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続き3変えられないものを受け入れる落ち着きと、変えられるものを変える勇気と、その二つを見定める知恵を授けたまえ、とヴォネガットの小説に書いてあったけれど、残念ながら神様からはもらいそこねているようです。これが恋=ただの空騒ぎだから、と、神様も相手してくれていないのかもしれません。質問が明瞭じゃなくて恐縮ですが、まきのさんのお知恵を少しだけ、分けてくださいますと幸いです。

okumura
知恵はありません。

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続き。寂しくて、悲しくて、悔しくて、腹立たしくて、自己嫌悪することも、罵りたくなることもあります。もういい大人なんだから、お互いのために離れた方がいいとも思いますし、もう一度話をして、それでもなお一緒にやっていけないかと諦めきれない時もあります。気持ちのすわりどころが見当たらず、毎日家に帰る度にめそめそしてしまう。さらにつづきます。

okumura
「気持ちのすわりどころ」は彼や、まして赤の他人(私など)に求めるものではなく、ご自分で見つけたり、作ったりするものです。

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まきのさん、大切な人から、別れを告げられてしまいました。私は奔放な性格でどこへでもホイホイ赴き、その場が楽しければ平気で遅く帰るような人間なのですが、彼はそういった挙動のすべてが信じられず、またこれからも信じられそうにないのだといいます。嫉妬や不安を抱えきれずに束縛してしまうのは互いにとって苦しいだろうから、とも。数年前にそうやって疑心暗鬼になる原因を私自身が作ってしまっていた(浮気的なもの)ことが大きな禍根となっているのが痛いほど分かったから、なにも言えずに、彼が出ていくのを見送るしかありませんでした。つづきます。

okumura
信じられない相手と暮らしてもしかたないと思います。

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(続き)あの子とは相変わらず、よくわからない関係を続けています。 お伝えしたお祝いと、私の分のお祝いは、やっぱり嫌そうな顔で返ってきました。あまりにも多すぎる量の食べ物を「食べろ」と言われ、大変でしたよ。美味しかったのですが。 他人に言える近況なんてそれくらいで、ほとんど何も変わらずただ生きているだけの人生を過ごしています。今までも、これからも、ずっとそんな感じでしょうね。それは時によって良いことにも、悪いことにも思えてくる。 でもまあ、それでも何とか生き延びているのは、きっとあの子たちや、槙野さんや、他の皆さんのおかげです。ありがとうございます。 では、取り急ぎまで。

Selear
あの人は相変わらずですね。そして、あなたもそれを良しとしているようです。あなたはあの人を好きだし、あの人はあの人なりに思い切りあなたを好きなようです。
あの人があなたに強いる、食べきれないほどの食べもの。食べものを与えるという原初的な好意さえ、上手に手渡すことのできないあの人。自分の好意をもてあまして不機嫌にさえなる。あなたはその不機嫌と胃に余る量の食べものを拒絶するまいと努力しました。あなたがたの過去の飢餓を、私は想像します。それがもたらした滑稽なふるまいを愛します。美しい話だ。
でも、そういう無理はほどほどにしましょう。胃腸は大切に。私たちは確実に老いてゆくのですから。あなたが長生きしなくては、あの人がきっと泣いてしまう。
帰国パーティ、どうか楽しんでください。東京を愛してくれてありがとう。東京をあなたの人生に加えてくれてありがとう。私にあなたの人生の切片を見せてくれてありがとう。
それではまた、いつかインターネットで。

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こんばんわ。せっかくの場所なのに、悪意で埋れているなんてとても悲しいことですね。少しでも悪意の割合が減ってくれれば、とこれを書いています。返信は来ない、そもそも読まれるかどうかもわからない、という状況っぽいのですが、それはそれでちょっと楽しいな、と思いますので。 と言ってもくだらない近況しか語ることがないのですが、そうですね、東京での生活は一区切りになりました。長いような、短いような数年でしたが確かに東京はいいところで、うんと楽しかったです。 今度は数日くらい遊びで行くことになっていて、東京で出来た友達数人が帰国パーティーをしてくれるそうです。帰国扱いかぁ、と感慨深くなっている近頃です。

Selear
こんばんは。
そうですか、東京を離れるのですか。あれから何年になるでしょう。月日が経つのは早いものですね。お友だちができて、見送ってもらって、あなたは、世界のどこかに帰る。私も見送ります。書かれた文字のほかになにひとつ知らない、あなたを。
ここを閉じる理由は、悪意じゃないんです。好意のようなものと言ってもいい。でも好意そのものとは違います。好意は自立した人間が他者とコミュニケーションするためのとば口です。ここを閉じる理由になったテキストに山ほど込められてい食べもののは、私への依存心です。彼らは見も知らぬ私に一方的によりかかろうとして、無視しても諦めない。
人間には理不尽な好みがあります。私は、インターネットで人と接するとき、ただ文章だけで、その人のことを知りたいかそうでないか、返答をするか否か、次があるかないかを決めます。全員とやりとりするのではありません。一度返信をしたから何度もするのではありません。私は私にとって特別な人だけにそうします。そしてその理由は、ただその人の文章が好きかどうかだけ。理不尽なのです。そしてそれでいいと思っています。みんなも私を理不尽に選んだり選ばなかったりすればいいと思っている。
でもそれを理解しない人が幾人かあるようです。私が自分をかまうべきだと思い込んでしいて、たとえばここに「質問の受付を停止しています」と書いて一切の返信をしなくても、そのまま半年置いても、まだ一方的に送り続けてくるのです。よりかかるための巨大なエネルギーを含有した、見るのもうんざりするようなテキストを。だから閉じることにしました。
その人にしてみれば、たとえばあなたと自分の違いがわからないのでしょう。私はあなたと何度もやりとりしているし、あなたの文章や体験、感情を楽しみ、あなたをある意味で特別な人としてあつかっている。その特別さは私のコントロールするものですらない。自然にそうしている。こういうのを好意と私は呼びます。
好意はだいたい気持ち悪くなる可能性のあるものです。だから私たちは「気持ち悪かったらすぐに引っ込めるからね」という姿勢を示しながら「あなたに興味があります」「あなたは私にとって特別です」と伝える。相手に選択肢を与えながら自分の意思を表示するのが礼儀というものです。私は、そこのところをわからない人が粘着しやすい場所は維持しないのです。

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ごめんなさい。また続きです。今日はこれで最後のお手紙にします。長くなってすみません。…槙野さん。実は、この人は私にとって人生で初めてお付き合いした人なんです。「お付き合い」という呼び方もしていいのかどうか分かりませんが…。こんな汚点みたいな出来事を初めてにしていいのかどうか…それが不安です。こんなことして、友人の一人には「友達やめるよ?」と言われてしまいました。なんとも言えませんでした。申し訳ないとは思わなくて、仕方ないなと思ったからです。こんなことして、私は自分のことを虐めすぎたでしょうか?明日から少し旅行に行ってきます。そこで色んなものを見て、考えようと思います。おやすみなさい。

その恋が辛いのであれば、自分の飢えを見つめるのが良いと私は思います。運が良ければ今までとは違う人と恋に落ちる、みたいなことはありません。これはおそらく私があなたに言える最大のせりふですが、受動態でいるとろくなことはありません。もう一度言いますよ。相手がどうとかではなく、あなたはどうしたいのか、あなたの欲望はなにか、見つめてください。あなた自身で、あなたの力で。
あ、初めてだからどうこうという話は、忘れちゃえばいいと思います。私には、セックスの経験とか順番とか時期とかに重要性を与える価値観が理解できません。

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続きです。この人を好きになる前の人もこの人に似たタイプの人でした。その人は女の子をその気にさせて、ある日突然つき跳ねる人でした。最低です。最悪です。なによりこんな恋愛しかできない自分の運が最悪です。槙野さんの言葉を貰って、「そんなに鵜呑みにしちゃいけない」と思いつつ、そうかもしれないと思う節が多いです。最初は本当の恋人のようだった。だんだん夢が見れなくなっていって、現実が色濃くて、相手の所作に眉を寄せるようなこともありました。本当に愛されてないんだなってことは心の隅で小さく感じていました。でも好き?って聞けば好きって返ってくる。そんな手乗りインコとのやり取りみたいなことにいちいち安堵して。

「尊敬」してセックスする、否、させる人の動機は性欲じゃない部分が大きいと私は思っています。依存心だと思う。職場や学校などのコミュニティにおける強者、正解のない自分の人生に正解っぽいなにかを示してくれる人が、自分を特別だと言ってくれる、好きだと言ってくれる。ここに動機があるわけですね。自分の性欲じゃなくて。私はあなたにあなた自身の性欲でセックスしてほしいです。セックスは菓子折りや通行証ではないし、強者を獲得するためのエサではないし、自分に必要なことばを得るための料金でもないのです。
私は思うのですが、恋は運ではありません。人はそのときに必要な人を好きになる、と橋本治(作家です)が書いていました。恋は自分の中の飢えが引き起こすものです。同じような人を好きになるのは自然なことです。飢えが保持されていれば対象は入れ替え可能だからです。倚りかかりたければ椅子を好きになる。でもたいていそれは椅子ではなく、椅子を名乗っている別のものです。

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槙野さん、度々お返事ありがとうございます。少し間をあけて返そうと思っていたのですが、今の今思っていることを伝えたいと思って書きました。下衆野郎。分かっていました。それは最初から。こうなった瞬間から知ってました。私はあの人のことを心から尊敬していました。好きだったけど抑えてた。必死に抑えてたのをいとも簡単に壊したあの人が最初は怖かった。それまでのあの人があの人に見えなくなった瞬間が私には怖くてたまらなかった。誰なんだろうこの人はって。私は、出来ることならこうなる前に戻りたい。こうならなきゃ良かった。そうすれば私はあの人のことを純粋に見れた。

そうですか、やはり下衆野郎でしたか。なに、よくいるんですよ。そんなのを「純粋に見る」必要もとくにないと私は思います。
これはただの印象ですが、あなたは年若く、ごく限られた範疇の人間関係で日々を過ごしていらっしゃるのではないでしょうか。
私はあなたの具体的な状況をなにひとつ知らないので、一般的な話をしますね。そういう状況だと、「素直な良い子」として育ってきた若い女性がしばしば、上司、指導役みたいな先生ポジションの男性を「尊敬」してセックスの要求に応じます。尊敬してるから相手がセックスしたがったらさせるというのは私にはどうもよくわかりません。尊敬してる相手に差し出す菓子折りみたいなものじゃないですよセックスは。自分がやりたい時に自分がやりたい相手とやるものです。尊敬する相手は大抵ひとりではなく、いろんな尊敬の対象がいるので、いちいち寝ていたらたいへんなことです。あなただって尊敬してたらセックスするわけじゃないでしょう。

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続きです。相手からは少しぎこちなく「おはよう」と返ってきました。相手は私があんなことを言ってもまだ好きだと言います。それが謎で、理解ができません。(槙野さんは理解などしなくてもいいと言うでしょうか?) それどころか、私があんなことを言ったのを自分のせいのように言います。私は分かりません。昨日の夜、布団の中で相手に抱き締められているところを思い出したら涙が出てきました。「離れてほしくない」と思ってしまいました。変ですよね私。死ねばいいと思ったのに離れてほしくないなんて。都合が良いのは相手も私も同じような気がします。そして開き直って、相手が私を傷つけるなら私も相手を傷つけてもいいんじゃないかとも。

傷つけてやる!みたいな泥沼は、やりたければやったらいいと私は思いますけど、ただ、あなたのお相手の、もはや個性も見当たらないほど紋切り型の下衆野郎は、あなたが罵っても傷つきませんよ。「執着されている自分」を味わって、それにも飽きたら切り捨てればいいんですから。ノーダメージです。私はその手の人間にはほんとうに興味が持てない。木偶人形にしか見えない。
あなたがご自分の怒りを無視しなかったのは立派なことです。そしてその感情は、その下衆野郎抜きで、ご自分で、お友だちなどの助けを得たりして消化することをおすすめします。

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槙野さんまたこんばんは。槙野さんのお返事を頂く前に、好きな人に自分のもう一つの気持ちをぶつけました。私の中にあったのは悲しみだけじゃなくて、怒りもありました。槙野さんの仰る通りでした。私は、(ちょっと引かれるかもしれないのですが)「死ねばいいのに」と相手にいいました。その瞬間だけは本当にそう思ったので、その後に謝ったりなんてしません。でも、相手からの反応は薄くて「そっか」でした。次の日になって、なんか、そんな相手の大人な態度に負けたくなくて、自分の子供みたいなところに負けたくなくて、普通に「おはよう」というメールを送りました。負けたくないとかいう時点で十分子供ですね。続きます…

やっぱり怒りますよね、そのシチュエーションは。何人かに似た話を聞いたことがあるのですが、みんな怒っていました。具体的には、妻のある男が独身の女に好き好き言って一定期間ロマンティックっぽい時間を楽しんで適当な時期に「きみの将来のために別れよう」というものです。その男が好きなのは相手の女じゃなくて「家庭もあるのに愛されてしまう自分」「こんなに執着されるほど価値のある自分」です。だから怒ってもいいと私は思う。
あなたのお相手があなたを好きだと言うのはどうしてかといいますと、「好きと言っておけばあなたの好意や執着をキープできるから」「相手のために行動する大人な自分を演出できるから」です。保身のために別れたいけど愛され感はまだ欲しいわけです。
もう遠慮しないで悪口言いますけど、あなたのお相手はびっくりするほど典型的、そこいらにうようよしている量産型の下衆野郎です。行動原理を理解するのはかんたんです。自分の利益しか考えてないんですから。そんなもんは大人でもなんでもない。他人の感情を搾取しないと心が保てないんだから未成熟もいいところです。

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とほうもない失言がもとで大切な人との信頼関係を台無しにしてしまいました。本人に対してあまりにも配慮が欠けていたことをお詫びしたものの、「あなたは不注意による事故程度に思ってるようだけどこちらには明らかな敵意があったように見えた」と言われ話は並行線。自分の枠組みのなかでだけで謝ってるみたいだけどそれじゃ話にならない、とも…。もともと謝るのが非常に下手くそで、"自分は悪くない"と思ってしまいがちな性格だということは痛いほど承知しているのですが、こんなときどうすればよかったのでしょうか。私はその子との関係をできるだけ修復したいと思っています。これも独りよがりなのかもしれませんが…。

こんばんは。怒っている人には、謝ったらしばらく時間を置いたほうが良いかなと私は思います。
というのも、怒りというのは含有エネルギーの強い感情で、それが言語をもって整然と表明されるほど持続しているなら、しばらくその持ち主の心は忙しいからです。そんな状態では、あなたの言い分をきっちり考慮してこの先の関係を考えるのはむつかしい。
怒りで心が忙しいときに怒りの対象から関係修復を迫られるとさらに腹が立ちます。キャパシティが小さくなっているし、自分の状態が理解されていないと感じやすいから。悪かったと言うならこちらのことをもっと考えて!みたいに思うわけですね。でもこの場合、もっと考えてほしいという、あなた対する期待があるわけだから、長期的な関係修復には期待が持てると私は思います。
しばらく時間を置いてから、うるさくない程度に連絡してみてはいかがでしょうか。お相手の怒りが何ヶ月も続くなら、それはもう相当に傷ついているので、諦め気味に待つのがいいかなと思います。
でも、怒っている理由をちゃんと説明してくれているから、ゆっくり修復できる可能性はあるんじゃないかなという気がします。あまりにひどいおこないには、それまでの関係をふっとばして一切の情がなくなるので、口も利きたくなくなるからです。社会性が高いと情がなくなっても話をするのかもしれないけど、私なら説明の義務も感じずに関係を切ってしまうなあ。いちばんひどい場合には、関係があったことさえ半ば忘れてしまいます。強い怒りにはそのような作用があります。
うまくいくといいですね。

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(続きです)私は、…ごめんなさい。質問のつもりが懺悔になりました。私は、愚かであると思います。ごめんなさい。こんなこと、書くんじゃなかったです。迷惑お掛けしました。ごめんなさい。

続きです。もちろん、あなたはこの野良ブロガー(私)に向かって話をして良いのです。迷惑なんてことはない。私は他人の話を聞くためにask.fmを開けてあるのです。応えたくなかったら応えないだけのことです。あなたが謝る必要はいっこもない。
さて、お部屋は暖まりましたか。お風呂は沸きましたか。今夜はたいそう冷えますね。おたがいあったまって、たくさん眠りましょう。

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槙野さんこんばんは。好きな人と別れた方がいいけど別れたくなくて、泣いてました。リビングでは家族がいるのでお風呂でシャワーの音で嗚咽を隠しながら泣きました。泣いても泣いても改善策は見つかりません。相手とは、この先結ばれることはありません。絶対に。遊びで独占されてるならまだ良かった。でも私はそんなのにもなれずに、好きだけど、愛してるけど、私の欲しい物は与える事が出来なくて、私の将来を考えて別れるという選択肢は最良だと思うと言われました。私がどれだけ愚かであるか知っています。私に相手を責める権利も好きになる権利も無いことも分かっています。槙野さんには冷たい目で読まれるかもしれません。(続きます。)

こんばんは。
悲しいことですね。たくさん泣いて、そんな気にはなれないかもしれないけどできれば美味しいものを食べて、できるだけあったかくしてください。暖房がんがんにつけて、お風呂を沸かしましょう。このさい省エネルギーとかは気にしないほうがいいです。
具体的な状況はわかりませんが、あんまりご自分を責めなくていいと私は思います。ご投稿の文面からどうにも強い罪悪感が感じられるのですが、罪悪感というのはだいたいろくなものじゃないです。法律に反して訴えられたりしたら反省して定められたお金を払ったり刑務所に行ったりすればいいので、それ以前の人間同士の感情や関係の問題は自分ひとりが悪いわけはないんですよ。相手も悪い。相手を責めてもいいし、憎んでもいい。自分ばかりが悪いと思うのは、ある意味で安易ですが、長期に見ると健康に悪いし、だいいち不合理です。
恋愛感情はだいたい両者均等ではない。だから恋をすると苦しみがグリコのおまけみたくついてくる(岡崎京子のマンガのせりふです)のですが、わけても苦しいのは、相手が「あなたのためだ」と言いながら自分の都合のいいように振舞っているときです。人間関係において、私たちは自分の欲望が叶えられないことに対してより、他人から感情を利用されることに対して傷つきます。私にはどうもあなたの状態がそうであるように思われてならない。
もしもそうだとしたら、あなたのお相手は卑しいやつですよ。私がこのように言うと、あなたはきっと腹を立てるでしょう。好きな人の悪口なんか聞きたくないですよね。でも私は言います。そいつはまったくもって下衆野郎だ。あなたのためじゃなくて自分のためにあなたと別れたいんですよ、その下衆野郎は。
激しい感情は多くが複合的なものですが、できればそれを腑分けしてみてください。あなたは恋を失って悲しい。もちろん寂しい。そしてあなた中の感情はきっとそれだけではない。あなたは傷つけられたことに腹を立てていいと私は思います。感情の嵐をよく見てください。怒っていいんですよ、あなたは。壁に向かって枕とか投げていいし、友だちに嘆きと怒りを聞いてもらってもいい。私はそう思います。

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槙野さんの失礼なことを言われたときのきっぱりした態度が好きです。正直言って羨ましい。領域を踏み荒らそうとする奴らを、線を指差すだけで追い払う魔法使いみたいで。槙野さんに成り代わりたい訳ではありませんが、わたしも魔法が使いたい。 社会や親や男尊女卑の構図を男に生まれたというだけの"権威"でもって維持しようとする人たち、身近あるいはネットにうようよする差別主義者に怒ったり憎悪したりする自分をいまいち許せずにいます(怒りは不和を生む、排除の対象だと周りや自分から教わってきたので)。 怒りや憎悪をどうしたら肯定できますか。あるいは、槙野さんはどういう風に肯定してきましたか?

こんばんは。それでは今夜は魔法の話をしましょう。守護の魔法の話を。
失礼であるというのはどのようなことか。言うまでもなく時と場合と相手によるので、語の内容で決めることはありません。その本質はあなたのおっしゃるように「領域を踏み越えること」。領域の境界には古来目印を置きますが、人間と人間の間の境界は近代化とともにコードがなくなり(私たちひとりひとりが人権を獲得した結果のひとつです)、結果、私たちは手探りで相手との境界を探る必要に迫られることになりました。そのためには相手に対する理解と敬意が必要ですが、中には他者への理解が不足している、あるいは特定の相手への敬意がない、またはその両方、という人間がいます。私やあなたに対して領域を荒らす者はたくさんいるのです。現代人のあらまほしき社交のための技能がないまま人前に出ている人もあるし、人権意識やなにかがきちんとインストールされていなくて私やあなたを自分と同じ人間だと思っていない者もあります。
さて、私たちはこのような者たちを排除しなければなりません。「無礼者、去ね」という呪文を唱えて身を守るのが正しいことだと、あなたはわかっていらっしゃる。しかしあなたはそれをしにくい。なぜならそれは怒りにカテゴライズされる表現であり、怒りはあなたにとってよくないものだからです。そういうふうに教えられたとあなたはおっしゃる。それがなぜだかお考えになったことがありますか。きっとあることでしょう。でも言いますね。怒りという、あって当然の感情の表出を抑圧する人間は何を意図しているか。多くの場合、女の子を誰かにとって都合のよい女性に育てたいときに、人はそうします。もっと悪い場合には、相手を自分にとって都合のよい何かに仕立て上げるときに、そうします。
あなたの怒りが悪である理由は「不和を生む、排除の対象」だからだとあなたはおっしゃいます。私にはこのふたつがかけはなれたものであるように感じられます。そこには大きな理屈のねじれがあると、私は思います。
不和はもちろん生じます、領域を侵犯する者がいるのですから。あなたは不和なんか好きじゃない。でもしかたがありません。降りかかる火の粉は払うのです。火の粉を払っていい人と焼かれてにこにこしてなきゃいけない人がいるなんておかしいでしょう。あなたは、領域を侵犯する者と不和を起こすことが個人の感情として受け入れがたく、嫌悪に耐えがたいのでしょうか?あなたの領域を差し出してでも避けたいと感じているのでしょうか?
たぶん、そうじゃないですよね。あなたが真実恐れているのは「排除」のほうですよね。あなたが怒ると誰かがあなたを排除すると思っているんだ。
それは誰ですか。あなたの領域を侵犯した相手ですか。たいていの場合は、そうじゃないと思います。だって、たとえばあなたの挙げた例の中の、インターネットの誰かとかは、あなたにとってぜんぜん大切な人じゃないもの。どうでもいいやつに排除されたくないあまりに自分のたましいの裾を切って差し上げる人間はあんまりいません。多くの場合、どうでもよくない、大切な、あるいは重要な誰かのためにそうするのです。その相手は特定の人間ではなく、もっと漠然とした「世間」とか「社会」とかかもしれません。
あなたが「排除される」と恐れているのは誰、あるいは何ですか。その人、あるいはそのものは、あなたのたましいを削る権利を持っているのですか。持っているとしたら、それはなぜですか。持っていないとしたら、あなたはどうして、そのまぼろしを保持しているのでしょうか。
今夜の私のお話はこれでおしまいです。あなたが線を指さすだけで失礼な連中を追い払う魔法使いになることを願っています。おやすみなさい。

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もし、槙野さんが恋愛に近い感情を抱いている人が、自分でなく友人と仲良くしている場合、面白くないという感情はわきませんか?いずれ恋愛に発展しそうな様子をみて、槙野さんはどんな行動に出ますか? 付き合いする上での考え方のちがいから(相手は独占欲の強い人)親しくなることなく終わるのでしょうか、それとも果敢にアタックしますか?

このご質問も、おそらく以前の別のご質問への回答(https://ask.fm/kasa_sora/answers/143276679705)で、「そもそも私は『性愛をともなう交際は排他的であるべきだ』という考え方が無言のうちに規定されていること自体がおかしいと思う」と述べたことを受けてのものと思われます。先の回答(https://ask.fm/kasa_sora/answers/143349066521)ともちょっと共通点がありますね。ほぼ同じタイミングで届いています。
私はどうもこのご質問に「友人」が入っている意図がぴんとこないので、回答が見当違いだったら恐縮です。それでもよければ読んでください。
おっしゃるような状況は、そりゃあおもしろくないと思います。だって私は好きな人と仲良くなりたいもの。恋愛感情というのは私とすごく仲良くしてほしいという気持ちだから、自分と仲良くない段階で不満です。仲良くなりたいと思う。なんだかトートロジーですけれども。
その人が私の友人を心から愛し、それによって幸福を得ている場合でも、好きな相手へのオファーはします。「果敢にアタックする」と書かれていますが、果敢というか、何にも考えずに親しくなろうとすると思います。ふつうに言っちゃいます。私はあなたを好きですがいかがでしょうか、というようなせりふを。
このご質問の場合、私の好きな人(という想定の人)と私の友人には、何らかの約束をしている関係ではない、まして法律上の契約関係でもないわけで、「親しくなることなく終わる」理由は(私には)ひとつも見当たりません。好きな相手が私に関心がなければ私がオファーしても親しくならないですが、その場合は友人は関係ないですよね。人間の感情は自由なものです。私が好きな人に好きだと言うことで、たとえば友人が私を嫌いになっても、まあしょうがない。そういう人はいずれ私を嫌うと思います。
なんだか劇的なシチュエーションを想像させるご質問が続きましたが、私はたいていの場合、第三者が登場するような劇的な関係には縁がなく、ひとりでぼーっとして本読んで寝てます。

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槙野さんご自身は恋愛対象の相手が自分以外の異性に排他的な感情を抱いて欲しいと思わないですか?或いは、その相手が自分以外の異性と親密にしていることを目の当たりにした時、理性で感情の落とし所を探るのでしょうか?ご自身もあらゆる繋がりの出来た相手とは自由に交際されるとしたら全く気にならないですか?槙野さん自身のケースをお聞かせください。

このご質問は、おそらく以前の別のご質問への回答(https://ask.fm/kasa_sora/answers/143276679705)で、「そもそも私は『性愛をともなう交際は排他的であるべきだ』という考え方が無言のうちに規定されていること自体がおかしいと思う」と述べたことを受けてのものと思われます。
私はこのとき、「無言のうちに規定されていること」がおかしいという考えを述べました。自分自身が相手に何を望むかを述べたものではありません。まして、ご質問にあるように「(相互に排他的であるべきではないので)その相手が自分以外の異性と親密にしていることを目の当たりにした時、理性で感情の落とし所を探る」ということはありません。
だいいちに、私は無言の規定をおかしいと思うのであって、個々の交際関係に関する規定を否定しているのではありません。相互に合意して個別具体的に、また明示的になす方針をとっています。したがって、「私たちはつきあっており、そのつきあいの内容はべつの人間と性的関係を持たないことだ」という合意を形成するケースもあります。さらに・または、「第三者に自分と同じ種類の好意を持たない」という合意も加わることがあります。えっと、私の数少ない経験でのことですから、もちろん代表性とか妥当性とかはないです。
第二に、私はたいていの場合、理性で感情を抑えることはしません。たとえ合意を形成していたとしても、実際に合意が反故にされたときにどう感じるかはわかりません。なんにも感じないこともあります。合意を形成していなかったのにあとから「なんかいやだー!」と感じることもあります。その場合はあらたな合意形成のための努力をします。あるいは、関係そのものをうち捨てます。苦痛の多い人間関係はないほうがましです。
相手の都合を優先するという考えはあんまりないです。だから耐えるとかしない。耐えてもいいこといっこもないと思うからです。自分にとって重要な関係においては一にも二にも感情表現と合意形成をしたがるので、無粋といえば無粋です。以心伝心、みたいな話は信じていません。

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槙野さんは小さい頃から本の虫だったそうですが、何かきっかけとなることがあったのでしょうか。子どもが生まれたら本好きにさせたいのですが。

きっかけは思い出すことができません。記憶にありません。
周囲を見ていると子どもは養育者や保育者を真似るので、本がたくさんある環境で親御さんが始終読書してすごく楽しんでいたら本好きになるかもしれないと思います。

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槙野さんは今何に興味を持ってますか?そう質問された時、即答したくなるものありますか?

ありません。質問者の意図を示されることのない汎用的な問いかけに対して個人的な興味の範囲をすべてを並べる人間なんかいないんじゃないかと思います。

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槙野さんがエロいと思う文章はどんなのですか?エロいことしてる描写じゃないですよね?

そうですね、エロい文章と性的行為を描写した文章はまったくちがうものです。私は思うのですが、文章というメディアで性的行為を直接描写すると、なんだか滑稽になります。映像だと少なくとも人物は個別具体的な存在であり、時間軸をある程度現実と共有するので、どんなにステレオタイプなセックスを演じてもそれなりにエロくなりうるけど、文章は向いてない。直接でないほうがエロい。比喩、隠喩、思わせぶり、あるいはセックス自体から遠いもののほうがエロい。そもそもエロスとセックスはセットではないのですが、文章ではそれが顕著です。
エロスは生きる側に向いた欲望を喚起させるものです。危機的状況で「生きるぞ!」と強く思う、みたいな事象もあるので、必ずしも明るく憂いなきものではないのですが、生命を肯定している。生を指向し、かつ二者の関係・感情が濃いものがエロいと私は思います。この時、二者はきちんと個人として造形されてなければいけません。短い文章でも個人の存在を感じさせるものでなくては決してエロくならないのです。いくらポストモダンが爛熟してどれほどデータベース化が進行したって、記号の組み合わせキャラクタはたいしてエロくならないですよ、文章では。マンガとかのほうが向いてる。
描写される人物の年齢性別、性的関係の有無はエロスにはあんまり関係ないです。十代の強い友情が感じさせるキラキラしたエロス、長いつきあいの中年たちが醸し出す爛れたエロス、すれ違いざまに事故のように発光するエロス。みなすばらしい。
小説が好きだとたくさんのエロくて完成度の高い文章を読むことができますが、インターネットでも断片的ながら鮮度の高いエロスを探し出すことができます。ただで今すぐ読めますよ。たとえば、雨宮まみさんは単行本だと読者を力づけてくれる印象の文章が多いのですが、インターネットで書かれていた文章は鮮やかにエロティックでした。コンテンツとしてはたとえば映画『かぐや姫の物語』のレビューなのに、研がれた主観が完全な剥き身で、読んでいてどぎまぎしたものです。
一方で人間には死を指向する欲望もあります。エロくなく、やばいやつです。私は、太宰治のトラコメみたいなかんじで、エロタナと呼んでいます。表現をこの二極を結ぶ軸に乗せると楽しいです。
エロスの反対を向いた欲望がやたら美しい文章もあり、まあ生きてるんだから死を指向することもあるよなと思う。基本、ふたつしかベクトルがないんだから、始終「生きる!」側を向いていられないですよ。死にたいとかじゃなくて、生きるのではない側を欲望することはあります。そして文章は実にその出力に向いている。
エロスが二者関係でよく描かれるのに対し、こちらは単独の人物を対象に描写されることが多いです。少なくとも文章では。景色に輪郭を溶かし、少しずつ体温をうしなっている、印象派めいた美しさです。そこにはみずからの死を意思するエネルギーや焦点はなく、揺籠みたいなメランコリーだけがあります。

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