ネットがもたらした利便によって社会は包括的に活化したと感じられますか? また、ネットないしはSNSが今後更に社会に対して行使する可能性のある役割・危険性など、思っていらっしゃるところがあれば、見解をお聞きしたいです。
とても挑戦しがいのある質問ですね。これに答えられるほどの知識が有るのかどうか不安ですが、挑戦してみます。
■社会は包括的に活化したのかどうか?
社会とインターネットの関係性に関する質問ですね。この場合は社会全体であるかどうか、ということと、社会の中の限られた場所とに分けて考えると良さそうです。インターネットと関わりのあるところと、そうでないところに差があるように感じます。
全体から見れば、インターネットによって社会は活化したと言いたい人は多いかもしれませんが、この場合の「活化」とは何なのかを考える必要があると思います。インターネットインフラなどの整備などにより経済は確実に活化しています。だがそれによって社会全体が活化しているといえるのかどうか。
とは言え、社会全体を見通すのはとても困難です。
というわけで、分野ごとに見ていくことにします。
■紛争
インターネットによって社会は人類にとっていい方向に進んでいるのかどうかについて考えなければいけません。極端かもしれませんが、インターネットがある紛争を防いだり、あるいはある紛争を拡大したり、そういうことが起きうるのかどうか。事実、インターネットを媒介とした反政府運動は中央アジアで行われているわけで。またそれを監視するために国はインターネットの監視をしています。この分野においては、インターネットは、社会を「活化」させているといえるのではないでしょうか。
■政治
社会を変革するための「選挙」について考えてみるのも興味深いのではないかと思います。僕は1月から5月まで全国の選挙を回って選挙運動に関わってみましたが、インターネットが選挙結果に何かしら影響を与えたのかという問いに対しては「あまり影響を与えていないように思う」という結論です。つまりインターネット誕生によって、選挙によって社会を変革していけるのかという問については「まだそこまで至っていない」と思っています。これは選挙の法制度によるものです。法整備がインターネットの広がりと比較して、遅れていると考えることができます。
■商売
商品の売買においては、インターネットが社会を活化しているといえるのではないでしょうか。Amazon,楽天などのサービスを介して商品を購入したり、農業系でもネット上で仲介業者が活躍しています。そういう意味では、商業的にインターネットは社会を活化していると言えます。これはインターネットを用いてサービスを提供することで、儲けたい、という人たちがマーケットに参入し既得権益と競争している結果だと言えます。例えば、薬事法の改正によって規制はかけられているものの薬のネット販売もスタートしています。(法整備の問題)
論じるには、まだまだ足りませんが、こうやって見てみると「法整備」とインターネットの関係が見えてきます。法整備が進んでいる、あるいは法整備がない、という分野ではインターネットは社会を活化させているといえるのではないでしょうか。同時に、活化していない分野には理由があると考えてみると、上記で上げた分野以外においても見えてくるものがあるのではないでしょうか。
■ネットないしはSNSが今後更に社会に対して行使する可能性のある役割・危険性について
そもそもインターネットは、核戦争という脅威のもとで、軍事的な通信網を守るために作られたものです。その後、米国の企業が技術を利用して、世界中に広まっています。つまりは、そもそも「インターネット」は、軍事利用と平和利用が共存したものだと僕は考えています。
その後スノーデンがリークしたように、米国のNSAが世界中のインターネットを監視していることが判明しています。何もアメリカだけではありません。国家ならばインターネットを利用して、国民を監視しようとするのは世の常だと思っています。
私は、監視すること自体が世の中を変容させると思っています。以前もどこかで書きましたが、インターネットは自由であるという幻想が壊されたことは、インターネットに抱いていた「この上ない快適さ」を失わせることになっています。そもそもこれらは幻想であったいうことが既知となったわけです。
■情報をもたらすインターネットは、専門性を高めるチャンスを与えている。
インターネットは様々なものをもたらしますが、通信である以上、それらは情報としてもたらされています。とは言え、僕らは際限なく情報を受け取って処理できるわけではありません。実はこれこそが、インターネット後の時代の意味だと思っています。
インターネットからもたらされる情報を活かそうと思えば、人それぞれが専門的にならざるを得ないと思っています。そうでなければ膨大な情報を処理しきれないからです。専門的にならない人は、テレビや新聞報道と同じように、誰かの手によって「馴染みやすいように」作られた情報を受け取るということになります。
とりいそぎ、以上です。
このようなことを考える機会を与えていただいたことに感謝しています。
■社会は包括的に活化したのかどうか?
社会とインターネットの関係性に関する質問ですね。この場合は社会全体であるかどうか、ということと、社会の中の限られた場所とに分けて考えると良さそうです。インターネットと関わりのあるところと、そうでないところに差があるように感じます。
全体から見れば、インターネットによって社会は活化したと言いたい人は多いかもしれませんが、この場合の「活化」とは何なのかを考える必要があると思います。インターネットインフラなどの整備などにより経済は確実に活化しています。だがそれによって社会全体が活化しているといえるのかどうか。
とは言え、社会全体を見通すのはとても困難です。
というわけで、分野ごとに見ていくことにします。
■紛争
インターネットによって社会は人類にとっていい方向に進んでいるのかどうかについて考えなければいけません。極端かもしれませんが、インターネットがある紛争を防いだり、あるいはある紛争を拡大したり、そういうことが起きうるのかどうか。事実、インターネットを媒介とした反政府運動は中央アジアで行われているわけで。またそれを監視するために国はインターネットの監視をしています。この分野においては、インターネットは、社会を「活化」させているといえるのではないでしょうか。
■政治
社会を変革するための「選挙」について考えてみるのも興味深いのではないかと思います。僕は1月から5月まで全国の選挙を回って選挙運動に関わってみましたが、インターネットが選挙結果に何かしら影響を与えたのかという問いに対しては「あまり影響を与えていないように思う」という結論です。つまりインターネット誕生によって、選挙によって社会を変革していけるのかという問については「まだそこまで至っていない」と思っています。これは選挙の法制度によるものです。法整備がインターネットの広がりと比較して、遅れていると考えることができます。
■商売
商品の売買においては、インターネットが社会を活化しているといえるのではないでしょうか。Amazon,楽天などのサービスを介して商品を購入したり、農業系でもネット上で仲介業者が活躍しています。そういう意味では、商業的にインターネットは社会を活化していると言えます。これはインターネットを用いてサービスを提供することで、儲けたい、という人たちがマーケットに参入し既得権益と競争している結果だと言えます。例えば、薬事法の改正によって規制はかけられているものの薬のネット販売もスタートしています。(法整備の問題)
論じるには、まだまだ足りませんが、こうやって見てみると「法整備」とインターネットの関係が見えてきます。法整備が進んでいる、あるいは法整備がない、という分野ではインターネットは社会を活化させているといえるのではないでしょうか。同時に、活化していない分野には理由があると考えてみると、上記で上げた分野以外においても見えてくるものがあるのではないでしょうか。
■ネットないしはSNSが今後更に社会に対して行使する可能性のある役割・危険性について
そもそもインターネットは、核戦争という脅威のもとで、軍事的な通信網を守るために作られたものです。その後、米国の企業が技術を利用して、世界中に広まっています。つまりは、そもそも「インターネット」は、軍事利用と平和利用が共存したものだと僕は考えています。
その後スノーデンがリークしたように、米国のNSAが世界中のインターネットを監視していることが判明しています。何もアメリカだけではありません。国家ならばインターネットを利用して、国民を監視しようとするのは世の常だと思っています。
私は、監視すること自体が世の中を変容させると思っています。以前もどこかで書きましたが、インターネットは自由であるという幻想が壊されたことは、インターネットに抱いていた「この上ない快適さ」を失わせることになっています。そもそもこれらは幻想であったいうことが既知となったわけです。
■情報をもたらすインターネットは、専門性を高めるチャンスを与えている。
インターネットは様々なものをもたらしますが、通信である以上、それらは情報としてもたらされています。とは言え、僕らは際限なく情報を受け取って処理できるわけではありません。実はこれこそが、インターネット後の時代の意味だと思っています。
インターネットからもたらされる情報を活かそうと思えば、人それぞれが専門的にならざるを得ないと思っています。そうでなければ膨大な情報を処理しきれないからです。専門的にならない人は、テレビや新聞報道と同じように、誰かの手によって「馴染みやすいように」作られた情報を受け取るということになります。
とりいそぎ、以上です。
このようなことを考える機会を与えていただいたことに感謝しています。