最近聞くようになった「リバタリアン・パターナリズム」とはどのようなものなのですか?一般的なリバタリアンなどの間でも評価は高いのですか?それとも生粋のリバタリアンはこんなのリバタリアンじゃないと反発していますか?吉良さん自身はどう評価しますか?

.たとえば食堂で野菜を前のほうに置いておくと、みんな無意識に野菜をたくさん食べて健康!とかそんなのです。「おら、肉ばっか食うな、野菜食え」と強制しているわけではなく、あくまで自由な選択に任されているからリバタリアンでありつつ、でも本人にとっていいことが実現されやすくなっているのでパターナリズムでもある(それは両立する)、という主張ですね。食堂の野菜の例は卑近すぎるかもしれませんが、行動経済学とかの知見が積み重なっていくにつれ、日常生活のありとあらゆるところでそういった無意識の誘導が可能になっています。これって「自由」を侵害されてないの?というのはどうしても問題になるところですが、さてどうしたものか。
.より立ち入った検討としては森村先生によるものがよいと思いますが*、先生はこれをリバタリアンとしてわりと好意的に捉えていらっしゃいますね。これはリバタリアン的に保障すべき自由が消極的自由(他者からの意図的な侵害がない状態)に限定されているためで、リバタリアン・パターナリズムはそれを侵害しているわけではない(強制しているわけではない)から、ということになります。ただ、いくら選択の自由があるとはいっても、無意識の部分で操作されていて事実上それが骨抜きになっているとなると、ちょっとそれはどうかね、と思うリバタリアンも多いでしょう。わたしもちょっとそれはイヤだな、と思いますが、それへの対策として考えられるのは以下の2つなど。
.1) リバタリアンが保障すべき「自由」概念が狭すぎるからそういった問題をうまく扱えないのであって、そんな古典的な消極的自由ばかりでなくてもっと、事実としての自律が実現されているかどうかといった積極的な再定位をなしていくべきではないか、というもの。これはこれでありだと思いますが、リバタリアン的には危険な滑り坂のようでちょっと慎重に考えたいところ。次に、2) 事実としての自律とかそういうのはリバタリアンが直接に論じる対象ではない、と放逐するもの。もし、リバタリアン・パターナリズム的なものによって無意識に侵害される何かがイヤであるならば、それはあくまで社会運動として、こんなアーキテクチャによって我々はじわじわ支配されているぞ!というのを啓発していくべきだと考えるわけです。これは自由概念の変更なしにできるのでリバタリアン的に穏当だし、そうやっていろいろ告発していくことは現実にけっこうできます(あの店、椅子を硬くして早く帰らせようとしているぞ、とか)。
.おそらく問題はこの先で、こうしたリバタリアン・パターナリズムというかアーキテクチャ的支配は、誰かが何か操作しているというのがわかるうちは、1)2)の戦略も相応に有効なんですけど、こういう支配のえげつないところは、そもそもそういった「操作されてる感」そのものが生じないように目指されているところなわけで、そうするともう最初から負けを運命づけられた絶望的な話になってしまう。あるいはもっといって、誰が何を操作しようとしているかわかるうちはまだしも、やがてその意思が忘れられたり、アーキテクチャそのものが自己増殖したり複合的に作用したりして当初の意思から離れた場合、そうしたビッグブラザーなき後のトマソン的支配に我々は何か有意味な抵抗ができるのか、というのは相応の難問ではないかと思います。抵抗しなくてもいいかもしれないんだけどね。というか「トマソン的支配」って言いたかっただけのところもあるんだけどね。ラララ。

* 森村進「キャス・サンスティーンとリチャード・セイラーの「リバタリアン・パターナリズム」」、一橋法学7巻3号、2008年
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007620125

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ここ数年ヤクルト村上が不振なんだけど、これは柳もまた村上ファンを公言できるのでは?

.あのホームランがいいのであって、打たない村上なんか知らんわ。

こいつまじで馬鹿だなって思ってもらって、それで出てってくれるならそれでもいいんだけど?

.出ていかないっしょ。あーこいつ馬鹿だなーと思われながら表面上で言うことだけ、みたいになる。人を出ていかすのはとんでもなく難しいんだから、入れた以上は力を生かしてもらうように工夫しないと仕方がない。

職場の院卒の若手が全然使えないです。机上の学問は実務じゃ通用しないんだよってマウンティングしてもいいですか?

.うわこいつマジで馬鹿だなって思われるだけだよ。

柳は新書とか書く予定ある?これから出す単著のエッセンスだけ抽出した初心者向けみたいなやつ

.日本語で一般向けの仕事をするインセンティブがとことんなくなっているので、そんなゆるいものは書かないと思う。

「講談社現代新書を書くのに向いてそう」は文系研究者が言われるのは嬉しいですか?

.講談社、中公、岩波だったら悪口とはそうそう思われないんじゃないか。

三権分立における司法権の独立って観念的過ぎてこういう事態にきめ細やかに対応できないよね

.そんなの自分が観念的にしか理解してないからだよ。弁護側の主張を読むだけでも、賛否はともかくいろんな論点がある。

裁判官って停職や減給ができないから何かやったら弾劾裁判で罷免するかしないかってなっちゃうのだろうか。

.日本の制度上はそう。アメリカではそれが問題になって、連邦裁判官の場合、連邦裁判所内で懲戒の手続きがいろいろ作られた。でも身内に甘いことが問題になって結局、弾劾になる例が最近は目立っている。しかし、連邦議会(特に下院)も弾劾は最後の手段と考えていて、担当の事件に直接関係する非行(賄賂とか)でなければ最終的な弾劾には至りにくい。どや、詳しいやろ。

おじさんは「侮辱したな!法廷で会おう!」みたいな心境になることってないの?もしあるとしたら、それはどんなとき?

.おじさんじゃねーし

岡口判事罷免判決について吉良さんのご見解を聞きたく存じます。重い処分な気もしますが妥当なところ?

.とんでもなく重いと思うけど、本人がどんどん暴走しての結果だからなんか言いにくいわね。マジ迷惑なことしてくれたもんだと思う。

吉良先生が長文ask投稿してた頃って岡口基一判事も自由にやってたし、あの頃と雰囲気全然変わってしまったよなと思います

.岡口判事は急にドン引きの投稿をするようになって人も離れたわけで、さすがにあれと並べないでほしい。

Language: English