議論内容に適っており、引用元さえ示されていれば、文章のほとんどがコピペを再構成しただけのものであっても何の問題もないように思うのですが、おそらく自分の言葉で書き直すよう要求されるように思います。自分の言葉にすることというのは重要なことなのでしょうか

.これもまたどういう論文を書きたいかによります。たとえば歴史の論文だったら、資料を延々と並べてそれによって語らせる、といったタイプのものも少なくありません。「自分の言葉」はもう「つなぎ」だけとかそんな。これは他分野からするとコピペレポートみたいに見えるかもしれないのですが、別にそこで「自分の言葉」は重要ではなく、歴史的に重要な史料をきちんと選別し、それを再配置することで一定の歴史が「見える」ようにする力量が問われているわけです。そういう分野では読むほうも「おお、こう並べるのか、なかなかやるな」というのがわかるわけなので、そこで「自分の言葉」で変な意味付けをするのはかえって余計なこととみなされる場合さえあります。
.まあ、こんなのは一部の分野の、しかもかなり高度なワザになりますので、普通に論文を書く人がマネしてはいけないのですが、論文の書き方はもうとことん「分野による」というのを知っておくのは必要でしょうね。最近話題のSTAP細胞の論文のあれについても、もちろんあちらの論文作法はよくわかりませんので実際アウトなところもあったのかもしれませんけれども、文系の人が自分とこの厳格な基準で批判しているのを読むと、もうちょい分野の違いについて謙虚であってもいいのではないかな、と思います。

.「自分の言葉」が重要なのは、引用するのはいいんだけどちゃんと意味がわかってやっているの?というのが厳しく問われる分野ですかね。まあ、文系のたいていの分野はそうでしょう。えらい人の文章をただ引用するだけで次に進んでいたりすると、これよくわかってないけどとりあえずハクをつけるためにやってるだけじゃないの?とか疑われたりもします。そもそも哲学なんかだと、あるテキストをどう解釈するか、そしてそれをどんなふうにつなげて議論を構築するかが問われるわけなので、引用だけの投げっぱなしではそれができないですね。だから「わかってる」アピールのために、きちんと自分の言葉でまとめなおす必要が出てくるわけです。

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