法哲学に関係あるポストモダン思想の人は誰になりますかね?

.有名どころだとだいたい何らかの形でその法思想をさぐるみたいな試みがありますけど、影響の大きさからするとデリダは外せないんだろうと思います。『法の力』とかで示された正義論は、1990年代以降の批判的法学研究(CLS)、批判的人種理論、ポストモダンフェミニズム法学といった、反主流派のさまざまな法思想の潮流にインスピレーションを与え続けています。リベラルな正義論が語る「普遍」からつねにこぼれ落ちる個別的なものへの責任を考えていく方向性というか。
.ほか、フーコーは以前から犯罪社会学的な文脈とかでぽつぽつと言及されていましたけど、最近はアーキテクチャ論とか生権力論とかに絡める形で触れられることが多くなっているようです。あるいはフーコー自身の法理論をもっと正面から考えようとするものとして、最近出た本だとゴールダー&フィッツパトリック『フーコーの法』(勁草書房、2014年)というのがあります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4326154314

.そんな感じでいろいろあるにはありますが、個別的なものへの目配りによって普遍的なものを組み替えていこうだとか、社会のなかにあるミクロな権力作用に焦点をあてていくだとか、そういったやり方は法思想史をさかのぼればもういくらでもありますので、あえてポストモダンとかいわなくても、法哲学というのはわりと独自にそういうことしてきたといえそうです。
.比較的最近で少しだけ例を出すと、ドイツだったら概念法学の浮世離れした体系に対する批判として、現実社会に存在するさまざまな利益対立の調停に法を見出していく利益法学とか、そこにおける裁判官の法創造を直視する自由法運動とかいったものがあります。そうした発想は海を渡ってアメリカン・リーガルリアリズムにも受け継がれ、法的思考は一般的ルールからの演繹というよりはもっとずっと個別的なものであるとするルール懐疑主義、法的に認定される事実そのものの構築性とか偶然性を暴露していく事実懐疑主義とかいったものにつながっていく。それらを批判的に継承した初期の批判的法学研究(CLS)だと、たとえば法曹集団の再生産といったものにミクロな権力作用を見出していったりもします。
.こんなふうに、法学というのはもともと普遍的なものと個別的なものの緊張関係のなかにありますので、そこには現代でいうポストモダン的なモチーフもずっと意識されていたわけです。なので、法学者がフランス系のポストモダン思想にだいたい冷淡なのは、こういうの昔からあったし、いったい何が新しいの?というふうにどうしても思ってしまうから、というのはありそうに思います。

View more