@kasa_sora

槙野さやか

とほうもない失言がもとで大切な人との信頼関係を台無しにしてしまいました。本人に対してあまりにも配慮が欠けていたことをお詫びしたものの、「あなたは不注意による事故程度に思ってるようだけどこちらには明らかな敵意があったように見えた」と言われ話は並行線。自分の枠組みのなかでだけで謝ってるみたいだけどそれじゃ話にならない、とも…。もともと謝るのが非常に下手くそで、"自分は悪くない"と思ってしまいがちな性格だということは痛いほど承知しているのですが、こんなときどうすればよかったのでしょうか。私はその子との関係をできるだけ修復したいと思っています。これも独りよがりなのかもしれませんが…。

こんばんは。怒っている人には、謝ったらしばらく時間を置いたほうが良いかなと私は思います。
というのも、怒りというのは含有エネルギーの強い感情で、それが言語をもって整然と表明されるほど持続しているなら、しばらくその持ち主の心は忙しいからです。そんな状態では、あなたの言い分をきっちり考慮してこの先の関係を考えるのはむつかしい。
怒りで心が忙しいときに怒りの対象から関係修復を迫られるとさらに腹が立ちます。キャパシティが小さくなっているし、自分の状態が理解されていないと感じやすいから。悪かったと言うならこちらのことをもっと考えて!みたいに思うわけですね。でもこの場合、もっと考えてほしいという、あなた対する期待があるわけだから、長期的な関係修復には期待が持てると私は思います。
しばらく時間を置いてから、うるさくない程度に連絡してみてはいかがでしょうか。お相手の怒りが何ヶ月も続くなら、それはもう相当に傷ついているので、諦め気味に待つのがいいかなと思います。
でも、怒っている理由をちゃんと説明してくれているから、ゆっくり修復できる可能性はあるんじゃないかなという気がします。あまりにひどいおこないには、それまでの関係をふっとばして一切の情がなくなるので、口も利きたくなくなるからです。社会性が高いと情がなくなっても話をするのかもしれないけど、私なら説明の義務も感じずに関係を切ってしまうなあ。いちばんひどい場合には、関係があったことさえ半ば忘れてしまいます。強い怒りにはそのような作用があります。
うまくいくといいですね。
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続き3変えられないものを受け入れる落ち着きと、変えられるものを変える勇気と、その二つを見定める知恵を授けたまえ、とヴォネガットの小説に書いてあったけれど、残念ながら神様からはもらいそこねているようです。これが恋=ただの空騒ぎだから、と、神様も相手してくれていないのかもしれません。質問が明瞭じゃなくて恐縮ですが、まきのさんのお知恵を少しだけ、分けてくださいますと幸いです。

okumura
知恵はありません。

続き。寂しくて、悲しくて、悔しくて、腹立たしくて、自己嫌悪することも、罵りたくなることもあります。もういい大人なんだから、お互いのために離れた方がいいとも思いますし、もう一度話をして、それでもなお一緒にやっていけないかと諦めきれない時もあります。気持ちのすわりどころが見当たらず、毎日家に帰る度にめそめそしてしまう。さらにつづきます。

okumura
「気持ちのすわりどころ」は彼や、まして赤の他人(私など)に求めるものではなく、ご自分で見つけたり、作ったりするものです。

まきのさん、大切な人から、別れを告げられてしまいました。私は奔放な性格でどこへでもホイホイ赴き、その場が楽しければ平気で遅く帰るような人間なのですが、彼はそういった挙動のすべてが信じられず、またこれからも信じられそうにないのだといいます。嫉妬や不安を抱えきれずに束縛してしまうのは互いにとって苦しいだろうから、とも。数年前にそうやって疑心暗鬼になる原因を私自身が作ってしまっていた(浮気的なもの)ことが大きな禍根となっているのが痛いほど分かったから、なにも言えずに、彼が出ていくのを見送るしかありませんでした。つづきます。

okumura
信じられない相手と暮らしてもしかたないと思います。

(続き)あの子とは相変わらず、よくわからない関係を続けています。 お伝えしたお祝いと、私の分のお祝いは、やっぱり嫌そうな顔で返ってきました。あまりにも多すぎる量の食べ物を「食べろ」と言われ、大変でしたよ。美味しかったのですが。 他人に言える近況なんてそれくらいで、ほとんど何も変わらずただ生きているだけの人生を過ごしています。今までも、これからも、ずっとそんな感じでしょうね。それは時によって良いことにも、悪いことにも思えてくる。 でもまあ、それでも何とか生き延びているのは、きっとあの子たちや、槙野さんや、他の皆さんのおかげです。ありがとうございます。 では、取り急ぎまで。

Selear
あの人は相変わらずですね。そして、あなたもそれを良しとしているようです。あなたはあの人を好きだし、あの人はあの人なりに思い切りあなたを好きなようです。
あの人があなたに強いる、食べきれないほどの食べもの。食べものを与えるという原初的な好意さえ、上手に手渡すことのできないあの人。自分の好意をもてあまして不機嫌にさえなる。あなたはその不機嫌と胃に余る量の食べものを拒絶するまいと努力しました。あなたがたの過去の飢餓を、私は想像します。それがもたらした滑稽なふるまいを愛します。美しい話だ。
でも、そういう無理はほどほどにしましょう。胃腸は大切に。私たちは確実に老いてゆくのですから。あなたが長生きしなくては、あの人がきっと泣いてしまう。
帰国パーティ、どうか楽しんでください。東京を愛してくれてありがとう。東京をあなたの人生に加えてくれてありがとう。私にあなたの人生の切片を見せてくれてありがとう。
それではまた、いつかインターネットで。

こんばんわ。せっかくの場所なのに、悪意で埋れているなんてとても悲しいことですね。少しでも悪意の割合が減ってくれれば、とこれを書いています。返信は来ない、そもそも読まれるかどうかもわからない、という状況っぽいのですが、それはそれでちょっと楽しいな、と思いますので。 と言ってもくだらない近況しか語ることがないのですが、そうですね、東京での生活は一区切りになりました。長いような、短いような数年でしたが確かに東京はいいところで、うんと楽しかったです。 今度は数日くらい遊びで行くことになっていて、東京で出来た友達数人が帰国パーティーをしてくれるそうです。帰国扱いかぁ、と感慨深くなっている近頃です。

Selear
こんばんは。
そうですか、東京を離れるのですか。あれから何年になるでしょう。月日が経つのは早いものですね。お友だちができて、見送ってもらって、あなたは、世界のどこかに帰る。私も見送ります。書かれた文字のほかになにひとつ知らない、あなたを。
ここを閉じる理由は、悪意じゃないんです。好意のようなものと言ってもいい。でも好意そのものとは違います。好意は自立した人間が他者とコミュニケーションするためのとば口です。ここを閉じる理由になったテキストに山ほど込められてい食べもののは、私への依存心です。彼らは見も知らぬ私に一方的によりかかろうとして、無視しても諦めない。
人間には理不尽な好みがあります。私は、インターネットで人と接するとき、ただ文章だけで、その人のことを知りたいかそうでないか、返答をするか否か、次があるかないかを決めます。全員とやりとりするのではありません。一度返信をしたから何度もするのではありません。私は私にとって特別な人だけにそうします。そしてその理由は、ただその人の文章が好きかどうかだけ。理不尽なのです。そしてそれでいいと思っています。みんなも私を理不尽に選んだり選ばなかったりすればいいと思っている。
でもそれを理解しない人が幾人かあるようです。私が自分をかまうべきだと思い込んでしいて、たとえばここに「質問の受付を停止しています」と書いて一切の返信をしなくても、そのまま半年置いても、まだ一方的に送り続けてくるのです。よりかかるための巨大なエネルギーを含有した、見るのもうんざりするようなテキストを。だから閉じることにしました。
その人にしてみれば、たとえばあなたと自分の違いがわからないのでしょう。私はあなたと何度もやりとりしているし、あなたの文章や体験、感情を楽しみ、あなたをある意味で特別な人としてあつかっている。その特別さは私のコントロールするものですらない。自然にそうしている。こういうのを好意と私は呼びます。
好意はだいたい気持ち悪くなる可能性のあるものです。だから私たちは「気持ち悪かったらすぐに引っ込めるからね」という姿勢を示しながら「あなたに興味があります」「あなたは私にとって特別です」と伝える。相手に選択肢を与えながら自分の意思を表示するのが礼儀というものです。私は、そこのところをわからない人が粘着しやすい場所は維持しないのです。

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ごめんなさい。また続きです。今日はこれで最後のお手紙にします。長くなってすみません。…槙野さん。実は、この人は私にとって人生で初めてお付き合いした人なんです。「お付き合い」という呼び方もしていいのかどうか分かりませんが…。こんな汚点みたいな出来事を初めてにしていいのかどうか…それが不安です。こんなことして、友人の一人には「友達やめるよ?」と言われてしまいました。なんとも言えませんでした。申し訳ないとは思わなくて、仕方ないなと思ったからです。こんなことして、私は自分のことを虐めすぎたでしょうか?明日から少し旅行に行ってきます。そこで色んなものを見て、考えようと思います。おやすみなさい。

その恋が辛いのであれば、自分の飢えを見つめるのが良いと私は思います。運が良ければ今までとは違う人と恋に落ちる、みたいなことはありません。これはおそらく私があなたに言える最大のせりふですが、受動態でいるとろくなことはありません。もう一度言いますよ。相手がどうとかではなく、あなたはどうしたいのか、あなたの欲望はなにか、見つめてください。あなた自身で、あなたの力で。
あ、初めてだからどうこうという話は、忘れちゃえばいいと思います。私には、セックスの経験とか順番とか時期とかに重要性を与える価値観が理解できません。

続きです。この人を好きになる前の人もこの人に似たタイプの人でした。その人は女の子をその気にさせて、ある日突然つき跳ねる人でした。最低です。最悪です。なによりこんな恋愛しかできない自分の運が最悪です。槙野さんの言葉を貰って、「そんなに鵜呑みにしちゃいけない」と思いつつ、そうかもしれないと思う節が多いです。最初は本当の恋人のようだった。だんだん夢が見れなくなっていって、現実が色濃くて、相手の所作に眉を寄せるようなこともありました。本当に愛されてないんだなってことは心の隅で小さく感じていました。でも好き?って聞けば好きって返ってくる。そんな手乗りインコとのやり取りみたいなことにいちいち安堵して。

「尊敬」してセックスする、否、させる人の動機は性欲じゃない部分が大きいと私は思っています。依存心だと思う。職場や学校などのコミュニティにおける強者、正解のない自分の人生に正解っぽいなにかを示してくれる人が、自分を特別だと言ってくれる、好きだと言ってくれる。ここに動機があるわけですね。自分の性欲じゃなくて。私はあなたにあなた自身の性欲でセックスしてほしいです。セックスは菓子折りや通行証ではないし、強者を獲得するためのエサではないし、自分に必要なことばを得るための料金でもないのです。
私は思うのですが、恋は運ではありません。人はそのときに必要な人を好きになる、と橋本治(作家です)が書いていました。恋は自分の中の飢えが引き起こすものです。同じような人を好きになるのは自然なことです。飢えが保持されていれば対象は入れ替え可能だからです。倚りかかりたければ椅子を好きになる。でもたいていそれは椅子ではなく、椅子を名乗っている別のものです。

槙野さん、度々お返事ありがとうございます。少し間をあけて返そうと思っていたのですが、今の今思っていることを伝えたいと思って書きました。下衆野郎。分かっていました。それは最初から。こうなった瞬間から知ってました。私はあの人のことを心から尊敬していました。好きだったけど抑えてた。必死に抑えてたのをいとも簡単に壊したあの人が最初は怖かった。それまでのあの人があの人に見えなくなった瞬間が私には怖くてたまらなかった。誰なんだろうこの人はって。私は、出来ることならこうなる前に戻りたい。こうならなきゃ良かった。そうすれば私はあの人のことを純粋に見れた。

そうですか、やはり下衆野郎でしたか。なに、よくいるんですよ。そんなのを「純粋に見る」必要もとくにないと私は思います。
これはただの印象ですが、あなたは年若く、ごく限られた範疇の人間関係で日々を過ごしていらっしゃるのではないでしょうか。
私はあなたの具体的な状況をなにひとつ知らないので、一般的な話をしますね。そういう状況だと、「素直な良い子」として育ってきた若い女性がしばしば、上司、指導役みたいな先生ポジションの男性を「尊敬」してセックスの要求に応じます。尊敬してるから相手がセックスしたがったらさせるというのは私にはどうもよくわかりません。尊敬してる相手に差し出す菓子折りみたいなものじゃないですよセックスは。自分がやりたい時に自分がやりたい相手とやるものです。尊敬する相手は大抵ひとりではなく、いろんな尊敬の対象がいるので、いちいち寝ていたらたいへんなことです。あなただって尊敬してたらセックスするわけじゃないでしょう。

続きです。相手からは少しぎこちなく「おはよう」と返ってきました。相手は私があんなことを言ってもまだ好きだと言います。それが謎で、理解ができません。(槙野さんは理解などしなくてもいいと言うでしょうか?) それどころか、私があんなことを言ったのを自分のせいのように言います。私は分かりません。昨日の夜、布団の中で相手に抱き締められているところを思い出したら涙が出てきました。「離れてほしくない」と思ってしまいました。変ですよね私。死ねばいいと思ったのに離れてほしくないなんて。都合が良いのは相手も私も同じような気がします。そして開き直って、相手が私を傷つけるなら私も相手を傷つけてもいいんじゃないかとも。

傷つけてやる!みたいな泥沼は、やりたければやったらいいと私は思いますけど、ただ、あなたのお相手の、もはや個性も見当たらないほど紋切り型の下衆野郎は、あなたが罵っても傷つきませんよ。「執着されている自分」を味わって、それにも飽きたら切り捨てればいいんですから。ノーダメージです。私はその手の人間にはほんとうに興味が持てない。木偶人形にしか見えない。
あなたがご自分の怒りを無視しなかったのは立派なことです。そしてその感情は、その下衆野郎抜きで、ご自分で、お友だちなどの助けを得たりして消化することをおすすめします。

槙野さんまたこんばんは。槙野さんのお返事を頂く前に、好きな人に自分のもう一つの気持ちをぶつけました。私の中にあったのは悲しみだけじゃなくて、怒りもありました。槙野さんの仰る通りでした。私は、(ちょっと引かれるかもしれないのですが)「死ねばいいのに」と相手にいいました。その瞬間だけは本当にそう思ったので、その後に謝ったりなんてしません。でも、相手からの反応は薄くて「そっか」でした。次の日になって、なんか、そんな相手の大人な態度に負けたくなくて、自分の子供みたいなところに負けたくなくて、普通に「おはよう」というメールを送りました。負けたくないとかいう時点で十分子供ですね。続きます…

やっぱり怒りますよね、そのシチュエーションは。何人かに似た話を聞いたことがあるのですが、みんな怒っていました。具体的には、妻のある男が独身の女に好き好き言って一定期間ロマンティックっぽい時間を楽しんで適当な時期に「きみの将来のために別れよう」というものです。その男が好きなのは相手の女じゃなくて「家庭もあるのに愛されてしまう自分」「こんなに執着されるほど価値のある自分」です。だから怒ってもいいと私は思う。
あなたのお相手があなたを好きだと言うのはどうしてかといいますと、「好きと言っておけばあなたの好意や執着をキープできるから」「相手のために行動する大人な自分を演出できるから」です。保身のために別れたいけど愛され感はまだ欲しいわけです。
もう遠慮しないで悪口言いますけど、あなたのお相手はびっくりするほど典型的、そこいらにうようよしている量産型の下衆野郎です。行動原理を理解するのはかんたんです。自分の利益しか考えてないんですから。そんなもんは大人でもなんでもない。他人の感情を搾取しないと心が保てないんだから未成熟もいいところです。

Language: English