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あびそぺ
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夏にラブライブ!サンシャイン!!のTVアニメが始まりますが、見る予定はありますか?

1話は見ると思います。そこから先はわかりません。
これまでのTVアニメ視聴を振り返っても、作品を見るかどうかは偶然のきっかけによるところが大きく……(TLや感想記事の盛り上がりにもよるかもしれません)。はっきりしない答えで恐縮ですが、そんなところです。
しかし、なんとなく、あくまで一個の映像作品として見る、という、好みの鑑賞スタイルをとることは、2期以上に困難になるような気がしています。
ありがとうございます。
どうなるか、やはり気になってきました。

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世間で評判のいい作品が自分ではどうも面白く感じなくて歯痒い思いというか腑に落ちない思いを感じることがわりとあるんですが、そういうことってありますか?

世間で評判のいい(いい評判を見た)作品が、自分ではどうも面白く感じない、ということはあります。それが腑に落ちないこともあります。
「腑に落ちない」は、褒めている文章が目に入り、説得されかかる(あるいは、全然納得いかない)が、そのことにも納得いかない、と、外部の言葉のせいで何か引っかかり続ける状態・・・と考えます。「腑に落ちなさ」が、却って自分の感覚をつかむきっかけになることもあるので、重宝です。
「なぜこんなクソ作品が人気なんだろう」的なことは考えないようにします。自分で面白く感じることができなければ、面白く感じた人がその理由を説明してくれるのを待つしかない。オタクが作品の面白さについて語ってくれるのを待つのみです。
まあでも、自分があまりにもつまらないと思った作品が褒められていると、突っ込みたくなることはあります。歯痒いとまではいきません。
ありがとうございます。

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ラブライブ!についての記事中で「副会長」と「希」が混在しているのは意識してのことですか?

面白いご指摘ありがとうございます。思わず検索しました。
副会長と書いているのは一期の前半なので、単にキャラの名前をよく把握していなかったのではないでしょうか。1期8話が境目というのが、いかにもという感じがします。そこでようやく、固有名で認識できるようになったということでしょう。設定や名前を覚えるのは苦手なのです。
もし鑑賞対象とするなら、作者は無視して読み込みたいところですね。例えば……、μ's加入以前は役職名で書くことで、固有名で認識されうるのはμ'sのメンバー=アイドルのみという作品世界の掟を示している。

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みらないディーバは最後まで見ましたか?

いいえ、半分くらいでやめてしまいました。後半おもしろくなりましたか?
最後まで見てはいませんが、いくつか思わされる作品でした。これまでの石館作品の「おもしろさ」は、緻密な「編集」によって生み出されていたということ。キャラと声優の絶妙の距離感、二重写しの感じは、キャラの造形や演技ではなく、その編集バランスから出ていたらしいということ。この作品は「生」に寄っていて、映っているキャラクターも声優度がアップしていた。だから、しんどいな、と思ったのか、など。
オタクとしては引け目を感じることですが、どうも声優に興味があまり。
ありがとうございます。

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ラブライブ!についてはアニメ放映前から知っていたんですか?

いいえ、アニメ1期が始まるあたりのベストアルバムの宣伝で知りました。2Dアニメと3DCGがわざわざそっくりに作ってあるのを見て、珍妙なことをするなあ、と思った記憶があります。見るきっかけとしては、脚本が花田十輝のアイドルモノ、という点もあり(ゼノグラシア!)。
私はメディアミックスにあまり適性がなく、面白いアニメ作品が見たいだけのオタクなので、ブログでもあくまでアニメ作品として鑑賞することを目指し、「コンテンツ」的なことはほとんど考えていません(作品を「コンテンツ」呼ばわりするのも、少し気が引ける)。おもしろいと思った作品のおもしろさは、その作品内のソースから導きたいものです。
とはいえ、全く興味が無いわけでもなく、テキストモノを読んでもいます。
ありがとうございます。

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ラブライブ!2期7話はぶっちゃけ無くてもストーリーの進行に支障がないように見えるのですが、この話はどんな意味があったんでしょうか?

2期7話はおもしろくないですよね。とはいえ、1期1話の印象深いラストもお話の上では不要であることを考えると、「グッと来るかどうか」と「ストーリーの進行」は、あまり関係がないようです。作品におけるストーリーの地位なんてそんなものなのでしょう。
意味、と言われると答えにくいので、印象をざっと書き出すやり方で。まず「体重を落とす」という目的は軽く扱われている。作中でも出てくるように「見た目は変わっていない」のだから、数値上のスペックが変化していると言われたところで大した問題ではない。その変化を視覚的に表せるはずの衣装の件も映さない。となると、もっと抽象的に「自覚がないまま変化している」状態と、それを「元に戻そうとする」運動(目標は「やせること」ではなく「元に戻ること」)、といった感じで印象づけられる。で、前半、ラブライブのため、海未に強制的に運動させられたが、うまくいかず。後半、学校のため、3人仲良くデスクワーク(運動とはかけ離れた行為!)をしていたら、うまくいった。あの3人で協力してやれば、元に戻り、うまくいく。
ハートフルな感じにも見えますが、しかし「3人」的な発想は、「9人」という考え方とは少し違う。生徒会室で3年組の協力を断るシーンは、このことがよく現れていた。穂乃果は「私たちで何とかしなきゃ、ダメなんじゃないかな」と言っていた。ここで「私たち」は3人に限定されていて、その場にいる3年生は入っていない。そして、その「私たち」にかかれば、体重というものすごく個人的な問題も解決されてしまう。「私たち」は「私」とほぼ同化する。
脚本を精査していけば、おいしいポイントはいくつか拾えるようです。メンバー同士の無理解・認識のズレ(「仲間」であることをありがたがらない花陽、凛の「嫌いなのかな」、にこが部長であることを忘れている穂乃果)、穂乃果の妙な語彙(「人間はそんな簡単にできてないよ」「無い袖は振れません」)も少し気になる。ランニングシーンはおもしろかった。しかし、全体としては、印象はあまりない。……という回でした。
ありがとうございます。

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色々な意味で答えにくいと思いますが脚本家、花田十輝をどう評価しますか?

ラブライブ!については、いいな、と思ったところはブログに書いていますが、何が脚本家の仕事かは分からないので、言えることはあまりありません(1期2話の「ずっと屋上で練習してる」は脚本だろうか?)。ただ、穂乃果の一人称が「私」になっていることは、脚本家の重大な功績であったろうという気がしています。これによって、初っ端の「私、高坂穂乃果!」が言えるわけだし、穂乃果を「ちょっとヘンな奴」として外側から捉えながら、「私たち」や「みんな」といった人称の機敏を映像の要素として組み込むことができている。(同じ理由で、原案の一人称が「穂乃果」であることも、妥当なことだと思います。特に一人称小説で、「私」で語る主人公をワケのわからない奴として書くのはちょっと冒険になる。「穂乃果」という一人称を使うことで、半三人称的な距離感を出している。)
評価ができるほど、花田脚本作品にも脚本家の仕事にも詳しいわけではない、と断った上で、個人的には、「ゼノグラシア」と「ラブライブ!」という、二つの特別な作品の脚本家ということで、リスペクトするものであります。
ありがとうございます。

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愛は太陽じゃない?

これ、歌詞を知れば「愛は太陽だよね?」的な意味とわかりますが、逆に「愛は太陽ではない……マジで?」というような意味にも取れますよね。字面からは、なんとなく、後者に取りたい気分があります。

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ラブライブ!二期最終話卒業式の「愛してるばんざーい」に「言葉で伝えるのが苦手だから歌にする」という理解で納得しつつも若干引きました。あびそぺさんはこのシーンをどう見ましたか?

引きましたか!。私は引きはしませんでしたが、ありそうなことだと思いました。歌でメッセージを伝える、で、なんか感動的な雰囲気になる。ありそうじゃないですか。
講堂の演台に穂乃果が立っている状況は、素直に見て、2期1話と結びつきます。1話では、穂乃果はマイクを投げて踊り始めることで2期を起動したわけですが、物語の世界では何も喋れていなかった。いろいろあって最終回なので、今度は実際に踊りはじめるんじゃないか。そういう考えは浮かびます。
ただ、歌うだけで踊らなかったことには、少し感じることがありました。踊らないどころか、だれも立ち上がりすらしない。口を動かして歌うだけ。動きがない。1話とは対照的な映像の静けさ。穂乃果ももう「おしまい」か、というような、最終回的なしみじみ感。
それにしても、歌う前にその目的を言われると、とたんにどうでもよくなってしまうものですね。
ありがとうございます。

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アニメの制作スタッフ(監督、演出、脚本、原画など)についてのこだわりはありますか?

特にありません。そんなもの視聴者が持っていても意味がない……。
もちろん、気に入っている(いない)名前はありますし、見ているうちに、気になった作品・話数に共通する名前や、特徴的な仕事をする名前が把握できるようになって、作品を見る(見ない)きっかけになったり、ああやっぱり的なことを思って一人でニヤついたりすることはあります。
しかし、スタッフの名前は作品の面白さの理由にはならないし、ある名前に結びついた特徴的な映像の要素を指摘したところで、だから何?となってしまう。その要素がどういう効果をもたらしたのかを具体的に説明しなくては評価を説得できない。面白いと感じた作品はスタッフロールを見ずに面白いと言いたい。そういうこだわりがあります。
とはいえ、気になる名前は、ブログ記事やノートにメモしてもいます。
ありがとうございます。

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ここ1年くらいの作品でいいのはありますか?

最近のTVアニメで気に入った作品ということなら、「グラスリップ」「ユリ熊嵐」「聖剣使いの禁呪詠唱」あたりか。特に「聖剣使い」は、何で面白く思えてしまうのか気になる類の作品だったので、ブログにも書きました。
そもそも見ている数が少ないので、あまり作品を挙げることができません。網羅したいタイプのオタクではなく、一つの作品の鑑賞にえらく時間のかかるタチなので、毎期いくつかの作品をかなり偶然に頼ったチョイスで見るくらいのものです。しかし、それでも上記のような気に入る作品が現れてくるのは、不思議で嬉しいことです。
作品を見るきっかけとして、タイムライン上のオタクの審美眼は、信頼しています。
ありがとうございます。

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2期9話の雪にどのような意味を見出されていますか?

意味、というと身構えてしまうので、作中の効果と読み替えます。天候で気になるのは、やはりそれが変化するところ=雪が弱まるところ。
まず、「3人の思いが通じて雪が弱まり、道を進めるようになった」とはなっていないところが良い。海未とことりが叫んだ後に雪が弱まっていますが、そのことによって3人が進めるようになったのではない。3人が進むことができたのは、あくまで全校生徒が雪かきをしたから、と配慮されている。何度か書いていますが、状況設定の変化は、その原因より結果を見たいところです。
雪が弱まって起こったのは、「3人が階段の下の様子を見ることができるようになった」ということ。3人は階段下の景色を見て驚いた。モブは「少し雪が積もっちゃった」と言っているので、雪が弱まらなくても歩ける路面状態にはなっていた。ということは、雪の変化がもたらした効果は、進めるようになったことではなく、見ることができるようになったこと。これがきっちり描かれている。
そして、見ることができるということは、見られることができるということでもある。そう考えると、会場まで走るシーンは、ただみんなが作った道を走ることではなく、道端に生徒が立っていることが重要に見えてくる。見られながら走っているということ。支援者が、アイドルのパフォーマンス自体ではなく、そこに至るまでの道を走る姿を「見る」ということ。ここが重く描かれている。
これは明らかに、視聴者と被せたサービスシーンです。これ自体が面白いとは私は全く思いませんが、2期全体の流れを考えると、9話は9人とファンが最も近づいた回と見えるので、そこを印象に残す良いシーンだったのではないかと思います。大げさでギャグっぽいし、どこか悪意的だとすら思います。
というわけで、9話の雪は、曲名を匂わせ、3人の歩みの障害物となっただけでなく、視界を遮るものでもあった。このことは、3人にファンの作った道を走らせ、ファンにその姿を目撃させることになった。つまり、ファンと9人の関係・その「近さ」を描く上で、効果的に機能していた。……という言い方ができるかと思います。
ありがとうございます。

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ラブライブ2期の記事はもう書かないんですか?

書かないと決めたことはありません。最近は、少し飽きたのもあって更新していませんが、また何か言いたくなったら、書くと思います。2期の再放送を見直していることで、受けた印象を分析したい欲も高まってきています。
ありがとうございます。

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ラブライブ!は何周くらい繰り返し視聴してますか?

振り返ってみると、最初から最後まで一周通して見たことはありません。話数やシーンごとに繰り返し見るのが主です。
ラブライブ!に限らず、記事を書くほど何か言いたくなったものは、もちろんまず何度か見ています。2・3回見れば、記憶に濃淡ができる(受けた感じを自覚できる)だけでなく、お話の展開や設定・派手なアクション等に簡単には動じなくなるので、誠実性を保ちやすい気がしています。あとは、考えたことが妥当かどうか、シーンを繰り返し観察して確認する、ということになります。
ただ、1期1話は、特に何度も見ています。
ありがとうございます。

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SHIROBAKOというアニメの制作現場を題材にしたアニメの中で監督が「雲自体が心情描写になるようなものにしたい」と語るシーンがありますが、ラブライブ!1期5話の記事の考えでいくとこれも安易な考え方なのでしょうか?

心情なんてものは、映像を見た人が勝手に・何となく感じとるしかない(特に二次元の絵に心情はない)ので、その意味で、つまりどんな要素も何かを感じる根拠になってしまうという意味なら、良い言葉だと思います。逆に、あらかじめキャラクターの心情なるものを設定し、雲を道具にしてそれを表そうとしているのなら、安易な発想という気がいたします。私はアニメが少し好きなオタクなので、それを何かを表す道具だと考えるのは、ちょっと嫌なのです。
1期5話の記事には不備が多いですが、天気が変わるから行動が変わる(よって心情も変わっているように「見える」)のであって、その逆ではない、ということは、今でも思い込んでいるところです。
ところで、どんな現場でも、監督者からは、具体的な言葉をいただきたいものです。
ありがとうございます。

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