「法と文学」が流行らないのはなぜですか?

.法と文学が考えようとしているのは法的思考における人文学的想像力とか、個別的状況への感応性といったものなので、その問題意識そのものは決して無視できないものとなっていると思います。たとえばいわゆるケアの倫理とか、第二波以降のフェミニズム、批判的法学研究(CLS)、批判的人種理論、あともしかしたら徳倫理なども含むかもしれませんが、理性中心主義的・形式主義的・普遍主義的な法理論に刷新を迫るこうした一群の議論はおおまかにいえば法と文学と関心をかなりの程度に共有しているといえます。具体的な論者でいえばジュディス・バトラーとかは相変わらず偉いですし、マーサ・ヌスバウムの「感情」に関わる議論への注目の高まりなどもあります。なので、法と文学そのものではないにしてもそれを取り巻く大きな問題群はもしかしたら主流派(?)の議論よりも人気とさえいえるかもしれません。
.一方、では法と文学そのものがなぜそこまで流行っていないかを考えると、たとえば法と経済のような包括的・体系的な議論ではなく、むしろそれを拒否する形で局地戦してるところがあって、ひとつの潮流として全体がどうも見渡しにくいというのはあるでしょう。主流派と正面から対決するよりは、なんだか小物どうしでセコい論争ばかりしているので、外からの興味を引き付けにくい面もあります。法実証主義連中とちゃんと闘えや。
.あとまあ、単純にスター不在とか。たとえばこの分野の記念碑的な著作であるジェームズ・ホワイトの Legal Imagination (1973) はものすごい大著で、まあコンパクト版もあるにはあるんですが、古今の文学作品を縦横無尽に使ってることもあってなかなか翻訳しにくい。ほどほどの分厚さの基本的な本がちゃんと翻訳されないことにはなかなか盛り上がりにくいところがありますね――法と文学「批判」であるはずのリチャード・ポズナー『法と文学』のほうが先に翻訳されたのもなんだかすごいことではあるんですが、まあ、これも上下巻でそんなに読みやすい本ではない。そもそもあちらの議論が使っている文学は当たり前ですが西洋文学で、しかも日本で有名なものとはちょっとズレてたりしますので、そのまま輸入してもどうもピンとこないのは否めない。日本の読者になじみの深い作品を使った議論がもっと出てくればいいと思いますし、そういうのもないわけではないので今後に期待なのですが、そうはいっても読者に相当な教養を要求してしまうのがきつい感じではあります。なので、読者にそこまでのハードルを必ずしも課さない、ケアの倫理その他のもっと大きな流れのほうが優勢になるのは致し方ない面もあろうかと思います。

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