同人活動における一番恥ずかしい思い出をこっそり教えてください
恥の多い人生を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東海の田舎に生れましたので、同人誌をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は大手の薄い本を、触って、眺めて、そうしてそれが次元をまたぎ越えほもを覗き込むために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれはあにめの世界を身近な遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、描かれてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ほもねたの見えたり隠れたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それはコメディの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ書き手が欲望をちら見せるための頗る実利的な手段に過ぎないのを発見して、にわかに興が湧きました。
(中略)
いまは自分には、恥も外聞もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「同人」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことしも、澱粉になります。戦利品がめっきりふえたので、たいていの人から、オタクに見られます。
(了)
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東海の田舎に生れましたので、同人誌をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は大手の薄い本を、触って、眺めて、そうしてそれが次元をまたぎ越えほもを覗き込むために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれはあにめの世界を身近な遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、描かれてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ほもねたの見えたり隠れたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それはコメディの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ書き手が欲望をちら見せるための頗る実利的な手段に過ぎないのを発見して、にわかに興が湧きました。
(中略)
いまは自分には、恥も外聞もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「同人」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことしも、澱粉になります。戦利品がめっきりふえたので、たいていの人から、オタクに見られます。
(了)