現在、国内の最高学府は名実共に東京大学だと考えられますが、リバタリアン的には『学の府』とは税金で賄われてもよい存在なのですか(正確には東大は独立行政法人ですが)。学生の授業料や寄付によって運営資金とすべきではないのですか。

.理想的にはそうあるべきだと思います。ただ、大学というのも全体の経済システムの一部として――そしてその全体から見れば取るに足りないほど小規模なものとして――存在しているわけで、現状で狙い撃ちするのはいろいろ歪みが出て誰も得しないことになるのではと懸念します。企業とかが寄付しやすい仕組みがちゃんとできているかどうか、市場的な前提条件の整備が先決でしょう。まあ、リバタリアンを主張するのは大学人が多いので、まず自分のところをどうにかしろ、と言われてしまいがちなのはやむをえないとは思いますが……。
.リバタリアン国家において大学に、公的資金を使うような公共的役割があるかというと、それもまたちょっとどうでしょうかね。基礎科学のように、お金はたくさんかかるものの企業からの寄付は得にくい、という分野については一定の考慮が必要になることもあるかとは思います――そんなものはもうやめてしまえ、とはなかなか言いにくいでしょう。あとはまあ、人材育成という意味でも一定の(歴史的?)役割はあるので、まるっきり民営化していいかどうかはあまり性急に考えないほうがいいとは思います。
.とはいっても、大学関係の予算は毎年ものすごい勢いで減らされていますし(研究資金は「選択と集中」による競争にシフトしています)、国公立大の授業料は私学ともうそんなに(特に文系では)変わらないぐらいに値上げされています。大学のリバタリアン化は相当程度に進んでいる、というのが現実ではないでしょうか。

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