リバタリアン的政策というのは時々目にするのですが、リバタリアン的法解釈というものをきいたことがありません。そのようなものは存在しないのでしょうか?そもそも実定法解釈において法哲学上の立場は関係するのでしょうか?

.実定法も「解釈」するわけですから、そこに解釈者の価値観とかはもちろん入ります。もちろん、あんまりそういうことはしないで、条文の文言や、判例や、立法事実とかに忠実にやるように、という訓練は受けますけど、それ自体もまったく価値中立的にできるわけでもなく、一定の「幅」はあります。その幅のなかでリバタリアン的な解釈を行うことは十分に可能です。特に、憲法のように抽象的な文言で書かれていて解釈の幅が広いものだと論者の個性も出やすいですね。
.現行の日本国憲法の解釈でも、阪本昌成先生や安念潤司先生などは相当にリバタリアンな解釈論を示されています。ほか、刑法だと、結果無価値論系の論者は、リバタリアンかどうかはともかくリベラルっぽい解釈をすることが多くなります。民法や商法、あるいは行政法でもなんでも、そういうのはそれぞれにあるでしょう。

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