Apple Watch は欲しいですか?

おしゃれ用と普段着用とで異なる評価基準がありますが WATCH はどちらにも当てはまりません.
普段着用する時計は,過酷な気温差、水分量、衝撃に耐えられ,時計合わせのメンテナンスさえ極力排除できる圧倒的な耐久力を持った電波時計です.
おしゃれするための時計は,CPUにもクォーツにも頼らないアナクロな機械式と決めています.

Latest answers from T.Sasajima

来年の秋以降、アメリカでの留学を考えています。大学を検討する上で何かアドバイスがあったら、教えてください。

1つめ。
特に北部の場合、大学の見学は、実際にその環境下で生活することになる秋から春に行くこと。環境の厳しい冬がベスト。研究で夏も残るという事情でもない限り、季節的に一番過ごしやすい夏に見学に行ってもあまり意味が無い。夏の見学で得た印象に幻想を抱いて進学すると、とんでもなく幻滅することになる。
2つめ。
藤原正彦先生の「数学者の言葉では」を読むこと。余力があれば、処女作の「若き数学者のアメリカ」も読んでおくといいよ。二つとも30年以上前に書かれたエッセイ集だけど、ここで登場するアメリカの学生と、私が今日出会うアメリカの学生って、そんなに変わっていない。思い出した時にまた読めるように、2冊とも大学に持っていくといい。

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客観的自我を意識(自由意志はあるものとする)と定義するなら、植物や動物などは有機的機械、つまり物となる。一般的に成人した人間は意志のある者となる。ならば、客観的自我を持たない人間の成長過程である子供は物か者か? 最近この事柄についてずっと悩んでいるので、何か意見や指摘があれば聞かせてください。

私もちょっと悩んでみましたよ。あんまり長い時間を割けないのでデッドラインを設定しました。締め切りだいじ。
一つ目の結論はずばり、「子供は『物』です」
よろしければ、稚拙な論理を辿るのにしばしお付き合いくださいまし。
ケース1. メントスを入れたコーラは、暴発する。メントスが一人でに意志を発揮させ、暴発を阻止することはできない。よってメントスに自由意志はない。
ケース2. 私は、メントスとコーラを置いた机の前に立っている。メントスを入れたらコーラは暴発する。私は、暴発 (させたいという意思) を阻止するべく、メントスをコーラに入れない選択を取る。私には手にとったメントスをコーラに入れることも、入れないで食べることも、どちらもせず机に戻すこともできる。ここで得た決定権は私の自由意志だ。
ここまでは比較的単純明快です。次に、人間と動物の区別が曖昧になる事例を見てみます。
ケース3. 基本的なしつけの訓練を受けた犬は、家の外でおしっこする。家の中で勝手気ままにすることはしない。これは犬が物理的に排泄ができない訳ではない、飼い主にしてはダメと教えられ、自発的にしない選択をとっているからだ。これは犬の持つ自由意志だと考える。何かを自発的に我慢するという選択肢を持つ動物の存在を私は認める。
ケース4. とてもタイプの女の子を前にして「理性が吹っ飛んじゃったぜ」とか言ってる男は、アレゲな行動に走る。この男には「理性を失くす」と発言した時点で、その次にとろうとする行動を阻止する力を放棄している。女の子の魅力が「引き金」となって行為に及ぶ以上、男の意識から自由意志は (一時的に) 消えると言える。
以上、動物は意志を持たないがゆえに「有機的機械、つまり物」であり、「成人は意志のある者」であるという主張に対する反証の一例です。
ここでのポイントは、単に質問者の言葉の揚げ足取りに走ることではなく、何を動物とし何を人間とするかの線引きを明確にしておくことです。人間的な行動をとる動物もいれば、動物的 (しばしば野性的ともいう) な行動をとる人間もいる。
質問者が用意してくださったコンテキストにおいて、自由意志を持たない選択肢を取るヒトは、「物」か「者」と問われたら「物」と答えることができます。「獣」といったほうが私にはしっくり来ますが、そもそもの語源が「毛の『物』」にあるらしいので、質問者の主張と整合性は取れていると判断できます。
人間的な動物にあって、動物的な人間に無いものが、自由意志です。解釈の一つとして提起します。自由意志というのは、その名に反して ironic に感じるかもしれませんが、「その行動をとることで起こり得ることを回避する力」とは言えませんか。我慢する力。生物的な本能に抗う力。ロボットだって決して好意で微笑むのではなく、プログラムされたから否応なく笑う (行動を取る) のです。そういう人間っぽい有機的な機械、あなたの周りにはいませんか。そうですか。
それはさておき、自由意志をそう解釈した上で子供を当てはめると、我慢する能力がまだ小さいという点で、自由意志を持っていない動物的な人間に分類することができる、と言えます。ぐずって泣く赤ちゃんは本人の欲求が満たされるまで、あるいは不満が解消されるまで、泣き続ける。そこに自由意志はまだ成立していない。
したがって子供は「物」だと結論づけることに私は納得がいきました。∩(・ω・)∩
……ダメですかね?
ところで、この質問では子供と人間の線引きもさほど明確化されていないので、それもはっきりしておきます。
生物学的な年齢による区別は、さほど意味を成しません。でなければ、「歳の割に老けている/幼い」とかいう言葉になんの価値があるのか。
最大の鍵は「学び」にあると考えます。自由意志を適切に行使するタイミングを知るために、どんな場所に置かれても生きていける知的態度を持つために、人間は常に学ぶ。それが基本姿勢であるべきです (母校ではそういった態度を持たない生徒をサル、すなわち動物と呼んだ)。ヒトは学校に入ってから何かを学ぶのではない、生まれた瞬間からあらゆるものを吸収し始める。子供 (動物) は、そういった意味での「人間」になるために勉強するのであり、動物が人間に変わるのは学校ではなくまず家庭だと思ってます。
勉強を何のためにするのかと訊かれて「将来のため」と答える人に、本質的な自由意志をその人から感じることができない。「将来のため」ってどういうこと? 卒業したあとに仕事を見つけて、ちゃんとお金を稼いで生計を立てることだというのなら、就職が決まったらめんどくさい勉強なんてバカらしくてやってられないよね。内定もらった途端、大学休んで卒業旅行でかけますとか、「これが俺達の自由意志の行使だ」とか言う近況が私の所にも流れてくる。何のためにいままで20年以上生きて学んできたのと、他人ごとなりに心配する。
それはそうと、「自分の意思は自らの身体を思いのままに動かせる」なんてのは、過去の人間の勝手な思いこみにしかすぎないかもしれませんよ。
https://vimeo.com/51018843
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人間は実は自由意志を持たず、脳をつかさどるニューロンの繋がり (ひいては意思を持たない化学物質) と、それらを行き来する意思を持たない電気信号によって動かされているのでは? いやもちろん、それらがちゃんと機能してくれているから、質問者も、回答者である私も、こうやってやり取りができているわけですが、化学物質を構成する原子や電気信号がバラバラになっていれば、この地球には私に問いを投げかけた質問者も、それに答えた私もいない、とは考えられませんか。
ここに、ふたつ目の結論が見えてきます。「子供『も』物です」
すなわち、「人間も含めた」すべての生物が、意思をもたない「物」となる。
この結論は人によっては受け入れられないものかもしれません。私たちが日々とり続ける選択が、コーラの中で無慈悲にも暴発するメントスと何も変わらないなんて、受け入れられますか。親の遺伝子コードを元にして生まれてきて、既に存在する自然の理や社会の規範の元に「プログラム」されてきたあなたも、親や規範に抗ったところでそれはなるべくして起こった結果だったなんて、受け入れられますか。
……自由意志そのものを完全に斬るつもりはないです。でなければ、多神教になって森羅万象に宿る何かの存在を漠然と信じたりはしない。人間によって釣られるまで魚が水を意識しないように、数百年前まで人間が宇宙を意識しなかったように、現段階で科学的な証明は出来なくても、今の私たちや機械に感知できないものを私は否定しません。
ただ、他の動物達と性質上同じである人間が、ちょっと表現力と思考力を持ったからというだけの理由で、他のすべての動物と区別されるべきというデカルト主義っぽい前提は、現代科学と照らしあわせると綻びができているように見えます。
哲学から遠くはなれた私に質問を送ってくださって、ありがとうございます。
期待したとおりの答えになってなかったら、お詫び申し上げます。

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海外に10年以上もいてなぜあなたの日本語はネイティブと同じレベルなんですか?話しやすい言語は日本語と英語のどちらですか?

3つ思いつきました。
ひとつめは、「思考するにあたって基礎となる言語が日本語である」こと。日本を離れた11歳=小学5年までは日本語一辺倒の生活でしたし (家族の誰も渡米するなんて考えてなかった)、英語は「小学校の授業で儲けられたお遊戯の時間」の印象しかありませんでした。中学受験のための進学塾にもバリバリ通ってましたし、こちらに来てからしばらくの間はあんまり真面目に現地の授業には取り組んでこなかった (わりと短期で帰る前提だった) ので、英語の上達のほうが遅いくらいでした。
ふたつめは、「父親が日本語・言葉に携わる職業に就いている」こと。ええやろこれくらいっていうような漢字の細かい部分までチェックしたり (おかげで「衆」という字を書くのはトラウマになった)、小学生だった当時の私が書いた文章に対してオーバーキルな校正もしたり。小学校に通いだしてから日本を離れるまでの父上には、あまり良い思い出が無いですが、ひとつめで挙げた「基礎」を作ったのは紛れもなくこの人です。
みっつめは、「アメリカに赴いてから高校卒業まで、父親に代わる先生の指導のもと、これまた厳しい日本語の教育を受けた」こと。この先生は今年83歳になりましたがバリバリ現役です。やり方には受け入れがたいところも多々ありましたが、この人と出会わなかったら、私は日本語・英語どっち付かずの根無し草になっていたことはまず間違いありません。
そういうわけで話をしてて/文章を読み書きしていて楽なの日本語だし、普段の思考の基礎も、英語で話すとき以外は日本語がベース。ただし日本人だったら普通はしない間違いも平気でやらかすので、ネットを粗探しすると「虞」と「虜」を間違えて読んでた中学生のころの自分が今でも残ってるはず。ネイティブでありたいとは思うけど、たぶんこれからもそのレベルには届かないよ。変な日本語があったら鼻で笑いながらこっそり教えて下さい。

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一目ぼれって信じる? どうして?

そりゃ焦りやら専有欲やら,あらゆる要因をもって一目惚れによる恋愛の成就に人生の一部なり全部を懸け (られ) る人はいるでしょうよ.否定はしませんよ? 私はそういう直感や霊感は持ちあわせて無いというだけの話で,面識の無い人への一目惚れは今までの経験ではないです.が,友人知人といったかたちで,何ヶ月何年といった単位でお互いに認識しあっている仲の誰かを,どうでもいいようなタイミングで一瞬で好きになることはあります.

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運命を信じますか? あなたの運命は?

みんないつも誰かに助けられて生きてきたのだから「運命なんて信じない」と答えるのは,程度はどうあれそれまで接してきてくれた人々を無視した発言でエゴイスティックですね.実力も運命もある程度の相互作用が効いていますが,実力が運命を越えることはないと思ってます.
私はそのうち死ぬ運命にあるんでしょうが「死ぬのが楽しみ」と思えるほど,これまでの人生に絶望も満足もしていないので…

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