http://www.anlyznews.com/2014/07/blog-post_29.html?m=1 なぜ人を殺してはいけないのかがホットな話題らしいですが、 法哲学ではこの手の話題に関わる問題はとりあげられることはあるのですか? 倫理学だと、このテーマの本があったり、ホワイビーモラル問題があるのは知っているのですが。

.これって「なぜ人を殺した者を罰してよいのか」というふうに統治者目線で問題を転換するのが法哲学らしくてよいと思います。だいたいこういうのは、自分は殺されたくないけど相手は殺したい(=反転可能性が通じない)とか、もう自分が殺されてもどっちでもいい(=自己利益を考えない)とか、そんなやつがいたらどうするんだと言い立てて答えを出させなくする悪質な問いなんですから、そんなのが多少いたところでどうってことないように問いを組み替えればよいです。
.そうすると問題は、社会秩序の維持や人々の自己保存など、一定の目的のために許される暴力はどういうものであってどこまで許されるのか、その正統性はどこまで必要か(=上述のいちゃもんつけがあまりに多いとそれはそれで困る)、といったふうなことになります。要するに「支配の正統性」一般の問題になるわけで、「人を殺す」ことそれ自体に独自の意味はあんまりない、ということになります。
.いやいやそれはさすがに乱暴ではないか、ということであれば、たとえば反転可能性概念の分析(例題:「私がもしユダヤ人だったら殺してくれ」という反ユダヤ主義者の主張をどう捉えるか?)とか、無道徳主義者(amoralist)のメタ倫理学的位置付けとか、死の害(evil of death)の根拠とか、あるいは挙げられている Why be moral? 問題など、いろいろ論じることはできますが、そのあたりは倫理学で論じられることなので、あえて法哲学で、というほどの学問的独自性はさほどないと思います(だからといってやっていけないわけではなく、私も多少は論じていますが)。カントの応報刑論あたりならもっと法哲学プロパーな問題といえるかな。

View more

Ask @tkira26:

About 吉良貴之@法哲学:

プロフィール
http://jj57010.web.fc2.com
主なQ&Aまとめ
http://jj57010.web.fc2.com/askfm.html

池袋