法哲学的にサルトルを解釈・研究する余地や意義はありそうでしょうか。

.法を考えるにあたっては具体的なアクターとしての人間の理解がやはり重要なわけで、そこで実存主義の知見が役立つこともあると思います。1970年代ぐらいまでの法哲学だとけっこう、そういった「法と人間」みたいなテーマの研究があったんですが、ここしばらくはもっと大きく、正義や社会制度のあり方といったものをテーマに据えるものが中心になっていますね。
.とはいっても一応の流れはあって、そうした人間学としての実存主義をベースに法(的コミュニケーション?)を捉えるものも脈々と続いています。具体的には前期ハイデッガーやヤスパースなどとの接合がよくなされていますし*1、あとラートブルフは外せないところでしょう。最近だとハンナ・アーレントと法哲学といったものもいくつか著書が出ています*2。
.たとえば「人権」の基礎にあるものは何かといった問題で、尊厳とか人間性とか人格的自律とか分析哲学的に細かく考えていってもよくわからないものを、大陸哲学の凄みで大きく押し切る系の議論などはやはり強いところがあります。なんていうとなんか変な感じもするかもしれませんが、一部では新しい自然法論とかとうまく接続することによってとても精緻な議論がなされていますね*3。でもサルトルがそこで出てくるかというと、名前だけ多少出てくるといったことはあるんですけど、そんなにしっかり議論に使っているのはどうもあまり見かけないです。あるのかなあ。「自由」概念の問い直しとかに使えそうですが。まあ、このあたりはあまり追いかけていない分野なので、もしかしたらもっとあるかもしれません。
.英米系の議論だと、最近は「感情」や「情念」といったものと法(的思考)の関わりの研究がよくなされています。マーサ・ヌスバウムとか。あのへんは道徳心理学とか神経倫理学といった分野と結びついて発展している感じですが、一方で、法的実存主義(legal existentialism)といった潮流もあるようです。方向性としては似ていると思いますが、「法」における理性とか普遍性に批判的に対置されるものとして「実存」をプッシュしていこうという感じです。「ケアの倫理」的な差異感応的法理論のひとつのかたちであるといえるでしょうが、まあ、サルトルがどうかはよくわかりません。でも、リベラルデモクラシーの普遍性標榜の欺瞞を攻撃し続けた人であるのは確かなので、いつかひょっこり、たとえばシュミットがそう使われているような感じで大々的な見直しも行われるかもです。
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*1 特にヤスパースについて、日本の法哲学者による最近の包括的かつ精緻な議論として、菅原寧格「M.ウェーバーとK.ヤスパースにおける価値思考の法哲学的意義――現代正義論の思想史的背景 (1~7完)」北大法学論集58巻1号~59巻1号、2007-8年など。CiNiiで読めます。
*2 例として、Peg Birmingham, 'Hannah Arendt and Human Rights,' 2006; Marco Goldoni and Christopher Mccorkindale eds., 'Hannah Arendt and the Law,' 2013 など。
*3 John Finnis, 'Natural Law and Natural Rights,' 1980 にはサルトルの名前だけちらほら。

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