徴兵制を違憲でないという人って大石眞先生だけですか?
.大石先生はもっと慎重で『憲法講義Ⅱ』(有斐閣、2007年、46頁)では「奴隷的拘束」と「意に反する苦役」を分けて議論されています。「奴隷的拘束」は奴隷制度(=法的人格の否定)の禁止に由来するものなので、それと祖国防衛義務や兵役義務を同列に論じることはできない、という趣旨です。そして「仮に」徴兵制を法制化するとしても「意に反する苦役」との関係で違憲とならないよう、良心的兵役忌避などを認め、代替役務について定める必要がある、とのことなので、合憲とされる余地のある徴兵制が現憲法下でありうるとしても、それは相当に限定された――志願兵制とおそらくほとんど変わらない――ものでしょう。
.ほか、宮沢俊義『憲法Ⅱ(新版)』(有斐閣、1971年、335頁)は「祖国の防衛は、国民の当然の義務と見るべきであるから、徴兵制はここ[18条]にいう「苦役」の強制に該当しないという見解もある」などと紹介しつつ、「日本国憲法の解釈としても、ここにいう「苦役」が兵役の義務を含むと解することは、この規定の歴史的意味からいって、あまり自然ではない」と述べています。宮沢の場合、続けて「戦争を放棄し、軍隊を否認している第九条の規定からいって、兵役の義務は、みとめられる余地がないだろう」として、どちらかというと18条よりは9条の趣旨から徴兵制は否定されると考えているようです。実際、「証人として出頭する義務や、陪審員として裁判に参加する義務や、投票する義務」は「苦役」にはあたらないとされていて(336頁)、「苦役」概念がかなり狭く捉えられています。
.そうすると、徴兵制は (1) 9条の平和主義によってダイレクトに否定される(通説?)、and/or (2) 9条のもとでの自衛隊の存在を認めるとしても、13条や18条によって否定される(政府見解)、ということになります。宮沢の議論からすれば、(1) を採らず、かつ兵役の義務を「苦役」から分けることによって (2) を避け、徴兵制を現憲法下でも認める余地はありそうです。実際「わが国においてもこれ[徴兵制]を合憲と見る説も少数ながら存在する」と述べるものもありますが(初宿正典『憲法2 基本権(第2版)』(成文堂、2001年、352頁)、具体的な論者はあげられていないのでよくわかりません(代表的な概説書をざっと見てみましたが、具体的な記述があるものは見つかりませんでした)。いずれにせよ、論理的可能性としてはありえても、現状、徴兵制を採用する軍事的メリットはきわめて乏しいので、合憲性をあえて論じる実益もそれほどないように思います。
.ほか、宮沢俊義『憲法Ⅱ(新版)』(有斐閣、1971年、335頁)は「祖国の防衛は、国民の当然の義務と見るべきであるから、徴兵制はここ[18条]にいう「苦役」の強制に該当しないという見解もある」などと紹介しつつ、「日本国憲法の解釈としても、ここにいう「苦役」が兵役の義務を含むと解することは、この規定の歴史的意味からいって、あまり自然ではない」と述べています。宮沢の場合、続けて「戦争を放棄し、軍隊を否認している第九条の規定からいって、兵役の義務は、みとめられる余地がないだろう」として、どちらかというと18条よりは9条の趣旨から徴兵制は否定されると考えているようです。実際、「証人として出頭する義務や、陪審員として裁判に参加する義務や、投票する義務」は「苦役」にはあたらないとされていて(336頁)、「苦役」概念がかなり狭く捉えられています。
.そうすると、徴兵制は (1) 9条の平和主義によってダイレクトに否定される(通説?)、and/or (2) 9条のもとでの自衛隊の存在を認めるとしても、13条や18条によって否定される(政府見解)、ということになります。宮沢の議論からすれば、(1) を採らず、かつ兵役の義務を「苦役」から分けることによって (2) を避け、徴兵制を現憲法下でも認める余地はありそうです。実際「わが国においてもこれ[徴兵制]を合憲と見る説も少数ながら存在する」と述べるものもありますが(初宿正典『憲法2 基本権(第2版)』(成文堂、2001年、352頁)、具体的な論者はあげられていないのでよくわかりません(代表的な概説書をざっと見てみましたが、具体的な記述があるものは見つかりませんでした)。いずれにせよ、論理的可能性としてはありえても、現状、徴兵制を採用する軍事的メリットはきわめて乏しいので、合憲性をあえて論じる実益もそれほどないように思います。