京アニの響けユーフォニアムが現実のカメラを使ったようなボケなどを利用した絵作りなんですが、他のアニメスタジオがやらないのは手間の問題ですか?響け!ユーフォニアムの被写界深度が浅すぎる。過去の京アニ作品との比較 http://nuryouguda.hatenablog.com/entry/2015/06/17/183426 、ダメ金ならぬダメレンズの収差で映し出す「響け!ユーフォニアム」と京アニの空間描写が尋常じゃない http://sazanami.net/20150705-sound-euphonium-kyoto-animation-shooting-process/ こんなんです

こういう映像表現が可能になったのは、アニメーションの制作現場にコンピューターが導入されたここ10年くらいですけど、制作会社にコンピューターが導入されたのは1990年代の話です。では、何故、こういう映像表現が最近になって多用される様になったか?というと、アニメーション制作とひと言で言えないほど、各部署の作業内容の足並みを揃える事が困難を極める共通意識で成り立たっていたからです。コンピューターが導入される以前の制作工程は、各部署の責任職の人がそれぞれの作業内容について、キチンと責任を取る(取れる)事がそもそもの大前提で、つまり、監督の采配に合わせて各部署が作業をして、それがキチンと画面に反映されるという事が大前提だった訳です。原画や動画の線画もセル(ロイド画)の色指定も美術監督が描いた背景も、それを撮影する撮影監督も、全員が作品制作の初期からそれぞれの素材を可能な限り忠実に再現する為にところが、20世紀末にコンピューターが導入されてからこちら、原画や動画が描いた線画、色彩設計が決め込んだ配色、美術が丹念に描いた背景などが、コンポジットの段階で、演出や監督が元々の作業打ち合わせで指示した内容をかなりの自由度でその場の気分で殆ど自在に変更する事が可能になってしまったんですよ。そりゃ監督は良いかも知れませんが、モニターの画像を見ながら「ここはもう少し青系統の色味にして」「ここの背景はもっとボカして」「このキャラクターの後ろの人はピントを甘くして」などなど、画面を見ながら後乗せサクサクの加工を施す様になってしまったんですよ。勿論の事、それで優れた映像表現が出来れば良い・・・訳が無いです。如何にレスポンシビリティーが良くなったからと言って、打ち合わせの時に目指すべき映像の方向性も示さずに、後からそれぞれの素材を仕上げた作業者の仕事を蔑ろにする行為に他なりません。一流の美術監督さんならば「撮影段階でここまでボカすんだったら最初から指示されていればチャンとボケ背景を描くのに」、色彩設計さんならば「ここまで色味を変えるならば打ち合わせの段階で指示してくれたらキチンとそういう配色で指定するのに」などなど、コンピューターがもたらす夢の様な部分ばかりがスポットを浴びて、制作のチームワークは最悪という作品が頻発したのが2001年以降のアニメの作業現場です。生憎、TVシリーズではありませんが、ギリギリで20世紀に間に合った「BLOOD THE LAST VAMPIRE」を制作した経験者としたら、15年 経っても最新の作品がまだこのレヴェルかと、暗澹たる想いです。これは製作費とか制作期間の問題とは本質的に違う話です。共同で分業しないと成り立たない、その各スタッフの作業に対する尊敬の念を忘れた制作責任者の問題です。今現在、多くの作品の各部署の責任職の人達が「どうせ後から弄るんでしょ」というある種の厭戦感で作業をしているのを見ると、本当に辛いのと同時に「何で15年も前にハードルをクリアして、少なくとも問題を解決する一つの方法を示した事すらフィードバック出来ないのか」というやり切れなさだけです。最後に誤解の無い様に言っときますが、決して「BLOODだけが成功例だ」などという驕りはありません。BLOODとは違った方向でキチンとした成功例はあります。但し、その割合いはあまりにも少ないんですよ。

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