「ポスト真実の時代」と言う言葉をどう思いますか
まず思ったのは一連の流れは「90年代から2000年代初頭に我が国に存在した、『冷戦期の報道をはじめとしたメディアのフレーム設定のいびつさと、それに対する反発、そして反発する側も自分たちが批判していたメディアと同じいびつな情報の発信に堕する』という流れをそのままなぞっている」という事です。
オルト=ライトの発生の背景として「グローバル化の進展とともに、経済的・文化的な層に動揺が見られた一方で、メディアや知識人とくに『リベラル』と言われる層が変化後の社会に対応できず、過去の教条を振り回す事への反発」というのが存在します。例えばアメリカの大学での「ウィルソン大統領の肖像画を引きずりおろせ」運動や、あるいはイギリスでの「パキスタン系移民の組織的児童売春」に対してメディアやリベラルが有効な対策を講じられなかったという事例がありますよね。それに対して在野メディアとは違う媒体が反発する情報を発信する…というのが一連の流れだと見えます。
そもそも、一連の流れは近代史でもしばしばみられる「権威の硬直化>それに対する民衆の反発>反発する勢力の暴走」といった(内田樹のような『馬鹿の言い換え』ではない、本義的な)反知性主義とその崩壊という文脈に添うものであるともいえるでしょうか。
なので、「ポスト真実の時代」と言っても決して『極めて異常な、現代的な出来事』とは思わないです。
もっとも、過去以上に一般人が情報発信力を持っているという事で、それぞれ違う層に属している人らの対立と分断を抑えるような知恵が必要かもしれない、とは思いますが。
オルト=ライトの発生の背景として「グローバル化の進展とともに、経済的・文化的な層に動揺が見られた一方で、メディアや知識人とくに『リベラル』と言われる層が変化後の社会に対応できず、過去の教条を振り回す事への反発」というのが存在します。例えばアメリカの大学での「ウィルソン大統領の肖像画を引きずりおろせ」運動や、あるいはイギリスでの「パキスタン系移民の組織的児童売春」に対してメディアやリベラルが有効な対策を講じられなかったという事例がありますよね。それに対して在野メディアとは違う媒体が反発する情報を発信する…というのが一連の流れだと見えます。
そもそも、一連の流れは近代史でもしばしばみられる「権威の硬直化>それに対する民衆の反発>反発する勢力の暴走」といった(内田樹のような『馬鹿の言い換え』ではない、本義的な)反知性主義とその崩壊という文脈に添うものであるともいえるでしょうか。
なので、「ポスト真実の時代」と言っても決して『極めて異常な、現代的な出来事』とは思わないです。
もっとも、過去以上に一般人が情報発信力を持っているという事で、それぞれ違う層に属している人らの対立と分断を抑えるような知恵が必要かもしれない、とは思いますが。
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カツ・アフガン航空相模・小林