自由主義と共同体主義の議論で出てくる正義と共通善の対立が(共通善の概念が曖昧な事が多いように見えて)未だによく理解できないのですが、正義に対抗している共通善の概念的特徴はどのようなものなのでしょうか。

 正義の縛りのもとで集合的に追求されるべきものが共通善とか公共善であるというのがリベラルの基本的発想なので、そうであれば両者は対立関係にはないですね。その中身って何なの?というのを積極的にあまり言わないのがリベラルの弱みではあるんですが、正義の縛りのもとでの熟議においては、ある政治的要求を通すにあたっても単なる取引(bargaining)ではなく、普遍的/不偏的な理由による正当化が必要とか考えられます。そうすると単なる私利私欲でしかないものはその過程で淘汰されるのでそうおかしなことにはならないし、うっかり通ってしまっても絶えざる再吟味に向けた答責性(accountability)が課されるので事後的な統制も可能、みたいに考えることになります。まあ、何が共通善とか公共善「である」かはなかなかわかりませんが、何がそうで「ない」かはわりとわかるので、そういうのをはじく枠組みを作っておけばいいわけでしょう。
 そういうリベラルな発想ではなく、正義とか熟議とかそういうものに先立って/それを拘束するような共通善というのがあるんだというのが、この質問で前提とされているような共同体論の発想ですかね。その共同体の伝統的価値とかそういうのがそれにあたるんだと思いますけど、たいていの論者はそれをはっきり言わないのでよくわからないです。むしろはっきり言わないでおいて「わかるだろ、空気読めよ」とやっといたほうが効果的である、というのを自覚的にやってる悪人のほうが多そうなのでけしからんと思います。

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