まじめな質問をいただいてしまった…。ありがとうございます。
「文体」の定義なんですが、俺はものすごく広い意味で考えていて、記述があればそこには必ず文体がある。柄谷行人は「科学もまた文体の問題である」と言っていたけれど、記述のルールが文体なんです。俺は世の中を記述しているルールが昔からよくわかんなかったので、いつのまにか文体を研究するようになった(のかもしれない)。
文体論なら何と言っても橋本治でしょう。『蓮と刀』という怪著があって、これは文体論でありながら近代知識人批判であり、ホモ論であるという意味のわからない本。この人は大学入るまでまともに本読んでなくて、はじめてすっと入ってきたのが鶴屋南北(江戸の歌舞伎作家)の台本だというからすごいんだけど、初期の著作は文体が尖りまくってます。内容によってぜんぶ文体変えてる。
あと本自体そんな読んでるわけじゃないんだけど、わりと読んだ作家を並べ書きします。
大塚英志・・・何かと格闘している文体。わかるとすっと入ってくる。
色川武大・・・『うらおもて人生録』が素晴らしい。人間、器以上の文章は書けないなと思う。
内田樹・・・この人の文体を使うと、絶対に発狂しません。完全に文体の人なので、ツイッターになると残念感が。
村上龍・・・『コインロッカー・ベイビーズ』は特にぐいぐい読まされる。これ以上力のある文章はちょっとない。
舞城王太郎・・・浪人時代にかなり読んだ。最近は自分では使わないようにしてるけど、饒舌体大好きです。
清水義範・・・パスティーシュで有名。この人、絶対過小評価だと思うんだよな。
あとまあいろいろ。最近ハマってるゲームの攻略本だって、独自の文体があるんですよ。ギャグ漫画だって文体あるし。一番大きいのは不条理ギャグ漫画のそれかもしれない。
「オナホ男」という新感覚小説があるんですけど、これは文体模写がうまいと云う評判らしいです。もともとテキストサイトが大好きで自分も少しだけやってたので、そのへんの影響は強いと思う。
View more