平成生まれで当時のことをよく知らないのですが、日本の80年代のポストモダニストは消費社会を称揚していたとか礼賛していたとか聞いたことがあります。でも自分のイメージの中ではポストモダン思想は一応反体制的というか社会批判に拘るようなところがあって、結構左翼的な人達で、マルクス主義とは違いますが資本主義にそれほど肯定的ではないイメージがあります。そういうイメージと消費社会はあまり合いません。どうして日本の80年代のポストモダニストは消費社会を肯定したのですか?そもそも肯定したという話は本当なのでしょうか。

.私も平成生まれなのでよく知らないのですが、よく目立つ人がなんとなくそういう雰囲気のことを言っていたのは確かでしょう。批評家では吉本隆明や浅田彰(この二人を並べるのも変な感じですが)、作家・クリエイターとしては糸井重里、田中康夫みたいな人がとりあえず代表でしょうか。理論的なバックボーンとしてポストモダン初級編のボードリヤールとかがいて。
.この人たちがおおむね左翼的なのは確かで、消費社会の肯定といっても多分にアイロニカルだったり両義的だったりもします。でも、それまで基本的に資本家-労働者の搾取関係が考えられてきたところに、「消費者」という新たな撹乱的主体が登場したことの可能性を前向きに考えた傾向はあると思います。つまり、それまで消費者というのは単に必要なモノを買うだけの存在であって、たいした主体性はなかったのが、特に必要でもないものを買う、言い換えれば消費のための消費をする「行動が読みにくい」自由な・豊かな存在になった。で、消費者というのは同時に労働者でもあるわけなので、昔ながらの労働運動(からの~革命)にたいした希望が持てなくなった現代において、資本家への抵抗を「気まぐれな消費」によって行うようになった、つまり「新たな労働運動」として消費を位置づける可能性が出てきた、ということがあると思います。上にあげた人たちの「消費社会肯定論」は、そういう「消費者」の登場に資本主義を内破する運動の可能性を見出していくものであった、という面はあるのでしょう。少なくとも、吉本隆明と埴谷雄高による「コムデギャルソン論争」などはそういう新旧(?)の左翼の対立として読むことができると思っています。

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