リバタリアン・パターナリズムってどのへんがリバタリアンなんですか?

.リバタリアンの多くは、任意規定としてのデフォルト・ルールがあることは取引の安定性とかにとって望ましいと考えます。契約自由といっても何もかも全部決めるのはコストがかかるから乗っかるところは乗っかっておけばいいし、決めてなかった部分で問題が起こったときに混乱が避けられるし。イヤなところだけ別の選択肢をとればいいわけです。リバタリアン・パターナリズムはそれと一緒で、多少のパターナリスティックな後押し(ナッジ)はしているけれども強制ではなく、別の行動をする選択肢が残されている以上はリバタリアンな消極的自由を尊重している、という理屈です。とはいっても誘導がなされているのは確かで、しかもそれが無意識のレベルだと選択の自由も実質的になくなっているのでリバタリアンといってもほとんど骨抜きだろう、という批判はありえます(私もかなりの程度に同意します)。
.なのでまあ、あんまりサブリミナルなやり方はいかがなものかということで、ちゃんと他の選択肢もありますよーというのを示していくのが必要かと思います。しかしそれを「誰が」やるべきかは場合によって変わってくるでしょうね。ほっといても民間の意識の高い人がけっこう告発してくれるので、国家がやらないといけない場合はわりと少ないのではないかとも思います。まあ、だったら最初からそういうパターナリスティックなことを国家がやるべき場合自体がそんなにないだろう、というのもその通りなんですが。

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