映画の『それでも僕はやってない』の出来はどうなのですか?
.ちょっとした評論めいたものを書いたことがありますが*1、法律の現場をよく調べてあって教育的にすばらしいといったことも当然ながら*2、映画としてもものすごく丁寧に構図を作っていていいと思います。というのは、登場人物はつねに何かに「挟まれて」描かれているんです。いろんな人やモノといった物理的なものから、罪を認めるか無罪を争うかといった選択肢にいたるまで。それに対し、何かと1対1で「対峙」するような構図はまったくない。これはもう、全部のシーンにわたって徹底しているので相当に意識されていると思います。そして、その挟撃の力が「とりあえず」落ち着くところのものが「判決」であって、そこに神や裁判官と「対峙」する主人公の主体性のようなものはどこにもないんだ、というのを冷徹に描き出している。この見方は法理論的にもとても興味深いものがあると思います。
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*1 吉良貴之「刑事裁判における「過去」と現在主義――映画「それでもボクはやってない」を素材に」、創文2008年9月号
*2 ちょっと長すぎるのがあれなのと、最後の主人公の独白でいろいろ説明しすぎてしまっているのがなんだかな、とは思いますが。法学入門的には、実際にこの主人公が冤罪なのかどうかは最後まで決して描かれていない、というのに気付いてもらえたらいい感じです。さらには、彼みたいに家族や友人や元カノたちがあれだけ支援してくれるなんてそうそうあるものではない、といったあたりまで考えが及んでほしいところ。
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*1 吉良貴之「刑事裁判における「過去」と現在主義――映画「それでもボクはやってない」を素材に」、創文2008年9月号
*2 ちょっと長すぎるのがあれなのと、最後の主人公の独白でいろいろ説明しすぎてしまっているのがなんだかな、とは思いますが。法学入門的には、実際にこの主人公が冤罪なのかどうかは最後まで決して描かれていない、というのに気付いてもらえたらいい感じです。さらには、彼みたいに家族や友人や元カノたちがあれだけ支援してくれるなんてそうそうあるものではない、といったあたりまで考えが及んでほしいところ。