時間論は物理学でも盛んなテーマだと思いますが、あえて哲学で時間を論じることにどのような意義があるのですか。

 このあたりは私の科学哲学?上のかなり極端な立場になるとは思うんですけど、少なくとも時間論について、哲学と物理学でそんなに違ったことをしているとは考えていません。アプローチの違いというか、世界の客観的な記述のあり方を目指すという意味では同じ目的のものだと思いますし、「理念的には」どちらかがどちらかに――おそらくは物理学の側に――還元されるものだとさえ思っています。
 とはいってもそれはあくまで理念的な話であって、現状、哲学的なアプローチ、とりわけ我々が時間についてどういった「概念」を持っているかについて分析していくなかで見えてくるものはたくさんあるでしょう。そこにこそ、物理学とは違った意義があると考えています。
 物理学で時間論をやってらっしゃる方がそういったものから何かインスピレーションを受けるといったことがあれば面白いですが(逆はたくさんある)、どれぐらいあるのだろう。物理学で時間論をやっている方にそれとなく聞いてみると、あのへんは物理学というか哲学だからねぇ、といった答えをされることもあり、そのへんの意識の違い(あるいは一致?)は面白いところだと常々思っています。
 
 私自身は哲学というよりは法哲学の人なので、むしろ哲学で盛んなテーマをあえて法哲学でやる意義は何か、という問題のほうがクリティカルになりますね。これについては「法時間論」ということでいくつか論文を書いておりまして(といってもそこまで全面的には展開できておりませんが)、おそらくライフワーク的なテーマになってくると思っています。
 ごく簡単にまとめると、法哲学である以上は法や規範を扱うわけですが、①そのなかにある「時間構造」のようなものを明らかにすることは、そうした概念を新たな角度から照らし出すものであるはず……というのがひとつ、そしてもうひとつは、より具体的な問題として、②人間社会の「秩序」というのは結局のところ時間の感覚の共有化とか、時間資源の公正な分配とか、そうしたものが根本にあると思っています。そこにおける「法」の役割とは、というのを①②つなげて考えていくなかで、法哲学独自の時間論というのができるはず、できたらいいな、と思っているところです。というかまあ、最初に出発した世代間正義論をはじめ、いろいろなことをやっていますが、結局はそのあたりの問題関心に落ち着いてくる感じがあります。

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