500円くらいのものを盗むのと百万くらいのものを盗むのってどっちが罪が重いんでしょう。(両方とも他のものや人に危害は加えてない前提で) 大金持ちから五百万盗むのと、貧乏人から十万盗むのってどっちが悪い子なんですか?

 うっかりしたこと答えたら、それ功利主義だろって言うてやるぞというのが満々でいいですなー。
 
 問いが2つになっていますが、①前者は被害者の属性とか考えないということですね。とりあえずは、窃盗は、1) 財産権の侵害であるとともに、2) 市場秩序への攻撃ですから、少額でも悪いものは悪いです。あとは、金額の大小によって悪さの程度が違うかどうかですが、そりゃ違うというのが素直な回答でしょう。問題は、そこで悪さの程度が違ってくるのを何によって説明すべきかですね。2) 市場秩序への攻撃というのは影響に応じて程度も違ってくるとあっさりいってもそんなに問題なさそうですが、1) 財産権の侵害がなぜ「悪い」のか、そこに程度があるとなぜいえるのかは慎重に考えてみないといけない。
 ②後者の問い、被害者の属性を考えてみるとどうなるでしょう。大金持ちにとっての500万円と、貧乏人にとっての10万円だったら、後者のほうがたぶん「つらい」です。その効用計算を根拠にして、より多くの苦痛を与えるがゆえに貧乏人から10万円を盗むほうが悪い、というのであれば帰結主義的な説明になります。別にこれでそんなにいけないとは思いませんが、もっとリバタリアンぽく答えてみろという挑発だと思いますので、それはちょっと置いときましょう。さて。程度をうまく説明するのはけっこう難しい問題でありますね。
 ここでは盗まれるものが金銭で、これは万能手段(all-purpose means)として考えることができます(これが食料とかだとさらにややこしくなりますが、まあそれは応用問題としてとっておくとして)。我々は金銭という万能手段を多く持てば持つほどに行為選択肢の数が増えます。これは単純な比例関係ではなく、ある程度までいくと限界がありますが、おおむねそうであることは否定できないと思います。そうすると金銭を盗むのは行為選択肢の数を減らすがゆえに悪いとか、そういう説明もありでしょうか。問①だと額の多寡しか条件が与えられていないので、盗む額が多ければ多いほど誰かのの行為選択肢の数を減らすから悪くなる。問②だとちょっと計算が難しい気もしますけど、貧乏人から10万円盗むほうがより多くの行為選択肢の数を減らすから悪くなる。
 こういうふうに説明するのもそれなりに説得力がありますし、単純に行為選択肢の数が多ければ多いほどよいという前提も置いてはいないので、帰結主義にすぐに還元するのは難しそうです。――しかしその一方、この説明は「自由」の手段的価値に訴えるものになっています。というのは、これは行為選択肢が複数ある状態をよいものと評価し、そうであることを「自由」であると考える発想だからです。これは何か特定の具体的な行為が行えることをもって自由とするわけではないので、そこまで典型的な「積極的自由」ではありませんが、それでも複数の行為選択肢がある状態「への」自由を考えている点で積極的自由の一類型です――そして、その価値は結局のところ自由そのものではなく、複数の選択肢があるという条件下での「自律」などの価値に還元される。他者からの意思的な行為侵害がないこととしての「消極的自由」をまず重視するリバタリアンとしてはあまり採用したくない立場ではあります。少なくとも、そこにある自由概念のなかの緊張関係をうまく説明する必要が出てきます。
 
 なんかちょっとそろそろしんどくなってきたので、今日のところは、こんなふうに難しい問題がありますねー、で放り出して唐突に終わります。すみません。ここに述べたような、帰結主義とか積極的自由への「滑り坂」はそこまで恐れないでいいというか、うまい切り分けを説明できればまずはそれでいいんじゃないかと思います。消極的自由(の内在的価値)の尊重とか、自己所有権がどうたらとか、よりリバタリアンな(?)論拠で悪さの「程度」を説明するのには、その前にこんな難しい問題があるんですよー、とほのめかしただけでいったん終わり。

View more

Ask @tkira26:

About 吉良貴之@法哲学:

プロフィール
http://jj57010.web.fc2.com
主なQ&Aまとめ
http://jj57010.web.fc2.com/askfm.html

池袋