@hidacaw

日高サン

東京にかえりたくないですか?

そう思いますよ。こっちにはあんまり面白いものがないんです。何をするにも車で移動というのも気に入らない。僕は電車に乗って好きな駅で降りて、駅前をふらふらと歩き回るだけで面白そうなお店やご飯屋さんがあるような、そういうところでの遊びが好きなんです。ただね、こっちには僕の仕事がありますから。こっちで生活を面白くする方法も考えないといけないなと思っています。
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Latest answers from 日高サン

嫉妬しないですむ方法を教えてください!!

嫉妬しない方法は僕には分かりません。嫉妬をできるだけ小さくするために、都合よく合理化したりはしてます。

海外のオススメの映画やドラマはありますか?

ハンニバル
ブレイキング・バッド
ザ・ニック
HUNG
ハンニバル超超超超おすすめ。

人生で人間関係に疲れる事が多々あったのですが、人脈戻そう広げようって頑張ったんだけどやっぱり無理でした。 頑張ったのに何も報われてなくて嫌な気分になる事の方が多いです。 もう人間関係頑張らないと決めました。これは正解なのでしょうか、正解なんてないのかもしれないけど、間違ってたりするのか、なぜこんなにも人と関われないんだろうと嫌になります。

頑張っても毎回報われるわけじゃないんですよね〜〜ツラいところですが。
正解も不正解もないですよ。どちらの選択肢にも、いいところと悪いところがあるんです。
自分が正解だと思うことをすればいいじゃないですか。その先で泣こうが喜ぼうが、それは受け止めていきましょう。
やる前から上手くいくかどうかなんで絶対にわからないんですから。

ツイッターに飽きたんですか?

ツイッターもそうだけど生活全体に飽きてる。

日高さんの学派はなんですか?あと修士論文で何をテーマにしたか教えてください。

学派とかは特にないですが、個人的にはアドラー心理学や、実存主義的な考え方が好きです。
修士論文のテーマは、意思決定のメカニズムに関するものでした。

現在大学院生です。大学生になったあたりから、積極的に死にたいとは全く思わないですが、たとえば明日死んでも構わないなあと思うようになりました。家族や恋人、友人が悲しむかもしれないと思うので、自分から死ぬことは絶対にしませんが。この感覚は病的なのでしょうか。日高さんはこのような感覚を持ったことはありますか。

病的かどうかはわかりません。そらは判断を下す人によると思います。僕から見れば病的だとは思いませんが、また違う人が見たら病的だと思う人もおられるでしょう。
僕も大学生の頃に毎日死にたいと思っていた時期があります。僕が死ななかった理由は、死ぬのがとても怖いからでしたが。
今になってもあの頃のことをよく回想して分析しますけど、自分の生きる意味の無さに気がついたからだと思っています。ここでいう、生きる意味の無さというのは、自分が生きている意味がない、誰からも必要とされていない、自分がいなくても世界は回るなどの、自分の存在理由の無さということではありません。僕が死ねば悲しむ人はいるし、僕が生きてるだけで嬉しいという人がいたので、僕は自分に存在理由が無いとは思いませんでした。
じゃあ生きる意味の無さとは何を指すのか、それは、僕が僕の人生を生きることの意味が無いということです。本当の生きる目的というものが無いということです。
本当でない生きる目的というものはありました。大学の教授になって好きな心理学の研究で食っていくとか、大きな企業に勤めてお金持ちになるとか、エリート公務員になって何不自由なく生きていくとか、そいうものです。
僕は自分の能力を過大評価していたので、そして実際にはそこまでの能力が無いにも関わらず目を逸らし続けてきたので、なんの努力をしませんでした。学会にも出ず、企業分析も試験勉強もしませんでした。そして何より、その生きる目的モドキを真剣には見ようとしていませんでした。
真剣に見れば、自分が本当にそれになりたいわけでも、それのために努力できるわけでもないことがすぐ分かったはずです。でも見なかったんですね。ただ漠然と、自分はすごいんだからすごい大人になると思っていただけです。
僕が死にたいと思った理由は、生きる意味が無かったからです。決して、生きる意味を、見失ったからではありません。無かったのです。自分で作って来なかったのです。
それまでの僕はみんながするように受験をして進学してきただけです。そこには、将来の選択肢が増えるから、という先延ばしの意思はあったけれど、明確な目的意識はありませんでした。ただちょっと頭が良かったから、親がお金を持っていたから、不自由も挫折もなくやって来れたというだけでした。
自分の意思で何かをやるには覚悟が足りず、このまま何も考えずに流されて生きるにはプライドが高すぎました。山月記に李徴という虎になった男が出てきますが、ほとんどあれと同じです。
僕は次第にベッドの中にいる時間が増えていき、週2回のバイトと週1回ずつの講義とゼミとカウンセリングの時間以外は家に引きこもるようになりました。料理もテレビ視聴もできなくなり、生きることの虚しさに耐えられず、毎日泣いていました。
人間というのは逞しいなと思うのですが、何も前進していないように感じる毎日を過ごしていても、水面下では色々と前進するように脳みそが働くみたいです。
毎日ただ泣いていた僕の頭は、幸いなことに、無意識的に考えることをやめなかったみたいで、気付かないうちに少しずつ変化していました。
虚しさに耐えられず泣いていた心は、そのうち虚しさにも慣れてきました。虚しい状態がベースになってきました。虚しさに支配される代わりに、わざわざ虚しさに泣かないようになりました。
虚しさの中で少しずつ、マトモな呼吸ができるようになりました。虚しさの中で生活をすることができるようになりました。何もできなかった生活の中で、一番最初に復活した習慣は料理でもテレビ視聴でもなく、本を読むことでした。
虚しい自分をとことん分析した僕は、自分が虚しいのは自分が何も知らないからだと思いました。生きるってなんだ、人間ってなんだ、働くってなんだ、死ぬってどういうことだ、と思って、本を色々と読み漁りました。
今思えば、僕にとってはあれが一番の治療薬だったんだなと思います。当時の僕は基礎心理学を専門にしていたんですが、臨床心理学の本にも手を出し始めました。そこには同じように生きることの意味を探した賢い先人たちが、頭を絞って書いた考えが記されていました。
哲学や思想にも同じにおいを嗅ぎつけ、自分と同じ思いをした人間はいないか、仲間探しをしました。本の中には、時代を超えて沢山の仲間を見つけることができました。本のなかの仲間たちの話を聞いて、僕は少しずつ知識をつけ、自分なりの生きる意味を作るようになりました。
自分なりの生きる意味に合わせて、当時の自分が取り得る選択肢の中から、一番近い領域にあるものを選びました。それは心理士になることでした。
それから色々と頑張って心理士として働いている至るわけですが、まだ相変わらず虚しさを抱えながら生活しています。それが嫌ではありません。虚しさを抱えながら生活することはリアルなことだと思います。虚しさを排除して生活を楽しいこと暖かいことだけで埋め尽くすのは、僕はリアルでないと思っています。

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こんにちは。来年度からの就職が決まった学生です。近頃、ふとした瞬間に、人生や将来が不安になります。私は、何かを成し得たいとか、人生の目標とか、自分の生きる意味とか、そういったものがないままに、ある程度流されて生きてきました。理想や夢に燃える同期を見ると、眩しくて羨ましくて、こんな熱量の低い自分に突然不安になります。日高さんはそのような不安に襲われることはありますか?あるとしたら、どのように乗り越えられましたか?

ありましたよ。就職が決まった学生時代の僕は、その感覚を「人生が決まっていく感覚」と呼んでいました。これからの人生が今ほど変化に富んだものではないだろうという漠然とした予測が、未来を覆ってしまうんですね。
幸い、僕は好きで勉強してた心理学で食ってくことができる予定だったので、これを深めていこう〜、と仕事に対して最低限の期待をすることができました。
僕が「人生が決まっていく感覚」が怖かった理由には、変化のない未来以外にもう1つありまして、それは心が枯れていくという予測でした。これに関してはちゃんと本を読もうとか、人と会話しようとか、面白いことを探しながら生きようとか考えて乗り越えました。社会人になった今でもそうしています。

会社の責任者が若すぎる&しっかりしてない、自己中なのがすごく腹たちます。そしてその上の役職の方もあまり会社には来なくて何してんだ!?って感じです。 従業員のほとんどが会社の責任者に不満を持っていますが、口出しするとすぐにキレたりして大変なので誰も何も言いません。私は一番下っ端なのですが、どうすることもできないのでしょうか、

今すぐにどうするということはできないと思います。下っ端だし。

こんにちは 最近の楽しみはなんですか?

最近ね、コーヒーミルとステンレスフィルターとコップが一体化してる物を買ったんですけど、夕食後にそれでコーヒー豆をコリコリひいて、作ったコーヒーをゆっくり飲みながらタバコ吸うのが楽しみです。

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