同性婚を日本で認めるべきであると思いますか?

1) 現実的な政治課題になりうるか?
.まず現実的な政治課題になりうるかという点で、日本ではそもそも難しいのではないかしらん。というのは、反対意見が根強いから、ではないです。逆で、そこまでガチの反対派が多いわけではなく、多くの人が「なんとなく、リベラル」でいいことだと思っている、そういう状況であるがゆえに政治的イシューになりにくい、という種類の問題だろうと思います。海外で同性婚が法制化されたところを見てみればだいたい、宗教保守による強烈な反発がある、少なくともそれを強く意識せざるをえないところです。そうであるがゆえに、同性婚の支持が「リベラル」であることの強い道徳的アピールにもなりうるわけです。強い支持は強い反発があって生まれます。
.それに対し、日本ではそういう政治的対立軸が作れる問題には(現在のところ)なっていませんので、リベラルな側があえてこの問題にコミットするインセンティヴがとても薄い。つまり、同性婚の支持が重要な政治的・道徳的立場表明として解される状況にはない。もちろん、日本の政治は必ずしもそういった対立軸形成によって動いているわけではない、ということもできますが、だとしたらそれはそれで、ではこの問題が「日本的な」政治過程にうまく乗ってくる問題かというとどうもよくわからないし、それを推し進める運動もあまり活発になされていない、というのが現状かと思います。
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2) 理論的には反対、実践的には賛成
.それを離れて、法理論的な問題としてどうかというと、「理論的には反対」と答えることになります。私はリバタリアンな家族法全廃論者なので、そもそも異性間の婚姻にさえ反対です。特定の人的結合のあり方を法で認め、「正しい」ものとすることはリバタリアンな国家の中立性に反します――それはつまり、そうでない結合のあり方に対し、公的に認められないものとしてのスティグマを押すことになる。現状、同性婚にはそうした面があることは確かですが、その解決法として同性婚を法制化することはあまり筋のよくない弥縫策のように思える。
.同性婚が「異性婚に類似した愛の結合であるがゆえに」認めるべきといったロジックもたまに見られますけれど、それは反射的に異性愛規範性の強化につながります。これは自由で多様な人的結合のあり方を目指す方向には反するものです。しかし、別にそれはそれでいい、という立場もありますので「仮に」その点は問題にしないとしても、では同性婚以外の多様な結合のあり方、たとえば3人以上での婚姻などはいまだ蚊帳の外に置かれ、同様のスティグマが再生産されることになる。これはどこまでいっても終わりませんね。もちろん、こうした「スティグマ」論法自体、実証的に示しにくいという決定的な弱点を抱えていますし、過度にそれによりかかった議論は危険なのですが、それを回避するやり方として、特定の結合のあり方に国家がお墨付きを与えるようなことはしない、という「理論的」選択肢がそもそもある以上、同性婚の法制化にあえて賛成する理由はあまり見出せません。
.その一方、多様な結合のなかで同性婚だけがすくい出され他のものが放置されるという問題も、いやそれでも異性婚だけよりはマシになるはず、同性婚が法制化されたらまた別の結合のあり方も徐々に法制化していけばよい、という反論もありえます。実はこれ、現状の制度状況――家族法全廃とかいったものがおよそ現実的でない――を前提にする限り、「実践的には」きわめて健全で穏当な立場です。理論的な問題点を考える一方で、では現状の制度下での合理的な運動はいかにあるべきかを考えることもまた必要です。なので、「理論的には反対だが、実践的には賛成」という――もしかしたら「煮え切らない」といわれるかもしれない――立場をとることにしています。

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