所謂ネオリベラリズムとリバタリアニズムの明白な違いは道徳的保守性だと理解しているのですが不正確ですか?

 ネオリベラリズムというのはいろんな人がいろんな意味で使っていますが、わたしの理解では、道徳を公権力によって強制するモラリズムを支持するかどうかが決定的なのかなと思います。道徳の内容そのものは保守的でも進歩的でもありうるので、あんまり関係ないですかね。でもアメリカの場合だと、いわゆる宗教保守的な道徳観がセットになりやすいのは事実としてありますね。日本もそうかな。
 もう少しいうと、いわゆるネオリベラルは、経済競争の負の面として現れる(ように思われがちな)、格差の拡大、治安の悪化、コミュニティの崩壊などの問題について、直接的な社会福祉政策によるのではなく、コミュニティの「上からの」再生によって肩代わりさせようとする傾向があるかもしれません。その手段として、コミュニティ内部の精神的な引き締めのために道徳観の押し付けが行われたりする。具体的には、たとえば卒業式で君が代を歌わない「敵」を可視化して排除するとかそういうの。モラリズムといっても、善良な道徳を各人の中に育むという積極的な面よりは、それにそぐわない「敵」を発見するための消極的な手段として使われやすいといったところがあります。
 あとは、そういった排除が物理的なアーキテクチャのレベルになれば、一定の区画を塀で囲って外部から入れないようにする「ゲーテッドコミュニティ」みたいなものにもなる。そうしたものを目指すようになるともう、モラリズムのような精神的内面化を必要とする「わりと面倒な」手段はどうでもよくなってくるので、リバタリアンがそれを批判できるかというとさてどうしたものかね、という感じです。リバタリアンからすると、そもそもの問題認識として、経済競争の負の側面のように見えがちな各種の問題は実際は経済的自由や所有権設定の不徹底によるものであるからして、中途半端に政府の介入が残っている状態でコミュニティの再生とか上からやるとそういう病理的っぽいことになるんですよ、といったふうに答えるところかもしれない。
 ネオリベラリズムといったものは正直、論壇用語みたいなもので内実があまりはっきりしないのでそんなに言葉の違いにこだわる必要もないんですが(リバタリアニズムも実際は雑多なのであんまり統一的な思想として理解しないほうがいいです)、まあ、ネオリベラリズムとかいって批判されるものの私なりの理解は以上のようなところです。

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