繁栄のイメージは人によって多種多様だと思いますが、「人類の繁栄」についての議論と同じく、単純な事実誤認や議論の混乱を整理する上では、ちゃんと議論を戦わせた方がよいでしょう。国内総生産が多いのが日本の繁栄なのか、失業者が少ないのが日本の繁栄なのか、生活満足度の数値が高いのが日本の繁栄なのか、国際社会において名誉ある地位を占めるのが日本の繁栄なのか、そしてそれぞれの項目に人文学のそれぞれの分野の{存在自体、大学での教育、大学での研究、大学での雇用}はどういう形でどれくらい貢献するのか、論ずべきことは非常に多岐にわたると思います。
何のための必要性、という話の第三のオプションとして、「大学の繁栄」も当然あるでしょう。というより、大学を運営するスタッフにとっては、大学の運営上の判断の最終的な根拠はここにたどりつくでしょう。大学の繁栄についても上の二項目と同じで、いろいろな尺度で繁栄を考える人はいます。その中には、「人類」や「日本国」の繁栄の基準となったものが、規模縮小したような尺度もあるでしょう。「財政基盤がしっかりしているのが大学の繁栄」「学生満足度が高いのが大学の繁栄」など。他方、「人類」や「日本国」の繁栄を考えていたときにはあまり出てこなかった視点として、たとえば「優秀な学生が全世界からあつまるのが繁栄している大学」といった答えも出てくるでしょう。
何のために、という議論のもう一つのオプションとして、「学問は学問自体のために存在するのであって、何かのために存在するのではない」という立場もありますね。知識や知識獲得活動の内在的価値説というやつです。内在的価値説の是非も論じるといいとは思いますが、これはもう最初から議論が平行線になるのがわかっているので、それほど深まらないかもしれません。しかし、そういう価値観を持つ人が一定の比率以上でいるならば、社会的な意思決定においてこの価値観は無視できないものになると思います。
と、これだけ多様な問題なので、ご質問に一言でお答えすることはちょっとできかねます。

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