愛国心がよく分かりません。中学の時に愛国心教育が話題になって、国歌歌わない先生がクビになったりしたときにちょっと考えたんですけど、意味分かりませんでした。最近も愛国心を聞くようになって、また考えてるんですけど、全然分かんないです。むかつくニュースが多いから日本のこと嫌いだなぁと思うときの方がどっちかっていうと多いんですけど、そう友達に言ったら「生まれた国なのに嫌いとか変じゃない」と言われちゃうし、そのツッコミも意味わかんないままです。村上春樹を母語で読めるのはいい感じだなとか、そういうのはありますけど、それ以上はないです。戦争が起ったら絶対逃げたいので、国のために戦う愛情もないです。変ですか?

.そういう話になったときによく講義で話すんですけど、では愛「都道府県」心だったらどうかなと。日の丸や君が代だったら、敬うかどうかはともかくとしてなんとなくモヤッとした気分ぐらいは出てきますよね。それに対し、県の旗とか歌なんてなんとも思わないし、そもそもそんなのあったの?という感じでしょう。あるいは、経済格差が広がっているとか、何か災害が起きたとか、そういう場合「同じ日本人だから」助けあうべきと言われたら、なんとなく何かしないと申し訳ない気分にもなる。しかし「同じ奈良県人だから」とか言われてもピンとこないし、あるいは「同じアジアの仲間として」でもピンとこない。そのへんの「想像力が及ぶちょうどいい範囲」として国民国家は(今後弱まっていくとしても)まだまだ圧倒的な地位にあるわけで、それが人々を魅了する力の意味――有用性も危険性も――を考えていくのは必要なことなんじゃないかと思います。
.あなたの場合、個人的な生き方の問題としては、そんなので変だと言ってくる人はあほなので、ああそうですね、ごめんなさい、うひひーと返しておけばいいです。一方、では人々はなぜいまだにそんなに愛国心にこだわるのだろうとか、あるいは逆に、自分のそういう想像力の及ぶ範囲はいったいどこまでなんだろう?とか、いろいろ考えてみるといいのではないかと思います。「国」単位でものごとを考えることの意味、魅力、限界というか。こういうのって、たとえばちょっと海外生活してみたり、そうでなくても国内でちょっと地方生活してみたりすると考えが変わってきたりもするものですね。
.文献紹介としては、古典的なところだとアーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(岩波書店、2000年)、ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体』(書籍工房早山、2007年)、最近の手に入りやすくて面白い本としては小坂井敏晶『民族という虚構』(ちくま学芸文庫、2001年)、法・政治哲学の最近の論文集として施光恒・黒宮一太編『ナショナリズムの政治学』(ナカニシヤ出版、2009年)、さらにご関心があればデイヴィド・ミラー『ナショナリティについて』(風行社、2007年)など「リベラル・ナショナリズム」と呼ばれる思想潮流などが面白いと思います。

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