「お題無視系」に関する数年前のブログ記事、今更ながら拝見させて頂きました。最近の生大喜利界には当時よりももっと色んなタイプの人がいるように思うのですが、寺岩さんの考えに何か変化はあったりするしょうか?

質問に答えるに当たって、今その記事を見たら2011年でした、早いなー、時間、というか今さら何読んどんねん。
今さらすぎるので特にURLは貼らない方向でいきます、あと読んで頂いてありがとうございます。
確かにあの当時よりもずっといろんなタイプの大喜利をする方が増えたように思います。
ですから、僕にもまったく変化がないわけではないですが、もう一回自分の書いたことに目を通してみて、根本的なところは別に変わってないな、と思いました。
変わってない、というか、いろんな人がいますけれど「あの記事に書いてある内容で判じきれない人」は特にいないように思います。
それは別にあれが理屈として完成されているとかそういうことではなくて。
あの長ったらしい文章の肝の部分というのは、結局「舞台上で大喜利をするということはお金を取って『見られる』事なんだと自覚しましょうよ」ということなんだと思います。
それは昨年末にお手てさんやかわださんやミラッキさん達とTwitter上でわいわいやっていた、その枝葉の中に含まれる事柄です。
お題を無視しようが、ウケたら会場を温めることになります、それは誰が何と言ってもいいことです。
勝ち負けもいいです、そこに拘って熱くなっている姿だって、確かにエンターテイメントになります。
楽しんでやっていることの何が悪いんだ、全然悪くないです、楽しそうな姿を見て共感してくれる事も多々あります。
こんなことはあえて言うまでもないですが、なんだってそうです、全部バランスです、程度です。
お題無視ばっかりやってたら、そればっかりが評価されてたら、大喜利がどういうものに見られるか。
誰に勝った、何に勝った、何位になった、そればっかり言ってたら、オオギリストってどういう人達に見られるか。
自分達が楽しいことばっかり追求して、観客の目線が置いてけぼりになっていたら、そもそも見てくれるのか。
そういうことなのかなと思います、当時も今も。
童貞だって別にいいじゃん、確かにそうです、セックスくらいで人間性左右されてたまるかよ。
でもそいつがラノベばっかり読んでて、ラノベ的世界以外に目を向けないで、童貞なんだったら、それはちょっとお前に問題あると思うよ。
そういうことです。
しかしまあ、そもそもの「イベントの在り様」みたいなものがここ数年でも変わってきているように思います。
大きいのは、参加者の分母がぐっと増えた事でエントリーフィーの形で採算が割とどうとでもなるようになってきたことじゃないかと思います。
だから↑に書いたようなことが「適用される場、されない場」の区別が曖昧になってきている感じはします。
そのグレーゾーンの中も含めて、最終的に個々人がどう振る舞うかというのはもちろん自由ですし、一部で勘違いされている『上層部』の『圧力』で『干す』みたいな御伽噺は存在しませんし、何ならU25くらいの層でこぞって徹底的にハブれば僕が出られるスペースなんてきっと無くなります。
ここに書いたことも、あの記事も、僕がただ2006年くらいからやってきた上で思ったことです。

View more