いわゆる「遊び」(麻雀とかゴルフとか)、というものを知らない弁護士ってどう思いますか?仕事が舞い込んできにくいとか。

楽しみはいろいろもっていることはよいと思いますが、弁護士稼業がうまくいくかどうかとはあまり関係がないように思います。麻雀の駆け引きや確率統計的な感覚、ゴルフのメンタル修練や身体と物理法則、それらの趣味の、勝負でもありつつ、仲間との交流の要素や同じ楽しみをもつ者との話題の合わせやすさなど、人として、その趣味をどう私生活や仕事生活での充実に活かせるかという面でやっててよかった的に思える場面はあるかもしれませんが、ゴルフやマージャンも昭和時代ほどは皆が皆やってるものでもありませんし、やはり一般論でやってる方が弁護士稼業がうまくいく、やってない方がうまくいかない、などと言えるようなものではないと思います。さらにいうとどれだけ遊びを知っていてもダメな人はどんな仕事をやってもダメでしょうし、できる人は遊びを知っている知っていないに関わらず、仕事はできて、弁護士稼業もうまくいくでしょう。また弁護士稼業も独立して仕事を引っ張ってくる必要のある人間と、そうではない人間とでも求められる要素は一致しないと思いますし、イメージとして独立するようなら、ゴルフやらマージャンやらで人付き合いができた方がよいような気もしますが、ネット集客も可能な現代ではやはり関係ない気がします。ゴルフとマージャンができたって、どんな遊びであっても、一緒にプレイしたり一緒にやってみたりする中で、一緒にいてつまらないやつだと思われたら、いくら遊びを知っていても多分仕事には繋がらないでしょうし。なんらかの交流の場面で、いい感じの人だ、弁護士としてもなんとなく良さそう(人柄なども含む)と思われれば、どんな場面であれ仕事に繋がるチャンスはなくはないですし(頻繁にあるということはないという感覚です、私見ですが)。とにかくご質問の内容は、一般論としてどうだろうか、と考えるお題目としては、関係ないと思います。そんなことよりも、私がいつも考えているのは、弁護士や裁判官や検察官に、たとえば医師(に限らず、極論すべての他人の人生、仕事)の過失の有無を論じる資格があるのだろうか、もし自動車やバイクを運転しない人、場合によっては免許すらもたない弁護士や裁判官や検察官に交通事故の過失の有無を論じる資格などあるのだろうか、というような問題ですね。司法が及ぶ範囲は例外があるにせよほぼ世の中の事象の全域にかかりますので、果たして自分がその問題を扱う資格、能力、理解力、共感力、分析力があるこだろうかということのほうです。どんな分野でも常に今でも日々頭をよぎる問題です。わかりやすい話なら夫婦や男女の関係のもつれについてすら、日々仕事上かかわりあいをもたせていただいておりますが、本当に自分が人様の夫婦の問題に、男女の問題にクビを突っ込む資格があるのだろうかと自問自答がとまりません。この種の自問自答はおそらく一生続くことと思っていますが。たまに(たま〜に)自分はすべてを理解している、すべてを見透かしているがごとき自信にあふれた(要は偉そう)言動をする弁護士さんや裁判官がおられますが、そういうタイプと対峙するたびに本当不思議な気持ちになるものです。なぜそんなに人様のことについて完全に知ったような口がきけるのだろうかと。それと同じで、俺は私はこの遊びを知っている、だから遊びを知らない人よりも人間として豊かである、仕事も舞い込みやすいなどという自覚をもつようになったら
、言葉はあれですが、私からするとやや要注意人物になりますねむしろ。すみません後半部分は余談です。

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