コミュニケーションの本質ってなんだと思いますか?

本質ってなんですかね。そもそも、何かの本質とは?みたいなロジックが私には分からないんですよね。
本質って、イデアみたいなイメージなんですかね。イデアの世界がこの世界とは別の世界があって、その理想に向かってこの世界は近づき続けているみたいな世界観なんでしょうか?
「〇〇の本質」みたいなロジックを見ると、うーん、といつも思うんですよね。私はそういう世界観ではないですし、ポストモダンの知見ってそういう世界観を否定するものだと思いますので。
それでね、好意的にこの問いを解釈してみますと、コミュニケーションのメカニズムについて知りたいみたいなことなんでしょうか。でも、目的がきっとありますよね。「自分が他人とうまくコミュニケーションを取りたいけれど、そのために何かしら知らなければならないことがあり、そのクリティカルな部分は何か?ということが知りたい。それが、効率が良さそうだ」といったことなんでしょうか。
まずね、コミュニケーションスキルはそう簡単には上がらないってことを認識するのが大事なんじゃないですかね。そのうえで、何か目的があるならそれに特化したプロトコルを身に着ける感覚でやってみるというのが、限定的部分での「コミュニケーション能力」なるものを上げることになるかもしれません。ただ、それは目的限定で目的の達成がしやすくなることだけを意味するのであって、オールマイティになれるわけではないと思います。
どういうことかというと、通信規約のようなものとして捉えるということです。相手に伝わりやすい作業手順のようなものが、コミュニケーションは分野を限定すればあるということなんですよね。唐突に何かを言われても理解するのって難しいですよね。単語の聞き取りすら難しいと思います。だから、唐突でない手順を踏む踏み方みたいなものが分野を限ればあって、それを守ってコミュニケーションを取ればいい、といったことがあります。
ただね、そういう目的論で言ったとして、あなたがコミュニケーションがものすごく苦手なタイプであると、いわゆる「普通の人」からは違和感があるコミュニケーションをする人という感じはぬぐえないでしょうね。
とある、「コミュニケーションを取り違えている人」の研究内容を教えていただいたことがあります。確か、「会話分析」という名前だったと思います。どういう内容かといいますと、人々のとりとめのない会話を2,3時間ぶっ続けで録音して分析するんですね。そうすると、いろいろな話題を被験者は話しているわけですが、それぞれの話題がどのような要因で終わってしまったのか、を分析するんです。何のためかといえば、「1つ1つの話題が続くことが望ましい」と分析者が思っているということです。伝わりますでしょうか。「話題が途切れてしまうと、コミュニケーションが終わってしまう。だから、話題が途切る理由を考えて、話題が途切れないようにすればいい。」という考えです。でも、この人がコミュニカティブになることはないでしょうね。なぜか?これが分かれば、きっとあなたは人とのコミュニケーションの本質みたいなものを知りたいなんて思う必要もないと思うんですよね。十分にコミュニカティブでしょう。
まわりくどいですが、もう1つたとえを出しましょう。サンディニスタ政権というのがニカラグアでありましたが、そのころ、耳の不自由な子供たちを同じクラスに集めて教育するというのをやっていたんですよね。そうするとね、興味深いことに、先生が手話を教えているわけでもないのに、子供たちの間で手話が勝手に発生して、集団ごとに独自の手話が形成されて、子供たちはコミュニケーションをとるようになるんですよ。子供は教えられなくても、耳が不自由でも、手話を教えられなくても、勝手に手話を生み出し、コミュニケーションを取り始める。これってどういうことなんでしょうね?
といったことが分かると、目的別にプロトコルとしてコミュニケーションを処理するマシーンのような人(これはこれで重要なことです)を脱却して、より普通のコミュニケーションが取れる人になっていくと思うんですよね。
私が本質はこうなんだ!みたいなことを書いてもあんまり役立たなさそうな気がしたので、回りくどく書いてみました。取り急ぎ、ご回答まで。

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