再分配は権利であり、権利である以上もらって当然である(感謝は不要だし、もっと寄こせ!)と主張するサヨク的な福祉国家論者は、顔の見える関係で経済的に支援してもらうと心理的に感謝せざるをえない状況に陥る、というまさにそのことがリバタリアニズムの欠陥だと考えているようなのですが、これについてはどう思いますか?

.リバタリアンとしても必要最小限度(私は decent minimum で考えています)の公的な再分配は認める人が多いです。なので、少なくともその部分では「顔の見えなさ」が担保されていますね。それ以上の部分は私人間の「顔の見える」チャリティに任されるわけですが、感謝するのは義務でもなし、人間の一定の心理的傾向にすぎないのですから、イヤな人に無理にどうこうという問題でもないです。現実にみんな、親孝行なんてろくにしてないでしょ。もっとフリーキックの練習とかした方がいいと思いますよ。何も返ってこなくとも、まったく感謝なんかされなくとも、それでも贈与するという非合理な行動も人間の利他性としてしっかりあるわけですから、それを発揮しやすくするのがなんでいけないのか、と思います。
.でもリバタリアン社会におけるチャリティが具体的な関係での心理的依存を深めるようなものになるかというと、それはそれで非効率なのであまり一般的にはならないと思います。贈与するのもそこそこめんどくさいから伊達直人みたいな人が出てくるわけで、結局のところは各種の中間団体がいろいろ取り仕切ることになるでしょう。だから感謝も依存も現実はそんなにたいしたことなくほどほどのところにおさまる、でもそれは国家が行う再分配よりはマシなものである、みたいに考えています。

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