Ask @cracjp:

ヘイトスピーチに関わる議論は「人種」を想定したものが主流であるようですが、基本的な論理構造は性差別の議論にも適応できると思います。なので、ある特定の人種が虐げられることを娯楽として消費する図画の禁止や制限が正当化されるなら、性犯罪を娯楽として消費する図画の禁止や制限も正当化できるのではないかと考えたのですが、いかがでしょうか。

AとBは似ているのでCとDも同じはずというのは、AとB、AとC、BとDの違いに着目しない点で弱い論理だと思います。ちなみにhate speech/hate crimeという言葉は、もともとアメリカで性的マイノリティへの差別や攻撃に対して使われ始めたものです。

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デモ用のプラカード画像を作成、配布する場合、既存の画像を使用することはどこまでセーフになるでしょうか?例えば政治家やヘイト主催者の顔写真をコラージュするなど…。

公人でない場合はやめておいたほうが無難です。行動保守側がカウンター側の写真を加工して揶揄し、民事訴訟で負けた例もあります。公人の場合肖像権云々はさほど問題になりませんが、カメラマンの著作権はありますのでご注意。

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カウンターに鳴り物(太鼓、タンバリンなど)を持ち込んだら差し支えがあるでしょうか?「帰れ」コールに具合が良いかと。

これまでカウンターの現場でドラムが採用されなかった理由は、いくつかあります。
(1) 初期の新大久保ではあまりにも状況が深刻だったため、楽しんでいるという誤解を避けるため
(2) デモに追走する場合が多いので、ドラムを叩いているヒマがない
(3) 1箇所にとどまるカウンターの場合、狭い町中であることが多く、近隣への持続的騒音を少しでも減らすため(ドラム音はメガホンより遠くまで伝わります)
というわけで「あえて使用されなかった」ということにご留意いただければと思います。

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では前の質問に続けて、「金一族と総連に支配された朝鮮学校をぶっつぶせ!」もヘイトスピーチではないですよね?(そこに通う生徒をひとくくりに「スパイの子供」と言ったバカな犯罪者どもとは違い、あくまで「朝鮮学校」という「組織」が対象の場合です)

あなたはなぜ自分がその「バカな犯罪者どもとは違」っていると思っているのでしょうか。言ってることが同じです。

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例えば「朝鮮総連」という「団体」のメンバーであるという属性は、生まれつきでも変更可能でもないと思いますが、「朝鮮総連の連中も、北朝鮮の収容所で暮らしてみろ!」「総連の連中は金正恩の犬!」などは、いわゆる「ヘイトスピーチ」の定義にあてはまるでしょうか。

あてはまらないと思いますよ。

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レイシズムは一部の過激派がやっているものでしょうか、それとも民衆に普遍的に根ざすものでしょうか。

一部の過激派ではなく、広く薄く根づくものだと思いますが、同時に思想的流行でもあります。つまり、どの民族や国民も本質的にレイシストである(=普遍的)ということは考えにくく、その傾向をいくらでも改善可能だということです。

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CRACからレイシズム、ヘイトスピーチに関してまとめた書籍を出版する予定はないでしょうか? カウンター側が読んでレイシズム、ヘイトスピーチに無関心な人に現状をわかりやすく説明出来るようなテキストのようなものなど。

C.R.A.C.の著作ではありませんが、C.R.A.C.メンバーの弁護士・神原元がこういう本を書いています。『ヘイト・スピーチに抗する人びと』(新日本出版)ヘイトとレイシズムの現状、カウンターの様子から法律論まで一般向けにわかりやすく書いてあります。内容はこのレビューをごらんください。http://www.jicl.jp/now/ronbun/backnumber/20150119.html その他、在日のジャーナリスト李信恵さんの『#鶴橋安寧 - アンチ・ヘイト・クロニクル』(影書房)も、現状把握に最適な一冊です。http://www.kageshobo.co.jp/main/books/tsuruhashiannei.html

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重度の知的障がいを持つ方のボランティアに携わっていますが、在特会への知恵遅れなどの発言は知的障がい当事者を傷つけているように思います。指文字などの通訳を通して、言葉でのコミニュケーション が難しい当事者が、社会に認められたい等の想いを持っています。知的遅れなどの発言は、当事者の尊厳を考えてないように思います。

おっしゃるとおりだと思います。過去にそうした議論の蓄積もあり、実際にはカウンター側からはそうした発言はほとんど見られません。

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ラディカルなカウンターの是非についてお尋ねします。強いことが言える人間に民衆はついていくということですが、それは元から積極的な人間に限られる話ではないでしょうか。カウンターの方々は自らを汚れ仕事の担い手として認識されていますが、汚さを含む言動を自らも行って非難されることを覚悟している人間だけのカウンターでは限界があると思います。ドレスデンのように、カウンターがヘイト側を「隙間なく」取り巻くのでなければ彼らを追い詰められない。日本のカウンターで現場に見られるのはヘイターとカウンターと通行人ですが、ヘイターの脳内では通行人がカウンターとヘイトの両方から目を背けていても勝利宣言がなされるのですから。

現在の反ヘイト・カウンター行動は2013年からプラカ隊と同時に始まっており、今もその流れの延長線上に都庁前の抗議街宣や反差別パネル展などがあります。これらの場合「汚さを含む言動を自らも行って非難されることを覚悟」する必要はありません。また、「強いこと」が指し示すものは威勢のいい言動というより、ヘイトに毅然と反対する言動を意味しますので、その意味ではドレスデンのプロテスターと共有しているものではないかと思います。いずれもラディカル(=根元的)です。

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CRACさんの主張は絶対正しいんですか。ヘイトスピーチする側にも問題はあるかもしれませんが、そもそもされるがに問題あって、ヘイトスピーチは存在するわけです。される側の言動を問題視せず、する側ばかりを非難するのは、結局同じ穴の貉では?外から見ているとそのようにしか映りません。

きみはバカかね?

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