個々人の生命自由幸福追求を保護するために契約をして政府を作る、というタイプの社会契約論で説明される国家って、徴兵制についてどういう態度を取ってきたんでしょうか。個々人が他ならぬ自分の利益を守るために社会に入るのに、命を放り出して社会のために戦おうとは思えそうにないのですが…。

.ロックは志願兵制でルソーは徴兵制で、というのはわりとすんなり言えそうなんですが、わかりにくいのはホッブズの立ち位置です。ホッブズの場合だと、人々は生命の維持のためにそれ以外のすべての自然権を国家に譲渡するわけですから、逆にいえばその生命が脅かされる状況においてその契約は無効になる、というのが素直な読みです。たとえば『リヴァイアサン』14章では「人はその生命を奪おうとして力によって襲いかかる敵に対して抵抗する権利を放棄することはできない」と述べられています。同様の記述は同書のいろんなところにある。それを根拠にホッブズは徴兵制に反対した、少なくとも兵役拒否を認めたという解釈もあります。
.しかし一方、21章には「国家=コモンウェルスの防衛のために武器をとりうる者すべての協力が必要なときには、すべての人に義務がある。この義務を果たすことなく、人々に国家=コモンウェルスを維持しようとする意図も勇気もなければ、その設立は無駄であったことになるからである」という記述もあり、話はちょっと複雑です。国家存亡の危機においては兵役拒否は認められない、とするならば、生命維持の手段であったはずの国家が目的化してしまって矛盾が生じる。たとえばマイケル・ウォルツァーは『義務に関する11の試論』4章「国家のために死ぬ義務」でそういう批判をしている。ただこれを単なる矛盾として片付けて、たとえ国家防衛のためであっても「死ぬ義務」は認められないとするのがホッブズ的には一貫する、というのも、どうもちょっと単純な気がしないでもない。
.ここでどう解釈するかはいろいろありえますが、国家存亡の危機にあって戦って死ぬことを厳密に契約による義務とするのではなく、国民それぞれが持つべき道徳的な徳性のようなものと考えれば一応、矛盾は回避できます。土壇場での法的義務はないけれども、でも国家存続のためにふだんからそういう気概とか愛国心のようなものを国民に広く涵養するのは大切、という感じ。たぶんこれぐらいが穏当な解釈だと思います。でも本当はこれ、ウォルツァーの解釈を追認する「逃げ」のような気がして、もっと踏み込んだ解釈をしてみたいところなんですが(国家存亡の危機において命を投げ出すのはそもそもの契約の内容であって法的義務なのだとか、愛国心が自己保存の自然的欲求を凌駕するという国家の怪獣的性格をホッブズはわかってはったのだとか)テキスト上の根拠はあやしいし契約論的構成が崩れてくるので、やめときます。

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