すみません!先ほど、佐世保の事件における市民団体の役割についての質問への応答を拝見したのですが、なんかおかしくないですか?あれほどの罪を犯したのだから重罪で当たり前じゃないですか。まんだらけの事件でもそうです。自力救済してなんでダメなんですか?悪いのは万引き犯じゃないですか?なんか法って変なことになってませんか?

.ええと、ちょっと落ち着いて考えてもらえたらと思うのですが、いくつかに分けてお答えします。
.1) 佐世保の事件についての市民団体の行動(http://ask.fm/tkira26/answer/116167172071)ですが、「仮に」厳罰が正しいとしても、世の中みんながまるっきり同じことしか言わないのって怖くないですか? 違うことをあえて言う方々がいるからこそ、じゃあちょっと立ち止まって考えてみよう、ということで考えが深まったり、問題の本質が見えてきたりもするわけです。今回の事件も、異常な事件であればあるほどに、どうしてこういうことが起こったのか、その原因は何だったのか、というのを慎重に考えるのは、今後同様の犯罪が起こらないようにするにはどうしたらいいかを考えるにあたっても必要なことだと思いますが、いかがでしょうか。これは犯人をかばうこととは必ずしもイコールではありません。厳しく臨むためにこそ冷静に調べるべき、という主張も十分にありえます。
.このあたりのことは、犯罪者に弁護人がつくのはなぜ必要なのか、というよくある疑問にもつながりますが、これも単純に犯罪者をかばうため、というわけではないんですよね。刑事訴訟法の第1条には、刑事裁判の二大目的として、①被告人の人権保障とともに、②真実の発見もあげられています。それは検察側による視点だけでなく、弁護側による逆方向からの視点もぶつけあってこそ十分に明らかになるものと考えられているわけです。事件の背景とか別にどうでもいいし、冤罪が多少あってもやむをえない、とか考えるのであればまた違った話になるでしょうが、そういう社会が本当に住みやすいかどうかは疑問に思います。

.2) 佐世保の事件について厳罰で臨むべきかどうかは、まだマスコミ報道が先行している段階ですのでちょっとよくわかりません。ここではひとまず、日本の少年法一般の問題として考えますが、日本の司法は少年犯罪に「甘い」とよく批判されるわけですね。実際にどうかというと、そこそこ厳しい面もいろいろあるので一概にはいえないのですが、それでも少年の「更正可能性」を前提とした「保護主義」が伝統的にとられてきたのは確かです。で、それはダメなものなのか。
.たとえば「再犯率」を考えた場合、日本の少年犯罪に関わる法制度は「そこそこうまくいっている」というのも事実です。成年と比べた場合、あるいはアメリカの厳しい州などと比べた場合、少年院から出てきてまた罪を犯す率はとても低い。つまり、保護主義による教育はそれなりに成功しているといえるわけです。ここから厳罰化に転じた場合、社会復帰が難しくなって再犯率が上昇することが容易に予想されますが(15歳の少年が30年刑務所に入って45歳で出てくる場合とか想像してみてください)、それでいいかどうか、です。犯罪が増えようがどうしようが、社会規範の維持とか、被害者感情の満足とか、優越する価値があってそれを守るほうが重要だ、と考えるのであれば厳罰化の主張も一応の筋が通ったものといえます。しかし、両者を冷静に比較したうえでそういう主張をしている方は残念ながらそれほど多くないように思われます。
.ちなみに、そういったもろもろを全部すっ飛ばして厳罰化を主張するのって、一般の感情に訴えるものがありますから手っ取り早く政治的支持を集めやすいんですよね。でもそれは法政策的にはあまりにバランスを欠いていてかえって無責任なものだ、ということで、アメリカでは「禁断の果実」として「御法度」扱いされています。でも、父ブッシュが劣勢になりかけたときに大々的にそれをやって逆転したものだから、ちょっとそれはどうか、と問題になったこともあります。というのは余談。

.3) まんだらけの対応についてですが、悪いのは万引き犯というのはその通りですが、それに対応する手段のバランスというものがやっぱあります。写真公開すれば、顔が似ているだけの人が間違われて疑われたり、いろいろとリスクがあるでしょう。その責任を誰がとるか?となると、一般企業があまり強いことをするのも考えものではないでしょうか。
.自力救済の禁止というのはまあ、いろいろな説明の仕方がありますが、だいたいは歯止めがきかなくなって暴力の連鎖につながりがちだから、というのが基本だと思います。万引き犯をいきなり射殺なんかしてたら、その裏にいる暴力団が復讐にやってきて、みたいなことになるとやっぱ困るでしょう。それはさすがに極端なたとえかもしれませんが、上のまんだらけの例にしても、間違われて不利益を被った人から損害賠償をどんどん求められるようになったらたいへんです。それよりは、十分な実力をもった国家機関が適正な手続きのもとに処理するのが安全だろう、ということで、自力救済の禁止というのは相応に合理的な根拠があるわけです。自力救済できない人はどうするのか、みたいな問題もありますからね。

.ということで、長くなりましたけど、悪人だからといって単純に厳罰に処したり、自力救済で対応してたりしたら、長い目で見た場合の社会の安全にとってかえってマイナスになることがどうしてもあるわけです。それでもなお、その場ごとの厳罰によって犯人の責任を問い、社会規範を引き締め、被害者感情を満足させるほうが大切だ、と考えるのであればそれはそれでひとつの筋の通った立場かと思います。しかし、法的な考え方というのはそのどちらか一方に振り切れることなく、ほどよいバランスを地道に探っていくところに特徴があるともいえます。だからこそ、佐世保の事件での市民団体の方々のような主張や、刑事事件での弁護人のように、「あえて」カウンターの立場に立つ方々の役割はとても重要なものといえます。

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