学生時代の優秀さと社会に出てからの活躍度には強い相関がありますか?

何をするかによるんじゃないですかね?
東大は官僚養成機関的な側面がもともとあり、事務処理能力が高い人間をもともとは作ってきました。そうすると、東大の法学部で首席ならば、官僚としても事務次官レースでそれなりに戦える能力があるというか、そういうことだと思います。
ただ、ベンチャーを起こすような人間だとまた違っていて、いわゆる一般人の評価は低いような人が成功したりします。ある意味で発達障害的な人々じゃないとベンチャーなんてやれませんからね。そういう人が大企業で評価が高いかといえば、そうではないでしょう。実績を上げた後なら聞く耳を持たれますが、おおよそ社会不適合者と言われるような人々であるケースも多いでしょう。
一般論としてはそうで、学生時代に私が優秀だと思った人は、軒並み社会人になっても成果を上げてはいます。でもね、企業でうまくいく人間であるというのは、周りとうまくやれるとか、問題を起こさないとか、どちらかというと、常識人であり凡人であることが求められる世界です。ちょっとネジが外れている感がある人は、やっぱりいわゆる文系就職のサラリーマンとしてはあまりうまくいかないでしょうね。
それと「活躍」の定義にもよっていて、暇な会社というか、アセットが巨大でそう簡単にはクビにならない会社などでは政治的な争いがたくさんあり、手柄の取り合いなども存在し、上ににらまれるタイプの人は評価されながら活躍することが難しいケースもあります。本当に困るとそういう人にお鉢が回りますが、結局手柄は全然別の人が持っていくとかね。
日本の村社会的なしょうもない手柄の取り合いと政治的争いのようなものはどこにでもあり、「活躍」というのはできないケースもありますね。ただ、それは欧米企業でもありますよ。いわゆるポリティクスというやつです。3人いれば派閥ができるというように、そういう集団に発生するしょうもないロジックを越えて人を率いていけるような人は稀ですね。このレベルの活躍にはカリスマ的資質が必要で、そんな人はその辺には転がっていません・・・。まあプチカリスマというか、ちょっとだけの魅力みたいなもんなら凡人にも芽生えうるとは思いますが。
いわゆる「人を動かす」という話と、「実際に何をするか考えられる」という話は全く別の能力で、「活躍」には両方が必要だと思います。実際に何をするか考えられるというのは、大学で養成される能力に近く、「優秀である」ということと近いかもしれませんが、「人を動かす」というのは、大学にいる場末のおっさんが言う「コミュニケーション能力」とは似ても似つかないものです。いわゆる「活躍」には両方が必要なので、強い相関があるとは言いにくいんじゃないですかね?今の時代はどちらかというと、「何をするか」を考える能力が極端に欠如しているように思いますので、今だったら弱い相関はあるような気もします。何をするかが大して問題じゃない時代には相関すらないという恐ろしい状態をイメージしますが、それは置いておきましょう。それは今の時代ではありません。
取り急ぎ、ご回答まで。

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