宮台の専門用語の理解や用法が変と言えば「卓越主義的リベラリズム」の用法も合ってるのか疑問があるのですがいかがでしょう。どうも司法の非民主性などを擁護することをそう呼んでいるように見えますが、そんな意味でしたか?http://www.miyadai.com/index.php?itemid=705参照

「民主主義には任せておけない問題がある」→「それは一般大衆から「卓越」した人々が決めるべき」みたいな理解でしょうかね。訳語だけから独自の議論を展開しているというか。perfectionism のまた別の訳である「完成主義」だったらどうなっていたのかなあ、というところです。
こんなふうに、ハートやルーマンなどの固有名詞やそれらしい専門用語を乱打してたたみかけられるとなんだか自信がなくなってくるのでいけませんです。宮台先生はどうも、専門的には限りなく間違いに近いはずだが、しかしいろいろ総動員して無理矢理こじつけたら意味が通らなくもない、みたいな微妙すぎる用語の使い方をするので困ったものです。これだけ自信たっぷりにたたみかけられると、予備知識なしではそのまま信じてしまいそうになるでしょう。まったく無自覚にやっているとしたらいったいどこがどうなってこんなふうになったのか不思議だし、戦略的に何か独自の理論体系を構築しようとしているんだったら、何かもうちょっとやり方あるんじゃないかなと思います。

「卓越主義的リベラリズム」というのはジョセフ・ラズの概念で、「自律」と、それをもとにして各人が選ぶ各種の望ましい価値の基盤整備がリベラルな国家の仕事であるといったものです。「選択の自由」(リベラリズム的には「善き生の構想」を自由に持つこと)はただ他者からの侵害から消極的に保護されるだけでなく、そのための自律の能力を養い、複数の選択肢の存在を実質的に保障するところまでを国家に求めるものです。
perfection の訳語としては本当は、「卓越」よりも人間の「完成」のほうがわかりやすいかもしれませんね。「卓越」だとこんなふうに、なんだかエリート主義みたいなもののように誤解されるところがある。いや、これが本当に誤解なのかというとまた頭が痛くて、ありとあらゆるこじつけをすれば意味が通るかもしれない(さすがにこれは無理そうな気がするものの……)、というのが困ったところなのですが、わざわざそうやって善意の解釈を頑張ってする必要はないと思います。

「卓越主義的リベラリズム」については、このあたりがご専門の法哲学者による詳しい考察がありますので、さらに詳しく知りたい方はこちらをぜひどうぞ。
濱真一郎「ジョセフ・ラズの卓越主義的リベラリズム(1)(2)」、同志社法学49巻1号、2号、1997-8年
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000199999
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000200009

View more