籠原さんのポリコレに関するご意見は「私は好きにしたいのにあいつらに抑えつけられるのが我慢ならない」というご自身の純粋な感情・欲望から、そも「その抑圧の根拠がデマである」「よって配慮の必要なし」と結論を短絡しているきらいがあるのではないでしょうか。少なくとも統計的には「ポスコロ」のほうが人種別就労人口比率や消費者関数等の論拠をしっかり出しているわけですから。これに対して「ポモ」の多くに見られる態度はサンプル採取の恣意性を突くか「それでも因果関係の証明にはならない」といったようなおっしゃるようにやや「冷やか」なものですね。しかしそれでは反駁として、あまり説得的とは言えないような気がするのですが。

長文回答します。

いいえ、たぶんそういう問題ではありません。むしろポリティカルコレクトネスやアイデンティティポリティクスこそ、おそらく単に自分たちが自由主義の枠を超えて振る舞おうとするあまり、抑圧の名に値しないものを抑圧と呼ぼうとしているように思われますね。たとえば質問者さんが言わんとしている「統計」のいくつかに関してもーーたとえそのデータが偏向を含まないとしてもーー結果の不平等を示すだけで機会の不平等を示すものではないと思います(結果の不平等があるというだけでは差別や抑圧等があるとは言えません。近代資本主義社会が市場原理に基づく自由競争を認めるものである以上、個人の資質や努力に応じて結果の格差が生じるのは当然ですし正当です。たとえば現在の将棋界が女性プロ棋士を輩出したことはありません、が、だからといって奨励会制度が本質的に女性差別的であるとは言えません)。
ポリティカルコレクトネスやアイデンティティポリティクスの類は、近代資本主義社会が達成すべき機会平等と結果平等をすり替えてしまい、社会的多数派や強者に対する不合理な攻撃性に転じてしまいがちですね。結果の平等を達成するためなら社会的多数派や強者を不当に評価したり、不当な不利益を強制したりしても構わないということだろうと感じます。差別主義の単なる裏返しと言われても仕方ないこれら不公平・不公正は、冷ややかな「ポストモダニスト」たちに嘲笑されてしまうだけではなく、熱心な近代主義者等からも大いに批判されてしまうように思われますね(特に性的消費論者や文化盗用論者が抱えている最大の問題は、もし彼らが性的消費や文化盗用といった語を明確に定義できたとしても、そもそもそれらがなぜ社会問題だと言えるのか分からないという点です。これは権力勾配や非対称性といった謎めいた造語についても該当します。性や文化が市場原理に基づいて取り扱われることは決して悪ではないし、そこで勝者と敗者が生じることそれ自体も決して悪ではないと思います)。

View more

About 籠原スナヲ:

終わらない子守唄を歌おう。『BLACK PAST vol.2』『アニメ評論家・藤津亮太のアニメの門ブロマガ』等に寄稿。好きな食べものはカルボナーラ。メールはsunakago☆gmail.com

練馬区