幸せになりた~いと思ってアランの幸福論に手を伸ばすあたりが不器用の極みすぎてひとしきり笑ってしまった。
お便りありがとう、回答していこうね。
最初に申し上げますと、アランの幸福論は大学(卒論)にて笑いについて取り上げた関係でぺろりと読んだ程度でして、となると所感も浅いところをチャプチャプするしかないです。一言お断りを。
では本題。
幸福論に書かれているなかでも有名な言葉として、
「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。」、
「ひとは幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」。
というのがありますね。
メンタルマッチョ、と言われましたが、通りだと思います。
これはアドラー心理学を柔らかく、かつシンプルにした論ですから。
アドラーの心理学と言えば「トラウマなんて存在しねぇ!!(過去にとらわれるな「「「いま」」」を見ろ!!)」でおなじみの精神的マッチョブートキャンプ(繊細さを一切排してとにかく前進を重きにおくので周囲を殴り倒していって気づいたら一面焼け野原になってることもままあるもよう)ですね。
(全ての自己啓発というのはいかに段階的に自己を改造していって最終的に「精神的マッチョ」を獲得するか?ということでもあるので、)元ネタはどっちがだどうこうという話は致しません。
違いと言えばアドラーは原因を否定しましたが、アランはそれについては論ぜず、あくまで「原因が何か自分の中で見つめなおすことが肝要だ」という話でまとめているところでしょうか。
個人的には比較対象にしたアドラーが劇薬すぎるのもあって、アランの幸福論自体はとても好意的に見ています。
「幸福」は「徳」と同義で、それ故に「ひとは幸せになることを誓わねばならぬ(幸福は義務である)」と彼は言ってますよね。
この考え方が社会全体に浸透すれば、ペイ・フォワード的にみんなが幸せになれるんだろうなぁと思うので。それは、とても明るくて、すごく希望的ですよね。
本自体もコラムの詰め合わせのみたいでざっくばらんに読めるのもすきです。ポケットにアラン。詩的なフレーズだ。
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