還元主義的人格観の立場をとってるの?

.少なくとも社会理論を考えるにあたっては、特定の人格同一性観を取る必要はないというか、場面によって便利に使い分ければいいと思います。たとえば時効とか説明するにあたっては還元主義的な人格観は有用ですが、凶悪犯罪の刑事責任を考えるにあたってはあまりよろしいものではないでしょう。リバタリアニズムにとってどうかというとまあ、よい場面もあればそうでない場面もありそうで、つねに一生持続するような強い人格観を想定する必要はないと思います。
.で、そんなふうにいうとなんだかアドホックな感じがしますけど、実際はそうでなく、現実の人々は問題によって人格の同一性の程度をそれなりに一貫した形で使い分けています。なので、その基準を考えていくのがいいかなと思っています。たとえば刑事責任とか、家族の秩序とか、そういうものを考える場合には私たちは人格の同一性をかなり強めに考えるでしょう。一方、パーフィットが提起した非同一性問題がいまいち反直観的であるように、将来世代への配慮とか、生命倫理的な問題になってくると、同一性の程度をそこまで厳密に考えなくてもいいじゃん、という感じになる。こうした使い分けのキーワードはおそらく「生存」「進化」といったものになりそうで、もちろんそこから規範的な含意を引き出すのは慎重になる必要があるんですが、とりあえずどういう傾向がありそうかを丁寧に見ていくのが考える手がかりになると思っています。

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