@cracjp

C.R.A.C.

ラディカルなカウンターの是非についてお尋ねします。強いことが言える人間に民衆はついていくということですが、それは元から積極的な人間に限られる話ではないでしょうか。カウンターの方々は自らを汚れ仕事の担い手として認識されていますが、汚さを含む言動を自らも行って非難されることを覚悟している人間だけのカウンターでは限界があると思います。ドレスデンのように、カウンターがヘイト側を「隙間なく」取り巻くのでなければ彼らを追い詰められない。日本のカウンターで現場に見られるのはヘイターとカウンターと通行人ですが、ヘイターの脳内では通行人がカウンターとヘイトの両方から目を背けていても勝利宣言がなされるのですから。

現在の反ヘイト・カウンター行動は2013年からプラカ隊と同時に始まっており、今もその流れの延長線上に都庁前の抗議街宣や反差別パネル展などがあります。これらの場合「汚さを含む言動を自らも行って非難されることを覚悟」する必要はありません。また、「強いこと」が指し示すものは威勢のいい言動というより、ヘイトに毅然と反対する言動を意味しますので、その意味ではドレスデンのプロテスターと共有しているものではないかと思います。いずれもラディカル(=根元的)です。
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Latest answers from C.R.A.C.

そろそろパーカーの恋しい季節なのに売切ればっかりです。

すみません!近々どーんと。

ヘイトスピーチに関わる議論は「人種」を想定したものが主流であるようですが、基本的な論理構造は性差別の議論にも適応できると思います。なので、ある特定の人種が虐げられることを娯楽として消費する図画の禁止や制限が正当化されるなら、性犯罪を娯楽として消費する図画の禁止や制限も正当化できるのではないかと考えたのですが、いかがでしょうか。

AとBは似ているのでCとDも同じはずというのは、AとB、AとC、BとDの違いに着目しない点で弱い論理だと思います。ちなみにhate speech/hate crimeという言葉は、もともとアメリカで性的マイノリティへの差別や攻撃に対して使われ始めたものです。

東京電力思想差別事件や三菱樹脂事件などがありますが、思想・信条に対する差別についてはどうお考えでしょうか?また宗教に対する差別についてはどうお考えでしょうか?

日本国憲法19条と同じ考えです。

デモ用のプラカード画像を作成、配布する場合、既存の画像を使用することはどこまでセーフになるでしょうか?例えば政治家やヘイト主催者の顔写真をコラージュするなど…。

公人でない場合はやめておいたほうが無難です。行動保守側がカウンター側の写真を加工して揶揄し、民事訴訟で負けた例もあります。公人の場合肖像権云々はさほど問題になりませんが、カメラマンの著作権はありますのでご注意。

TOKYO AGAINST FASCISMのTシャツは再販されないのでしょうか?

もうしばらくお待ちください〜。

カウンターに鳴り物(太鼓、タンバリンなど)を持ち込んだら差し支えがあるでしょうか?「帰れ」コールに具合が良いかと。

これまでカウンターの現場でドラムが採用されなかった理由は、いくつかあります。
(1) 初期の新大久保ではあまりにも状況が深刻だったため、楽しんでいるという誤解を避けるため
(2) デモに追走する場合が多いので、ドラムを叩いているヒマがない
(3) 1箇所にとどまるカウンターの場合、狭い町中であることが多く、近隣への持続的騒音を少しでも減らすため(ドラム音はメガホンより遠くまで伝わります)
というわけで「あえて使用されなかった」ということにご留意いただければと思います。

では前の質問に続けて、「金一族と総連に支配された朝鮮学校をぶっつぶせ!」もヘイトスピーチではないですよね?(そこに通う生徒をひとくくりに「スパイの子供」と言ったバカな犯罪者どもとは違い、あくまで「朝鮮学校」という「組織」が対象の場合です)

あなたはなぜ自分がその「バカな犯罪者どもとは違」っていると思っているのでしょうか。言ってることが同じです。

例えば「朝鮮総連」という「団体」のメンバーであるという属性は、生まれつきでも変更可能でもないと思いますが、「朝鮮総連の連中も、北朝鮮の収容所で暮らしてみろ!」「総連の連中は金正恩の犬!」などは、いわゆる「ヘイトスピーチ」の定義にあてはまるでしょうか。

あてはまらないと思いますよ。

レイシズムの起源はどこにあるのですか?

知りませんし、興味もないです。

Language: English