けれさんは凛々しいよ

思い出話をひとつ聞いてくれるかい。
通ったのは地元の進学校だったので垢抜けない生徒の方がずっと多かったけれど、綺麗な子たちもたくさんいた。化粧を覚えていたわたしは、うまいことそっちの「垢抜けた子たち」のほうに入れてもらって、やれ3年の先輩がかっこいいだの、制服がださくて萎えるだの、あの子告られたらしーよ、1限から体育とかまじだるすぎ、体育祭でチアやる? 団の応募にタナカの名前あったらしーよ。一緒にやれば。花とか小鳥みたいにきゃらきゃら騒いでいた。水泳部めっちゃ焼けてんじゃんウケる。それ香水どこ? あー、脚ふとったかも。お弁当ちっちゃくない?
でもわたしも生粋のギャルじゃないからキラキラの本筋からは微妙に外れてて。部活は帰宅部だったし、好きな子は他校にいるとか言ってるし。誰だよヨシオカって。スカート短いくせに校内模試とかいつも1位だし。ガリ勉じゃん。授業中ノートになんか書いてんのあれなに? たまにいないし。どこいってんの。体育祭とか全然ノってないし。ミシマユキオとか読んでるし。よくわかんない。まああの子はそれでいーんじゃん。まあいーけどさ。進学校なので個性にやさしい。
そんななので、微妙にひとりの時間があって、キラキラから微妙に外れてる子たちと何となく友達になることがあった。ねーユリってなんでタカハシさんと仲良いの? 何話してんの? なんか本の話とか。ふーん。あでも恋バナもするよ。えタカハシさんってどんな人好きになるの。わかんないけど他校の子だって。また他校かよ。そんでスタンダールの恋愛論読んでた。誰スタンダール。こわ。
そういう「謎に仲良い人」の1人に、アミさんがいた。アミさんとは2年生のときに同じクラスになった。目が大きくて唇が薄くて、色の白い、髪の色素も薄い、よく笑うはきはきした子。生徒会の書記の子。頼りがいのあるお姉さん。でもなんとなくちょっと浮いてる。
それは彼女の家が熱心なクリスチャンで、だからわたしたちの芋臭い学校の一大行事であった体育祭にも出てなくて(え、キリスト教ってそんな感じだっけ? んー、まあウチは教義的に出られなくもないんだけど、出たくないじゃん。出たくないだけかよ。そーだよ、あはは。なんだよそれ、いいなあ。っていうのはわたしとアミさんの内緒話だ)、みんなまだそういうのを上手に扱える年齢じゃなかったから。でも、進学校は個性にやさしいので、アミさんも別に普通に馴染んでた。ていうか生徒会だし。生徒の代表。代表的に溌剌と高校生活を営んでいた。
アミさんはわたしが授業中になんか書いているのを目ざとく見つけてわたしに興味を持ったらしくて(なぜならアミさんも家では長い長い日記を毎日書いていたから)、でも追いつめて暴くとかじゃなくて少しずつ上手に距離を縮めてくれて、すんなりと、しかしとても仲良くなった。
休みの日に一緒に大名に遊びに行って、街で見たもので短歌を作ったり。一緒に春の海に行って、よくわからないものを拾い集めたり。うわ、イカ死んでる。イカの死体すごいね。ちょっと綺麗だね。みたいな。
アミさんにも生徒会とか似た者クラスメイトとかの別の世界があって、わたしも相変わらずきゃぴきゃぴしたところにいて、なので遊ぶときはふたりきりで遊んでいた。ふたりでいて、ふたりの行きたいところに行った。
避けていたわけでもなく、普通に別々の友達がいたから自然と、教室ではあまり一緒にいなかった。そのかわり、ノートを交換していた。「授業中になんか書いてる」のなんかにあたる、日記のノート。彼女と日記を交換して読みあっていた。
日記に綴られたお互いの思いの丈とか恋とか生活とかについて特にコメントしあうわけでもなしに、ただひたすら、交換して読んで、書いて、読んで、また書いて。ねえ、あれいつも何交換してんの? んー、なんか映画の感想とかのやつ。え感想文とか? とか。ふーん。なんかすごいね。ふたりの世界って感じ。
彼女の日記にどんなことが書いてあったか今となっては全く覚えていないし、わたし自身も日記に何を書いていたのか覚えていない。でも、そうやって、自分の中で自己を対象化するだけにとどまらず、読まれるものとして完全に客体になっていた。わたしの自我。アミさんの自我も。そういう、すごく水分の多い、でも湿っているわけではない、不思議な関係。不思議な親密な関係にあった。
そんなアミさんと、大人になってからもずっと二人で遊んでいたんだけど、一年ほど前に、初めて酒を飲みに行った。お盆休みで地元に帰ったときに、地元から離れていないアミさんの知っている店で日本酒を飲んだ。はるか昔、高校時代には日記にしか書けなかったような繊細な憤りやなまぬるい悲しみについての言葉が、お酒のおかげか、はたまた大人になったからなのか、ちょこちょこと会話にはさまる。それで二人で感極まる。すごく楽しいお酒だった。
その席で、アミさんが高校時代のわたしのことを話してくれた。
「朝の集会とか始業式とかでさ、体育館とかに集まってるときあるじゃん。ああいうときに、ほら私はコーノちゃんとかミズノと一緒にいてそのへんに座ってるんだけどさ、なんかそういうとき毎回、うちらの間で『あ、ユリさんだー』ってなるの。『ユリさんが歩いてる』『ほんとだー』って。ユリさんもあのキラキラした感じの友達と一緒にいてさ、うちらからちょっと離れたところ、体育館の後ろの方とかを、まあ普通に歩いてるだけなんだけどさ。なんだかすごく目を引くの。他の人じゃなくてユリさんなんだよね、そこにいるのがぱっとわかるのって。目立ってた。背筋が伸びてて。『ユリさんがいるね』って言ってみんなで見てた。綺麗だったなあ。」
こんな話を面と向かって聞かされて、わたしは茹で蛸みたいに顔を真っ赤にしてしまったのだけれど、「凛としている」というのはきっと人から見てこういうふうに映る姿のことなのだろうな。どんな褒め言葉よりも衝撃で、とてつもなく面映ゆかったけれど、一生忘れられないと思う。嬉しくてはにかんで寝つけなかった、その晩は。
高校生の頃のわたしは今とは比べ物にならないほど鋭く尖っていて、若さゆえに意志の力がとても強くて、多分プライドもずっと高くて、それゆえ熱くて冷たくて、そういう意味では「凛としている」という表現が似つかわしいのはあの頃のわたしだったのかもしれないけれど。
今はもう違う形をしているわたしは、ちゃんと凛としているのだろうか。
あの頃と比べて、本当にだらしない人間になったと思う。自分で自分を律しきれない。体力に気力が負ける。邁進していない。無謀な高みを目指してもいない。楽することを覚えてしまった。
でも、そのおかげで随分柔らかくなった。少しは人の痛みがわかる。いろんなことがままならないことを知った。仕方ないと言えるようになった。優しくなった。余裕ができた。不用意に誰かを傷つけることも減ったはずだ。それができるわたしが「凛としている」のかどうかはわからない。わからないなりに、背筋だけは伸ばして歩いていく。背筋を伸ばして体育館の後ろの方を歩くあの頃のわたしを自分の中に宿し続けるために。そんなことを思った。どうもありがとう。

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