映画の『それでも僕はやってない』の出来はどうなのですか?

.ちょっとした評論めいたものを書いたことがありますが*1、法律の現場をよく調べてあって教育的にすばらしいといったことも当然ながら*2、映画としてもものすごく丁寧に構図を作っていていいと思います。というのは、登場人物はつねに何かに「挟まれて」描かれているんです。いろんな人やモノといった物理的なものから、罪を認めるか無罪を争うかといった選択肢にいたるまで。それに対し、何かと1対1で「対峙」するような構図はまったくない。これはもう、全部のシーンにわたって徹底しているので相当に意識されていると思います。そして、その挟撃の力が「とりあえず」落ち着くところのものが「判決」であって、そこに神や裁判官と「対峙」する主人公の主体性のようなものはどこにもないんだ、というのを冷徹に描き出している。この見方は法理論的にもとても興味深いものがあると思います。
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*1 吉良貴之「刑事裁判における「過去」と現在主義――映画「それでもボクはやってない」を素材に」、創文2008年9月号
*2 ちょっと長すぎるのがあれなのと、最後の主人公の独白でいろいろ説明しすぎてしまっているのがなんだかな、とは思いますが。法学入門的には、実際にこの主人公が冤罪なのかどうかは最後まで決して描かれていない、というのに気付いてもらえたらいい感じです。さらには、彼みたいに家族や友人や元カノたちがあれだけ支援してくれるなんてそうそうあるものではない、といったあたりまで考えが及んでほしいところ。
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岡口裁判官によって柳は迷惑かけられてるの?柳は法曹じゃないから関係なくない?

.まあ、本名で SNS やることのリスクが間違った感じで広まってしまったというか。

大学から人文系を無くせという声はあるが、数学を無くせという声はあまりないのはなぜでしょうか。数学の研究は、直接もしくはすぐに役に立たなくても必要だと思われていて、他分野や社会から一目置かれている。人文系もかつてはそうだったはずで、それが変わったのはいつごろで、なぜそうなってきたのでしょうか。

.入試科目として数学が重要になったから、数学なくせなんていうとバカっぽく思われるからじゃないかな。文系科目は誰でもそこそこできるので0点はないけど、数学はコンプレックス刺激しやすいし。あと、もともと数学のポストなんてほとんどないけど、人文系は大学の拡大とともにどんどん増えたので、いろいろ恨みも買っているのだろう。

ここ数年ヤクルト村上が不振なんだけど、これは柳もまた村上ファンを公言できるのでは?

.あのホームランがいいのであって、打たない村上なんか知らんわ。

こいつまじで馬鹿だなって思ってもらって、それで出てってくれるならそれでもいいんだけど?

.出ていかないっしょ。あーこいつ馬鹿だなーと思われながら表面上で言うことだけ、みたいになる。人を出ていかすのはとんでもなく難しいんだから、入れた以上は力を生かしてもらうように工夫しないと仕方がない。

職場の院卒の若手が全然使えないです。机上の学問は実務じゃ通用しないんだよってマウンティングしてもいいですか?

.うわこいつマジで馬鹿だなって思われるだけだよ。

柳は新書とか書く予定ある?これから出す単著のエッセンスだけ抽出した初心者向けみたいなやつ

.日本語で一般向けの仕事をするインセンティブがとことんなくなっているので、そんなゆるいものは書かないと思う。

「講談社現代新書を書くのに向いてそう」は文系研究者が言われるのは嬉しいですか?

.講談社、中公、岩波だったら悪口とはそうそう思われないんじゃないか。

三権分立における司法権の独立って観念的過ぎてこういう事態にきめ細やかに対応できないよね

.そんなの自分が観念的にしか理解してないからだよ。弁護側の主張を読むだけでも、賛否はともかくいろんな論点がある。

裁判官って停職や減給ができないから何かやったら弾劾裁判で罷免するかしないかってなっちゃうのだろうか。

.日本の制度上はそう。アメリカではそれが問題になって、連邦裁判官の場合、連邦裁判所内で懲戒の手続きがいろいろ作られた。でも身内に甘いことが問題になって結局、弾劾になる例が最近は目立っている。しかし、連邦議会(特に下院)も弾劾は最後の手段と考えていて、担当の事件に直接関係する非行(賄賂とか)でなければ最終的な弾劾には至りにくい。どや、詳しいやろ。

おじさんは「侮辱したな!法廷で会おう!」みたいな心境になることってないの?もしあるとしたら、それはどんなとき?

.おじさんじゃねーし

Language: English