Ask @snty_tact:

「あなたの胸の内側にはどんな悲しみがある?」という質問が来たので転送します

切なさも思慕も郷愁も私は敏感に感じるほうですけど,その全てに本質的な悲しみはないと考えます.追い求めても叶わないかもしれないという悲観的な考え方もアリですが,「私が生きている限りは叶う余地がある」と楽観することもできるし私はそう捉えたい.だってそのほうが生きるのが楽しいじゃないですか.見えない暗闇の中を探りながらも,追い求めている方向へ目指すことができるのが人間じゃないんですか.
思慕も郷愁も同じです.私の好きな人が私に対して相互主義じゃなくても,必ずしも再会を拒絶されるわけじゃない.故郷の地から離れることが必ずしも,もうその土地を踏めないというわけじゃない.仮にそのいずれも叶わなかったとして,その悲しみが胸の内側に残ることはありえません.なぜなら私の胸の中に秘める他への欲望・希望・期待の割合がそもそも高くないからです.だけどお互いが生きている限り,思慕への小さな希望は生き続ける.予想に反して期待通りのことが起きた時の喜びは有る種の極みに達するものがあり,長い間残ります.負の感情には常に揺らぎがありますが,悲しみを引きずることはめったにありません.極めて一時的です.都合のいい人間なんですね.
逆に私の心をとことん抉るものは,私と関わりの深い人間がこの世界から生きていないという事実です.私と直接の繋がりが無くとも,私にとって大切な人が大切な方を亡くしたという話を聴いて,いつの間にか泪を流していたことがあります.暫く音信がなかった人から届く訃報というのはかなり悪い部類です.昨日まで話し合っていた人が突然世界から存在を隠すというのは最悪のパターンです.
また会えるだろうと思っていた人がもういないことに気づいた途端,私はその人が生前私に宛てた痕跡を探しはじめます.その人が私にくれた筆跡を見つめる.録音を聴く.写真を眺める.最後の投稿を読む.何十回ものリピートを繰り返してようやく,死んだ人の生きた思考に触れる機会はもう無いということを少しずつ自覚する.会えるかもしれないというわずかな希望を無慈悲にも打ち砕かれた現実を前にして,私にできることは,昨日まで見えていた自分の世界が壊れている様子をただぼうっと見つめるだけなのです.これは私の孤独の定義でもあります.

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来年の秋以降、アメリカでの留学を考えています。大学を検討する上で何かアドバイスがあったら、教えてください。

1つめ。
特に北部の場合、大学の見学は、実際にその環境下で生活することになる秋から春に行くこと。環境の厳しい冬がベスト。研究で夏も残るという事情でもない限り、季節的に一番過ごしやすい夏に見学に行ってもあまり意味が無い。夏の見学で得た印象に幻想を抱いて進学すると、とんでもなく幻滅することになる。
2つめ。
藤原正彦先生の「数学者の言葉では」を読むこと。余力があれば、処女作の「若き数学者のアメリカ」も読んでおくといいよ。二つとも30年以上前に書かれたエッセイ集だけど、ここで登場するアメリカの学生と、私が今日出会うアメリカの学生って、そんなに変わっていない。思い出した時にまた読めるように、2冊とも大学に持っていくといい。

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客観的自我を意識(自由意志はあるものとする)と定義するなら、植物や動物などは有機的機械、つまり物となる。一般的に成人した人間は意志のある者となる。ならば、客観的自我を持たない人間の成長過程である子供は物か者か? 最近この事柄についてずっと悩んでいるので、何か意見や指摘があれば聞かせてください。

私もちょっと悩んでみましたよ。あんまり長い時間を割けないのでデッドラインを設定しました。締め切りだいじ。
一つ目の結論はずばり、「子供は『物』です」
よろしければ、稚拙な論理を辿るのにしばしお付き合いくださいまし。
ケース1. メントスを入れたコーラは、暴発する。メントスが一人でに意志を発揮させ、暴発を阻止することはできない。よってメントスに自由意志はない。
ケース2. 私は、メントスとコーラを置いた机の前に立っている。メントスを入れたらコーラは暴発する。私は、暴発 (させたいという意思) を阻止するべく、メントスをコーラに入れない選択を取る。私には手にとったメントスをコーラに入れることも、入れないで食べることも、どちらもせず机に戻すこともできる。ここで得た決定権は私の自由意志だ。
ここまでは比較的単純明快です。次に、人間と動物の区別が曖昧になる事例を見てみます。
ケース3. 基本的なしつけの訓練を受けた犬は、家の外でおしっこする。家の中で勝手気ままにすることはしない。これは犬が物理的に排泄ができない訳ではない、飼い主にしてはダメと教えられ、自発的にしない選択をとっているからだ。これは犬の持つ自由意志だと考える。何かを自発的に我慢するという選択肢を持つ動物の存在を私は認める。
ケース4. とてもタイプの女の子を前にして「理性が吹っ飛んじゃったぜ」とか言ってる男は、アレゲな行動に走る。この男には「理性を失くす」と発言した時点で、その次にとろうとする行動を阻止する力を放棄している。女の子の魅力が「引き金」となって行為に及ぶ以上、男の意識から自由意志は (一時的に) 消えると言える。
以上、動物は意志を持たないがゆえに「有機的機械、つまり物」であり、「成人は意志のある者」であるという主張に対する反証の一例です。
ここでのポイントは、単に質問者の言葉の揚げ足取りに走ることではなく、何を動物とし何を人間とするかの線引きを明確にしておくことです。人間的な行動をとる動物もいれば、動物的 (しばしば野性的ともいう) な行動をとる人間もいる。
質問者が用意してくださったコンテキストにおいて、自由意志を持たない選択肢を取るヒトは、「物」か「者」と問われたら「物」と答えることができます。「獣」といったほうが私にはしっくり来ますが、そもそもの語源が「毛の『物』」にあるらしいので、質問者の主張と整合性は取れていると判断できます。
人間的な動物にあって、動物的な人間に無いものが、自由意志です。解釈の一つとして提起します。自由意志というのは、その名に反して ironic に感じるかもしれませんが、「その行動をとることで起こり得ることを回避する力」とは言えませんか。我慢する力。生物的な本能に抗う力。ロボットだって決して好意で微笑むのではなく、プログラムされたから否応なく笑う (行動を取る) のです。そういう人間っぽい有機的な機械、あなたの周りにはいませんか。そうですか。
それはさておき、自由意志をそう解釈した上で子供を当てはめると、我慢する能力がまだ小さいという点で、自由意志を持っていない動物的な人間に分類することができる、と言えます。ぐずって泣く赤ちゃんは本人の欲求が満たされるまで、あるいは不満が解消されるまで、泣き続ける。そこに自由意志はまだ成立していない。
したがって子供は「物」だと結論づけることに私は納得がいきました。∩(・ω・)∩
……ダメですかね?
ところで、この質問では子供と人間の線引きもさほど明確化されていないので、それもはっきりしておきます。
生物学的な年齢による区別は、さほど意味を成しません。でなければ、「歳の割に老けている/幼い」とかいう言葉になんの価値があるのか。
最大の鍵は「学び」にあると考えます。自由意志を適切に行使するタイミングを知るために、どんな場所に置かれても生きていける知的態度を持つために、人間は常に学ぶ。それが基本姿勢であるべきです (母校ではそういった態度を持たない生徒をサル、すなわち動物と呼んだ)。ヒトは学校に入ってから何かを学ぶのではない、生まれた瞬間からあらゆるものを吸収し始める。子供 (動物) は、そういった意味での「人間」になるために勉強するのであり、動物が人間に変わるのは学校ではなくまず家庭だと思ってます。
勉強を何のためにするのかと訊かれて「将来のため」と答える人に、本質的な自由意志をその人から感じることができない。「将来のため」ってどういうこと? 卒業したあとに仕事を見つけて、ちゃんとお金を稼いで生計を立てることだというのなら、就職が決まったらめんどくさい勉強なんてバカらしくてやってられないよね。内定もらった途端、大学休んで卒業旅行でかけますとか、「これが俺達の自由意志の行使だ」とか言う近況が私の所にも流れてくる。何のためにいままで20年以上生きて学んできたのと、他人ごとなりに心配する。
それはそうと、「自分の意思は自らの身体を思いのままに動かせる」なんてのは、過去の人間の勝手な思いこみにしかすぎないかもしれませんよ。
https://vimeo.com/51018843
https://youtu.be/9eD64HzP3yQsnty_tact’s Video 134792754200 9eD64HzP3yQsnty_tact’s Video 134792754200 9eD64HzP3yQ
人間は実は自由意志を持たず、脳をつかさどるニューロンの繋がり (ひいては意思を持たない化学物質) と、それらを行き来する意思を持たない電気信号によって動かされているのでは? いやもちろん、それらがちゃんと機能してくれているから、質問者も、回答者である私も、こうやってやり取りができているわけですが、化学物質を構成する原子や電気信号がバラバラになっていれば、この地球には私に問いを投げかけた質問者も、それに答えた私もいない、とは考えられませんか。
ここに、ふたつ目の結論が見えてきます。「子供『も』物です」
すなわち、「人間も含めた」すべての生物が、意思をもたない「物」となる。
この結論は人によっては受け入れられないものかもしれません。私たちが日々とり続ける選択が、コーラの中で無慈悲にも暴発するメントスと何も変わらないなんて、受け入れられますか。親の遺伝子コードを元にして生まれてきて、既に存在する自然の理や社会の規範の元に「プログラム」されてきたあなたも、親や規範に抗ったところでそれはなるべくして起こった結果だったなんて、受け入れられますか。
……自由意志そのものを完全に斬るつもりはないです。でなければ、多神教になって森羅万象に宿る何かの存在を漠然と信じたりはしない。人間によって釣られるまで魚が水を意識しないように、数百年前まで人間が宇宙を意識しなかったように、現段階で科学的な証明は出来なくても、今の私たちや機械に感知できないものを私は否定しません。
ただ、他の動物達と性質上同じである人間が、ちょっと表現力と思考力を持ったからというだけの理由で、他のすべての動物と区別されるべきというデカルト主義っぽい前提は、現代科学と照らしあわせると綻びができているように見えます。
哲学から遠くはなれた私に質問を送ってくださって、ありがとうございます。
期待したとおりの答えになってなかったら、お詫び申し上げます。

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Yudai Tanabe( @yudai_TNB )さんはあなたにとってどんな方ですか

田辺氏とはネットで繋がる以前から面識があります.いや,私がアメリカに渡る前の時点で,既に顔も名前も互いに知っていた関係でした.西海岸に赴いて以来,日本の人との付き合いは全て疎遠になっていたのですが,ある節目を境に日本の人たちが各地に散らばった人間をネットで探し始めるようになり,その波に揉まれて偶然「再会」し,窮屈になった方のネットから Twitter に居を移してそのまま今に至る形です.
その時期にネットで繋がった多くの人とはそれっきりで再び離散しつつある中,今でもお付き合いのある例外が田辺氏を含めお二人,おられます.きっかけは3年前の夏に日本へ急遽帰ることになり,私を含めてこの三人でやったプチ・オフ会なのですが,そこで4時間ぶっ続けで (あのレストランからすれば迷惑なほど) 話をして,共通の接点が必ずしも専門的でない割には,やけに3人で気が合ってしまった (と私は思っている) んです.
以来私が日本に戻るときは,お互いの都合がつく範囲で顔を合わさせてもらっています.顔を出す際に私はカメラを構え,良い写真がとれたらお礼にそれを送る.ただでさえ人を撮ることに臆病な人間ですから初対面では流石に自重しましたが,ある時点からこのお二方に限ってはストーカー同様に扱われてもいいと決心しました.
こういう背景があるので,私は強い信頼を彼に置いています.適当に日付を投げて「食いに行こか」と言うと,連れて行ってくれるんですよ.外に出たがっている田辺氏を見かねて「旅に行こか」と言うと,来てくれるんですよ.田辺氏も私に対しておそらくそうであるように,私は田辺氏に遠慮はしないし,社交辞令も投げない.
この感情を詩的な文章に変換できない辺りが私の限界なのですが,要するに人間になら誰でも持っていそうな損得勘定などというものをバッサリと切り落として大事にしたい人なんですよ.数学という強烈な接点を私が持っているわけでないにも関わらず,こういう感情を引き出させる田辺氏にはある種の魅力すら感じます.私の父からは (当の父もそうしたように)「学生時代にできた友人は大事にしたら一生ものの付き合いができる」と常々言われていましたが,それだけの魅力を持つ人をこんな変則的な形で見つけるのは私でも意外に思いました.
どうでもいい話ですが,田辺氏と体格がかなり近い主人公が出る某漫画を最近市場やネットで見かけるようになっていて,漫画を一目見て以来紐付けが解けなくなりました.エネルギーがむちゃくちゃ有り余っている感は共通していますが,現実のこの人はもっとハードボイルドでギークで猫好きです.

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プロの写真家と聞いたのですが撮ってくれませんか?

プロのフォトグラファっていうのは,欲しい一瞬を撮るためなら,何時間でも他の全てを我慢して一瞬が来るその時まで待ってられるし,完璧で精彩な描写を追求するためなら,細かいところまで目を配って改良する時間を惜しまない職業美術家ですよ.私にそんな根気強さはありません.私にできるのは,たまたま私の目に写った魅力をなるべくそのままのとおりに表現すること.そこには嘘や誇張こそありませんが,そんな人の撮る写真が本当にいいのですか

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アートって端的に言うと何ですか?

表現者の世界では? いろんな人がいろんな媒体を駆使することで,今日も「これは!」と唸る世界が生まれてきているんでしょう?
「アートは私達に真 (が何か) を悟らせる虚であり,私達はみな芸術が真でないことを知っている.」-P.ピカソ

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正しい決断をするのに助けになることは?

人それぞれの選んだ道が,必ずしも本人の意向通りに報いるわけではないことを覚悟しておくこと.その上で,自分がこれから進もうとしている道が,
1. 自分や周りを変えて世界をより良いものにするか
2. 私に情熱を与え自らの芸術性を追求できるか
を熟考すること.2つを同時に成せる選択肢は,報いの程度がどうあれ素晴らしいものだと思います

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